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「カーネーション」スレッド

【2283150】
スレッド作成者: ネタばれ禁止 (ID:VuGumEP1mMY)
2011年 10月 03日 07:54

本日より「カーネーション」スタートです。
皆さま、ご自由に感想をどうぞ。


誠に勝手ながら、ネタばれは禁止とさせていただきます。
ホームページ、新聞予告等での情報はお控え下さいませ。


それでは半年間よろしくお願いいたします。

【2360134】 投稿者: 特急サザン   (ID:bU8vxuFXztU)
投稿日時:2011年 12月 18日 10:47

皆様へ?

電報か電話か?なぜか私の投稿のあとにいろいろ論議が出まして、恐縮な気持ちすら感じております。

当時は現在のようにダイレクトに市外通話ができなかったのは間違いないでしょう。
「坂の上の雲」のロケに出た電話機(木の箱の型・ベルの目玉がある形)などでもわかりますが、市内の通話は容易でも遠距離電話は、一度、交換手に申込しみ、ばらく経ってつながる仕組みであったことは間違いないと思います、そうだとすると電報のほうが速いでしょう?

私は日本ではありませんが1988年の中国のホテルで同じような経験をしております。
現在でも発展途上国へ行くと同じかもしれません。

しかしながら、当時、大阪・岸和田~加賀温泉郷(山中・山代・粟津・片山津など)には何時間かかったか関心があります。

もっとも、昭和17年には難波~梅田は地下鉄(現在の御堂筋線)が開通していましたので、大阪駅までは現在よりは不便とはいえども、行きやすかったはずですが?

【2360155】 投稿者: 水茄子   (ID:PRxNuz0Fj9Y)
投稿日時:2011年 12月 18日 11:06

特急サザン様

鉄道に興味がおありな様子ですが、ドラマとは横にそれる話ですが、こういうのをご存知でしょうか?

大空襲 一夜の奇跡 地下鉄・御堂筋線
http://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/OSK200912260039.html


当時の大阪は、大大阪と呼ばれ、東京よりも世界に通用する都市でした。
(東京は関東大震災があったので・・・)
地下鉄は、大都市の象徴だったんですね。
御堂筋線は当時の面影が(わずかですが)残っています。

【2360213】 投稿者: ton   (ID:0jbad7MWoxM)
投稿日時:2011年 12月 18日 12:20

お父ちゃんの幻についてですが、
よく実際に経験した方のお話を
聞きます。

私の母も義父の危篤の報を受け
雪の中夜行に乗っていたようですが、
編み物の手を止めふっと窓の外を
見ると義父の顔が浮かんでいたようです。
はっとして時計を見たようですが、
後からなくなった時間だとわかった
そうです。

私ももし自分が亡くなる時に家族に
会えなかったら一目会って挨拶しておきたいだろうな。
娘たちの夫に娘をよろしくと伝え、
娘たちには主人をたいせつにしてやってほしいと
言いたいな。

【2360550】 投稿者: もうすぐ冬至   (ID:jHRPlWHucY.)
投稿日時:2011年 12月 18日 20:28

あくまで個人的な考えなのですが、今でいう観光目的の「温泉旅行」というより、病気や負傷などの治療を目的とした「湯治」という意味合いで存在していたのではないでしょうか。
間違っていたらすみません。

【2361041】 投稿者: 夫婦ぜんざい   (ID:Zkl7FI4fTyg)
投稿日時:2011年 12月 19日 10:48

明日から、「おとうちゃん」が見られない
寂しいなあ。

息子に先に旅立たれた「おばあちゃん」
大丈夫やろか?

【2361048】 投稿者: やっぱり   (ID:S3/hCG0JvKg)
投稿日時:2011年 12月 19日 10:58

少し疑問なのですが、火傷の治療に湯治って大丈夫なのですか?
確か、疥癬だとも言っていました。
病原菌が入ることを考えると、逆効果だと思うのですけど。


今日、お父ちゃんのお骨の前で横になって涙を流している糸ちゃんを見て、
初めて涙が出ました。
そっと毛布を掛けてあげるおかあちゃんの姿がさらに涙をさそいました。


ドラマで泣かされるなんて何年ぶりでしょう。
演技がお上手なので、自然に感情移入してしまったのかもしれません。


ところで、不思議体験(お父ちゃんの姿がみえた)に似た経験は私もあります。
それを演じた場面があまりに自然だったので、もしかしたら脚本家さんにも経験が
あったのではないかと感じました。

【2361065】 投稿者: 水茄子   (ID:PRxNuz0Fj9Y)
投稿日時:2011年 12月 19日 11:16

どうしようもないお父ちゃんやったけど、皆に愛されてたんだなあ・・・
お父ちゃんとの生前のエピソードを語る人たちに、糸子は父親が世話になってばっかりやと思ってたけど、実はお父ちゃんもしっかり恩を売っていて、お父ちゃんはやっぱりただもんじゃなかったんだなあって思います。
うちの主人の父親も商売人で、主人が若いころに病気で早くになくなって(善作さんと同じ享年59歳でした)借金いっぱい残してほんまにどうしようもない豪傑だったらしいけど、義父とゆかりのある方は皆、義父にはほんまに世話になったと言って、その後の主人を助けてくれました。
主人は「死んでから親父の偉大さに気付いた」と言ってます。
糸子たちもきっと、そう思っているんでしょうね。

【2361173】 投稿者: セピア色   (ID:BIW49SR7pn6)
投稿日時:2011年 12月 19日 13:01

今日はすぐには泣けませんでした。 身につまされてしまって・・
私も長女、母はきっと千代さんみたいな感じで、私はお葬式でしゃしゃり出るんだろうな・・
もうすぐ・・ かもしれない『父を見送る』シーン、目の奥に涙がたまっていても、泣けませんでした。
糸ちゃんのその目の奥の涙を、お母ちゃんが優しく見つけて、髪をなでてあげているシーンで、
やっと涙が出てきました。  幾つになっても、親は親ですね。 終わってから声をあげて泣いてしまいました。

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