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【3971321】わたしたちはどこからきたの?

投稿者: 日本人のルーツ   (ID:bzOpi3KTOsU) 投稿日時:2016年 01月 25日 11:35

日本人の成り立ちを5回に渡って放送したNHKスペシャル
学校の教科書では教えてもらえない神秘的な海洋稲作文化人であることが
この番組を通して理解できました。
稲作は弥生時代からと教えてもらっている我が子
今や数々のDNA分析により縄文時代より稲の栽培がはじまったとされている。

あちらの国から歴史修正主義とお叱りをうけるかもしれませんが
個人としてすごく興味があります。

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  1. 【3972321】 投稿者: モンゴロイド  (ID:2gRwSAyclU.) 投稿日時:2016年 01月 26日 00:51

    南方系モンゴロイド(チベット)
    北方系モンゴロイド(シベリア)
    この混血が日本人のルーツ
    そして縄文人となりどんぐりを食べる生活をして文化を形成していく。
    その中で気候変動がやってくる。
    氷河期がやってくる。
    その頃の日本列島は大陸と陸続きであった。
    日本海はまるで湖のようになっていた。
    この氷河期にどんぐりの実が不作になり、ある縄文人はアメリカへ渡り
    ある縄文人は朝鮮半島に渡った。
    熊本県と朝鮮半島北部(満州あたり)の山が大噴火する。
    縄文時代の稲作文化は火山灰により壊滅状態となる。
    そして氷河期が終り温暖化した頃、陸から渡ってきた弥生人は定住することとなる。朝鮮半島経由に渡ってきた上海人は寂しく死ぬときは陸に向けて送れと言い残すのだ。それが鳥取の人骨の謎ではないだろうか?

  2. 【3972552】 投稿者: DNA検査で判明  (ID:JH6o4HTapQc) 投稿日時:2016年 01月 26日 09:57

    自分のルーツがどこから来たか判明しましたよ
    自分としては意外だったけど
    病気や体質の傾向などと合致して面白いものでした

  3. 【3973017】 投稿者: 日本海が湖だった  (ID:/IKoQg18TlE) 投稿日時:2016年 01月 26日 18:35

    約 2 万年前の日本列島は中国大陸と陸続きになっており、日本海は大きな湖だったんですよ
    陸続きになった中国大陸からナウマンゾウやヘラジカなどの大きな動物たちが日本へとやってきたようです。
    今から約 1500 万年前の日本は恐竜の時代が終わりほ乳類が栄えていました。その頃は日本に鰐も生息していました。化石が見つかっていますね
    約 1500 万年前よりも古い地層は、朝鮮半島~日本~ロシア極東部とよくつながりますが、それより新しい地層は全くつながっていなかったのです。
    驚きです。
    今も日本列島は太平洋に向かって少しずつ移動しています。
    1年間で 10 cm 程度度動くとしたら、1000 万年は1000 km も動くんですよ
    恐ろしいね

  4. 【5968813】 投稿者: 神秘性  (ID:00LtBlxkf0g) 投稿日時:2020年 08月 03日 05:36

    淡路島の南部にある「和泉層」は約7千万年前の白亜紀後期の地層で、恐竜やアンモナイトの化石が多数出土。展示ではエビ、カニ、魚など海洋生物や植物の化石のほか、アンモナイトの化石を含んだノジュールと呼ばれる直径約50センチの岩を触ることもできる。

     約300万年前のアケボノゾウの牙、約2万年前のナウマンゾウの歯なども展示され、太古に島内にいた生物をうかがい知ることができる。同館は「子供たちに淡路島にも恐竜がいたことを知ってもらうきっかけになれば」としている。


    先山は、淡路島では特異な独立峰だが、海抜たった448m。
    ちょっと見は成層火山なのか? と思えそうなほど均整のとれた富士山型の山容です。しかし火山じゃありません。地質的には、後期白亜紀 (1億年~6500万年前) に地下の深い所に貫入したマグマが冷えてできた新期領家花崗岩類が隆起して出来た山とされ、火山そのものではありません。しかし、富士山型なので淡路富士などと讃えられ島内広い範囲から眺められます。

    日本の最も西に位置する沖縄県の与那国島。
    この島の新川鼻あらかわばなという断崖の岬からわずか100メートル沖合の海底に、「与那国島の海底遺跡」と呼ばれる神秘の遺跡が眠っている。
    出典:クォーク編集部・編『海に沈んだ超古代文明』(講談社、2002年)
    海底遺跡の全長は、東西方向に約250メートル、南北方向に約150メートル、高さは26メートル(頂上部の約1メートルは海面から出ることも)。その外観は、まるで巨大な山城かピラミッドのようである。

    それもそのはずで、用途はおそらく城か神殿ではないかと考えられている。防御を意識した造りや、宗教的な儀式に使われたとみられるレリーフなどがいくつも発見されているからだ。

    新川鼻の沖合は、かつて陸上にあったことがわかっており、人々の往来もしやすかった。造られた年代は、様々な調査から2000~3000年前頃ではないかと考えられている。ところがその後、突如、急激な地殻変動が起こり、遺跡は海中に没してしまった。


    氷河期から火山列島を移動した縄文文化の痕跡は、南から北へ家族単位で移動し街は変動的だった。

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