女子美の中高大連携授業
これが旧帝大の現実
今年の成人式での会話
理系ヲタク「ぼ、ぼ、ぼくは東北大学なんだよ」
周りの人たち「ふーん」(無関心)
ブランドスーツで固めた男「俺青学だぜ!!」(指定校推薦)
周りの人たち「すごい!!!○○君って、天才!!!中学から勉強出来たもんね」
理系ヲタク「……」(誰にも相手されずに帰宅する)
もちろん、特許技術など新技術などを使用したい大学ばすればいい。
でも、技術移管が無駄な作業だから、その線引きをするのが無駄といってるんだよ。
そもそも、基礎研究でもその後の展望や応用を踏まえて研究しているのだから、基礎で切る必要がない。
〉「大学が学術の中心として深く真理を探究することを本質とする」
真理の探求と大学の自治を過大解釈してはいけない。
確かに、例えば数学の分野で何に役立つかわからない理論が後に様々な分野に活きることもある。伊藤の公式、ブラックショールズモデルは金融工学に活用されている。しかし数学者には適性もある。東大からFラン大学まで同じ数学専攻ということで一律に経営資源を求めるのは無いだろう。全員にフルブライト奨学金をばらまく訳にはいかない。
どの世界でも適性がなければ一軍から二軍ファーム、自由契約解雇で、新天地を探すということ。
今の研究環境が不満なら、東大や旧帝大などへ登用されるよう研究者として成果を出せばよいだけ。
>真理の探求と大学の自治を過大解釈してはいけない。
とりあえず上記にお答えする。私は学問の自由が憲法学上、絶対的に保障されると解されること、ならびに最高裁の考え方を紹介した。それにつき、あなたに奇異に思われようと、それが法学界の定説であるといってよい。なぜなら、学問の自由という精神的活動は本来外界からの干渉が許されてはならないところであるからだ。そして大学は、その学問研究の中心として歴史的に重要な地位を占めてきた。そうした憲法保障の存在こそが、大学とその他の各種研究機関との本質的な違いである。
そして、学問の自由を確保するための制度的保障たる「大学の自治」も、学問の自由と密接不可分のものとして発展してきた。なぜなら、もし大学が外部勢力の影響下におかれるならば、研究者の真理探究活動がそうした外部勢力の価値判断により制限されてしまうからだ(いわゆる「御用学者」)。そしてその範囲も、広く学問研究および教育に必要な事柄のすべてにつき及ぶと解される。
かといって、大学は治外法権の場でないことは当然である。大学の自治はあくまで、憲法が保障する範囲内においてのものであるとの内在的制約を前提にするからだ。たとえば、国立大学法人が人事や研究計画、教育計画等につき予算面からの事実上の制約を受けたり、わが私立大学を経営する学校法人が設置認可や学部学科創設の際にさまざまな制約蒙ることからも明らかであるといえる。
しかしながら、そうした大学の自治に一定の限界あっても、事情の許す限り大学の自治を尊重し、有利に解するのが本日、施行後75年を迎えた日本国憲法の精神に合致するものと思料する。




































