女子美の中高大連携授業
「カーネーション」スレッド
本日より「カーネーション」スタートです。
皆さま、ご自由に感想をどうぞ。
誠に勝手ながら、ネタばれは禁止とさせていただきます。
ホームページ、新聞予告等での情報はお控え下さいませ。
それでは半年間よろしくお願いいたします。
勘助くんがサエさんに会って逃げるシーン、録画は残っていませんが、サエさんを見た瞬間に勘助くんの脳裏に浮かんだのか抽象的な映像があって、そのあと気分が悪いような仕草をしながら逃げ帰った…ように記憶しています。何があったかわかるような映像ではなかったですが、ドラマ的には今日のことは「いきなり」ではなかったのかなと思います。二度目の出征前に光子ちゃんに言った「糸やんに会いたいけど会う資格がない。」という言葉、私は意気地がなかったからかなと思っていましたが、あれも深い意味があったのだと思います。そして…ここからは想像ですが、勘助くんって割と小さい頃から自分が辛い目にあったらお母さんに報告するタイプだったのではないでしょうか。でも戦争のことだけ片鱗も語らなくて、お母さんや周りはあまりにも辛い目に逢わされたから語れないのだと解釈したと思います。でも実際には何があったかわからなくて、テレビを見た時に思い当たったのかもと思いました。ただ、おばちゃんの解釈(それを納得しかけている私の解釈も)が合っているかどうかは誰にもわからないですね…。
私は勘助くんの人物設定があまりに過酷なことにはちょっと悲しくなりました…。
水茄子様の解説素晴らしいです。なるほど~。
私も実はちょっとあれ?と引っ掛かったクチです。
つい先日南京虐殺についてのコメントをした某市長の発言が
問題になったばかりなので、このタイミングで?と思ったのです。
でも年代を考えればまだ沖縄も返還されていないし、日中の国交は
正常化していないし、多くの残留孤児も大陸に残されたままで、
戦後はまだまだ終わっていない頃ですものね。
少しずついろいろなことがわかってきた時期なのでしょう。
玉枝さん自身も、勘助ももしかしたらやったほうなのでは?という
疑いはそれまで封印して、心やさしい勘助が酷い目に遭わされて
かわいそうにと思うことで自分の心を守ってきたのでしょう。
切ないですね。
わたしは「一緒にいた時間より思い出す時間のほうが大きくなってしまった・・・」が心の琴線に触れました。
糸ちゃんは今のわたしよりすこし年配ですが、誰でも、歳をとっても大事にしたい想い出を心の中で何度も反芻しているんだなあと思いました。
若いころは歳をとった人はそんなこと考えないものと思っていたような気がしますが、気持ちって、若いうちも歳を取ってからもそう変わらないものかもしれないなあと思います。
私もサエちゃんを見て勘助が逃げる場面で、勘助の戦地での様子を確信しました。
あんなに心優しい勘助だって鬼にならざるを得なかった(と思われる)戦争が、
いかに悲惨だったことか。
被害者でいるより加害者でいること、それを思い出すことの辛さは人を廃人に
させるほど凄まじい辛さだと思います。
(精神科医によると、突き詰めた後悔は人の心を壊してしまうそうです。)
また、ここでおばちゃんが改めてそれを口にする辛さ。
自虐うんぬんではなく、こういった描き方だからこそ、戦争の悲惨さが強く
伝えられたのだと思います。
ここはNHKに反感を持つより、反戦を誓いましょう。
ちょっと戻るのですが、パンパンしていた友人が出てきましたが、現実生活に問題ないのかな?と疑問に思いました。
その方、お子さんに恵まれなかったのですか?(ちゃんと見てなくて…)
子々孫々がいたら、私の曾祖母はパンパンだったの?とならないのかしらと思ったもので・・・
私も、「かんすけは、ただ弱い人間だったんじゃなかったんだ。 女子供には知らされて
いなかった戦地の状況を知り、どんなに戦争というものがむごいものか、そしてその中で
‘やった側‘になってしまったかんすけが、心が清らかだったからこそ、苦しんでいたんだ
・・」と、そういう風に捉えました。
弱くてただただやられて怖くて人生を逃げ出したんじゃない、一生懸命生きて、生きる為に
‘やった側’になってしまって、でも心が清らかだからこそ悔恨の念でいっぱいになって、
そして逝ってしまった。
何と言うか、少し救われた? いやちょっと違う、上手く表現できないのですが、
自分の息子を、大事な幼馴染を、ただただ弱虫、本当に情けないヤツとして思うより
勿論、ただただ弱虫でも、可愛い大切なかけがえのない息子であることに変わりないけれど、
むごい戦争の中でも、‘やった側’になってしまっても、人間としての心を全くなくせない
そんな息子を、かんすけを肯定しての涙・・のように思いました。
そんな心優しい青年をそこまで追い詰めた時代、戦争への憎しみ憤りを込めての・・。
支離滅裂な文章ですみません・・。
今日の放送は、かなり重く心に刺さりました。 夕日の美しさが、余計悲しかったです。
が、、おばちゃんの手は、80?歳くらいのおばあさんの手としては綺麗過ぎたのが残念!
戦争反対の立場ですが、息子勘助がやった、やられた、と実の親が死ぬ間際に思うでしょうか?
実際やられた側の立場で、2人も戦死している息子を、死ぬ間際に偲び、思い、「やられた立場だった」と玉枝さんが断言しているのはやはり腑に落ちませんね。もちろん、サエから逃げたのは、卑怯な男だからではない、心優しい、気の弱い男性と言う事も頭に入れてみた上でです。
戦争責任に対するなんらかのNHKの意図が見え隠れしている事、 脚本家の 大戦の戦争観が 描かれていた回だと思いました。
『日本は被害者ではない。加害者なんだ!』 と。
(でも実際はアメリカにやられた側なんですがね・・そう洗脳させる所が怖いわけです)
勘助の人間性を破壊するものの正体は何だろう?
そこまで踏み込んで考えると人間性というものが善であるという前提になってしまう 。でも実際は人間って醜いものであったり、また美しいものであったりと その両方を持ち合わせるわけで・・・ しかも戦いやらなければ自分が死ぬ立場で。
ただそれをこの朝ドラでやるには重いし、小篠綾子の人生とは実際無関係の架空の人物で、彼女の人生を語るにはそぐわないテーマであると思いました。




































