在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
これが旧帝大の現実
今年の成人式での会話
理系ヲタク「ぼ、ぼ、ぼくは東北大学なんだよ」
周りの人たち「ふーん」(無関心)
ブランドスーツで固めた男「俺青学だぜ!!」(指定校推薦)
周りの人たち「すごい!!!○○君って、天才!!!中学から勉強出来たもんね」
理系ヲタク「……」(誰にも相手されずに帰宅する)
憲法による基本的人権は、何らの制約をもたない絶対的な権利であろうか、それとも一定の制約に復するものであろうかが論点になる。そこで必要なことは、「公共の福祉」とは一体何かとの検討である。そして「公共の福祉」を理由として、法律により基本的人権を制限することが許されるのか、との問題である。
たしかに憲法は、とくに権利自由を二分することなく、13条で以て総則的にすべてのそれらに対して、「公共の福祉」による制約を宣したとも解釈できる。そして、判例通説ともに基本的人権はけっして無制約ではないとする。人間は社会生活を営んでおり、基本的人権の観念もそれを前提として成立するものであるからである。その観点からは「公共の福祉」とは、「社会生活を営む成員多数の利益」と定義付けられよう。そして、その概念を前提に憲法各本条における基本権の趣旨を考察し、その実現を図ることが求められる。(続く)
難しいこといろいろ言っているが、要するに、
公共の利益、公共の福祉とは関係なく学問の自由は欲しい、さらに私学助成金・税金ももっと投入して欲しい、
ということが言いたいのですね。
アメリカではペンシルバニア大学などがワクチン開発に多大なる貢献をしているのに。
(続き)
そのうえで、現行憲法は、その沿革からして米国独立宣言やフランス人権宣言の如く、生来的な前国家的自然権の存在を前提にしているものと考えられる。それゆえ思想良心の自由や学問の自由といった精神的な自由も自然権的に考えられてきた。蓋し、民主主義の基礎理念たる個人の尊厳に直結するものであるからだ。したがって、学問の自由についても、「学問研究の自由」「学問研究の成果を発表する自由」「教授の自由」がそれぞれ保障されている。まして、既述のように、民主主義とは何が絶対的真理であるかを知り得ないとの相対主義の立場をとるものである以上、だれでもどのような考え、意見を有することができるはずだ。
したがって、少なくとも学問研究の自由については、その性質上制約を受けることは、ほぼないといえる。もっとも、人間の存在そのものを脅かすような研究が勝手に行われることはまた問題である。それゆえ私も、核開発や軍事研究には反対してきた。ただそれを「公共の福祉」を口実に、強制的に禁圧すべきかというと、そこには上述相対主義の観点から慎重な検討を要すると思料する。
> 公共の利益、公共の福祉とは関係なく学問の自由は欲しい、さらに私学助成金・税金ももっと投入して欲しい、
二俣川さんの主張は昔から変わっていないですよ。もちろん理解してくれる人はエデュではいませんが。
>あれだけ資本主義の進展による地方国立大学の統廃合を叫んでおきながら、どの口がこんなことを言えるのか理解できないよ。
何度もこれまで、「事実の指摘と希望の表明」とを粗雑に混同すべきではないと、私は君に忠言してきたはずだ。医師が診察のうえ患者の重篤を告げても、彼がその死までをも望んでいるわけではけっしてない、と。
たしかに私は、地方の衰退、ならびにその(経済的)土台の上に存する地方国立大学の将来は暗いと再三指摘してきた。それが、高等教育分野につき自公政権が、本質的に異質なはずの経済合理主義的思想を導入した必然の結果であるからだ。
しかし、だからとてそうした悪政を支持し、歓迎しているわけではない。なぜなら、東大等への生贄として地方国立大学が廃墟・焼け野原にされた後に、その魔手がわれわれ私立大学にも及ぶことも容易に想像されるからである。だからこそ、無見の輩からしてする見当違いな中傷を受けても、何度でも訴え続けてきたのである。そろそろ君にも、ご理解願いたいところだ。




































