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【5601828】公立高校の最低迷期、1900年代を語る

投稿者: エネイブル   (ID:T4LanBR7CEo) 投稿日時:2019年 10月 11日 23:32

超伝統公立校、日比谷高校の東京大学合格者数

1990年  8人
1991年  7人
1992年  8人
1993年  1人 ←まさにこの人のおかげで日比谷の連続性が守られた
1994年  7人
1995年  4人
1996年  3人
1997年  6人
1998年  2人
1999年  2人

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  1. 【7006087】 投稿者: 敗残兵  (ID:vN0i0lG2PH6) 投稿日時:2022年 11月 17日 12:23

    私は1990年代の日大生でした。当時は私大全盛期で今のマーチと日東駒専が同じくらいの偏差値でした。その時ゼミの同級生、後輩の出身高校は日比谷高校、両国、小石川など都立の錚々たる高校が揃っていました。今や隔世の感があります。

  2. 【7006924】 投稿者: バラード  (ID:l4QtKNJ7YBo) 投稿日時:2022年 11月 18日 10:09

    1970-2000年くらいは、人口も増えて団塊ジュニア世代もあり、おまけに4年制大学進学率が上昇した時代と思います。
    従って 文科省の昨今とは別の要請で、定員+とオーバーを求められ、それでも浪人率は高かった時代だと思います。

    ちょうどこの時期、誰でも公立高校普通科に行けるように、平準化もなされて特に都立の低迷期となるのではと思います。
    上だけ見るとデメリットですが、やむなく私立へ、あるいは商業工業や夜間に進まざる得なかった人たちは公立普通科に進めてよかったというケースも。

    書かれてますが、浪人が嫌で日比谷合格しても日東駒専付属に進学する生徒もたしかにいました。

    2000年以降は、人口減、大学全入時代、浪人せずになるべく身の丈のところに、となると少しでも上位へ、少しでもいい中高からいい大学へ、首都圏の知事や教育委員会も黙っていられない、、で改革はじまり、主に公立一貫、進学指導校、教員の入れ替えと進学指導と手を打って今に至っていると思ってます。

  3. 【7013919】 投稿者: 教えて下さい  (ID:Q8GSBuA2dUA) 投稿日時:2022年 11月 24日 18:01

    1970年代ぎりぎり団塊ジュニア世代の地方出身者です。

    学校群制度の頃のことで、教えて下さい。
    主人の兄弟(都内出身で同世代)が、
    「都立高校受検して第一希望に落ちたのに、その時の制度で救われて
    第一希望より偏差値が高い都立高校に合格した」という話しをしていました。

    どういうこと?とは思ったのですが、他の親戚も居たので詳しく聞けず
    主人も面倒くさがって教えてくれません。

    上のスレッドで、「学校群で受かっても希望の高校に行けなかった」という内容が有ったので学校群の中で勝手に学校を振り分けられたのかなとは推測しますが、他にも第二希望制度があったのでしょうか?

    またスレ違いなので、ついでに教えてもらえると嬉しいですが、子供の小学校のママ友で「昔のイメージがあるから渋渋とか、ちょっと・・」と話してましたが、そんなにヤバい学校だったのですか?

  4. 【7013989】 投稿者: 年代次第  (ID:HKdFz.ySLig) 投稿日時:2022年 11月 24日 18:55

    年代次第とは思いますが、渋渋の話から想像するにグループ合同選抜でしょうね。
    以下、Wikipediaから抜粋
    ○学区合同選抜(学校群以前)
    * 同一学区内の高校は合同して選抜を行い、学区全体の募集人数分の合格者(学区合格者)を決定。その中から、希望にしたがって各学校の合格者が決定された。
    * 具体的には、受験生は第一志望校と、第二志望をするか否かだけを書いて出願し、第一志望校で受験、合格発表。(不合格者のうち)学区合格者も発表され、学区合格者は第二志望校を定員に達していない学校から順位をつけて三校まで記入して本来の第一志望校に出願し、各中学校で第二志望の受け入れ先が発表された。
    * 合格者の選抜においては内申書と学力試験を等価値に扱うとされていたが、実際には内申点は参考程度であったとされる。受験雑誌等で各高校の学力試験の合格最低点が発表されていたことも、そのことを裏付けている。

    ○グループ合同選抜(学校群以降)
    * 学区内の高校を2つのグループに分け、調査書(内申点)と学力検査でグループ合格者を決定。第一志望校が不合格であっても、グループ内で定員に達していない高校に希望順位をつけて三校まで第二志望とすることができた。
    また、それでも定員を充足できない学校は、その学校を第一志望としていた者を成績順に「繰り上げ合格者」とした。
    * この制度の最大の利点は第一志望校の合格者はその志望校に入学できること、グループ内では合格者より成績の良い不合格者が出ないという受検の公平性が担保されていることにあった(繰り上げ合格を除く)。
    * また学校群制度では学校群に合格しながら希望する学校に進学できないという問題が生じ、学校群自体に不合格となると二次募集受検・私立高校受験の必要があったが、グループ制ではグループ内のある学校を第一志望として受検し合格すればその志望校に入学でき、第一志望に不合格でも一定の成績(グループ基準点)を満たせばグループ内のどこかの学校に入学できる可能性が極めて高く、中学浪人というリスクが少ないという利点もあった。

  5. 【7014522】 投稿者: 教えて下さい  (ID:Q8GSBuA2dUA) 投稿日時:2022年 11月 25日 10:35

    ありがとうございます
    wikiに記載があったのですね。気がつかず失礼いたしました。

    年代的にグループ合同選抜だと思います。
    第一希望が不合格でも、第二希望の学校が定員に達してなかった場合、
    グループ内の基準に達していれば第一希望より第二希望の偏差値が高いなどは関係なく合格していたということですね。

    どこか都立に入学したいと言う場合は、救われる制度のようですね。
    いまの制度しか知らないので、なんとも不思議な感じですが
    都立高校の入試制度は副教科の計算方法もここ数年で変更があったようで
    進路も制度にかなり影響されますね。

    いまの内申制度には不満がありますが、
    学校群制度がなくなって、希望の学校を志願できるのはありがたいです。

  6. 【7014686】 投稿者: 年代次第  (ID:f8gANszFQ/Q) 投稿日時:2022年 11月 25日 13:15

    私は学校群でしたが第1志望の学校に進学しました。
    学校群制度は東大合格者100名超えのガリバーが無くなったことからいろいろ言われますが、各学校群のフラッグシップになったナンバースクールの人気によって良い影響を受けた学校も多く、そこまで悪いとは思いませんでした。
    むしろその後のグループ合同選抜はまた幾つかの学校に優秀層を寄せようとして失敗し、第1志望よりランク上の学校に入学するような逆転現象が起こり、都立としてはとどめを刺された悪制度でしたね。

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