在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
地元の旧帝大より東京の有名私立大学
早慶、上智、MARCH etc...など東京の有名私大が旧帝や神戸大などの地方難関国立よりあらゆる面で勝っています。
これは残念ですが事実です。
賢い人は地方に都落ちはしませんし、地方の人は東京の私大へ来ます。
その証拠に有名企業就職率、大企業役員、政治家などあらゆる分野で地方旧帝は東京有名私大にノックアウトされています。
賢い人が多いからですね。
我が国の首相も、世界のトヨタの社長も早稲田卒です。
地方旧帝で活躍してる方って思い浮かびません。
地方のナンバーワン進学校である灘や西大和学園も大挙して東大や早慶にやって来ます。
もう一点だけ。個人的には、日本の年寄りの文系研究者の根っこは相対主義的で、普遍性のある理論・原理で社会現象を説明しきることに対する躊躇や不信感があるのだと思います(理念に振り回された戦前の反省もあり、他国にグローバルスタンダード(という自国基準)を押し付けたり、外圧をかけて構造改革を迫ることもないでしょう…)。その一方で、若手の文系研究者は、最近流行りのエビデンスベースドな議論に素直に乗っかっていくことができ、年寄りのような躊躇はほとんどありません。日本固有の歴史・制度(文化や国民性)をいったん捨象し、科学的手法で事象を一刀両断して国際誌に論文をバンバン掲載しています。Scopus収録論文しか評価されなくなってきて、ある社会科学の分野では、若手は英文論文しか書かないため、和文雑誌が次々に廃刊になっています(投稿論文が集まらないため)。以上、余談でした。
英語論文を書けなくはないのです。ただ、英文雑誌に投稿すると決めた段階で、テーマ選定からロジックまで、英語で思考する必要があります。はじめに結論を述べ、興味深いイントロを書いて、第一に、第二に…と論証していくスタイルです。和文論文を書いてそれを英訳して投稿すれば済むという話ではありません(なかには、英訳を前提として、英語的な思考で和文論文を書く人もいますが…)。ぐるぐると思考しながら結論にたどり着く、そういう日本的情緒では英文論文を書くことができません。私自身は、まず母国語でしっかり(深く)思考すること、そのうえで多少捨象して英文化できるものは英語で発信するように努めています。こうした作業は、たいへんな手間がかかるので、若手研究者ははじめから英語での執筆を志向し、英語で思考できるレベルのことだけを書きます(日本語で深く考えてもそれを英語に翻訳することが難しいですし、それを知りたいと思う外国の研究者・査読者がいるわけでもないですから)。こう書きましたが、日本の研究者の最大の武器は、日本語・日本語による思考です。なぜならこれは外国人にはできないからです。大事なことは、日本語教育、日本語でしっかり思考できるようになることです(英語が母国語であれば、話は別ですが)。すみません。脱線しました。
> ぐるぐると思考しながら結論にたどり着く、
これって、文系に限った話でもなく、日本人に限った話でもなく、世界の研究者はみな試行錯誤していると思いますよ。ただ、海外や理系の研究者は、それをそのまま文章にするのではなく、他人が理解しやすいように結論から先に書く形式にしているのでしょう。日本の文系の研究者は、素人でもわかってもらう努力が足らないと思います。
理系の研究者は、本当は小難しい理論や複雑な数式をもとに研究をしていても、それをそのまま示したのでは素人には伝わらないのがわかっているので、できるだけ絵や図や表やグラフを使って説明することを心がけています。
文系の研究者もそういうところを改善すれば、世間に文系の研究の価値が伝わると思います。
どなたかが書いていた教育基本法の第七条
「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」に基づき、
新たな知見創造、成果の提供による社会の発展寄与、という観点で文理問わず大学を評価し国のパイを配分すれば良い。
文系が大変とか、英語圏とか、どうでも良くて結果が全てということだと思う。
そして日本もそういう多面的な大学評価の公開を進め、受験生にも確り見てもらうということ。悪貨が良貨を駆逐するすることを避けるためには情報公開が必須。
最近は大手予備校が大学受験説明会で世界大学ランキングや科研費ランキングなどを資料添付している。
やはり大学において研究と教育は表裏一体。研究全くダメというなら専門学校や職能学校のような形もある。
法律に立ち返っても大学に求められている基準は高いし、正直、定員割れ50%した中で、私立大学は多すぎると思う。




































