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【7071473】私大の文系学部生の割合ってこんなに高いんですね。どう思いますか?

投稿者: バリントン   (ID:xxrVXRv.qjE) 投稿日時:2023年 01月 14日 16:30

タイトルの通り、私大の文系学部生の割合について調べました。軒並み8割を超えるという驚愕の結果に。今後も含め私立大学について、色々話し合ってもらえますでしょうか。

◯慶早上理

慶応    5273/6571 80.2%
早稲田   7312/9010 81.2%
上智    2499/2886 86.6%
東京理科  483/3960 12.2%

◯MARCH

明治    6790/8130 83.5%
立教    4366/4653 93.8%
中央    5712/6908 82.7%
青山    3993/4754 84.0%
法政    5678/6991 81.2%

◯関関同立

関大    5696/6926 82.2%
関学    5228/6128 85.3%
同志社   5259/6227 84.5%
立命館   6607/8104 81.5%

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  1. 【7072361】 投稿者: data science  (ID:s4l6F9LmaAs) 投稿日時:2023年 01月 15日 09:40

    一橋を除いてデータサイエンスをやれってなんて言っていない。弥生会計ソフトなら話題になったねと言ったけどwww

    仕事についてから実地の細かいことを経験するというのが、昔のスタイルだったわけですが、産業界も余裕がなくなって大学でやってくれ...になってきているのかな?と心配しています。でもそんなのを大学に期待してもね。大学で工作機械の操作や弥生会計ソフトの操作を教えても、5年もしたら無駄になるよ。

    今年の受験生は実学志向というニュースを見かけました。少子化で大学は大変。

  2. 【7072386】 投稿者: 名無し  (ID:Lub9qXDM.ZY) 投稿日時:2023年 01月 15日 10:05

    理系より文系の方が大学として設備投資とかかからないから儲かるので私立は文系中心になるのだろう。
    大学の経営面から考えると当然では。
    理系を下手に増やしたら私立はやっていけないでしょう。
    やれたとしてもせいぜい理学部ぐらいでは?
    やはり理系は国策として国公立が責任持って引き受け続けるべきかな。

  3. 【7072392】 投稿者: 全く違うよ  (ID:7fYr/R8N1gs) 投稿日時:2023年 01月 15日 10:10

    >研究、開発、運用現場だと、一握りのトップ技術屋がいて、続く二番手三番手はいるとしても、その他多くのスタッフは文理どちらでも可能な仕事。

    少なくともある程度ちゃんとした企業の研究開発の領域では理系院卒以外は入り口部分が無い。
    少し考えたら分かると思うけど理系の職場に文系学部卒なんかが入って来ても使い物になる訳が無いでしょう?

  4. 【7072467】 投稿者: 無理だな  (ID:Tm2Nn0svY4c) 投稿日時:2023年 01月 15日 11:10

    > 仕事についてから実地の細かいことを経験するというのが、昔のスタイルだったわけですが、

    ここまで大学進学率があがってくると、実務をこなしていく人と、企画をする人をわけてもいいかも。設立の経緯からして、プラグマティックなことは私立大学に任せて、国立大学はアカデミックなことをすればいいと思うけどね。

  5. 【7072478】 投稿者: 関西人  (ID:0aX7F6BUXbo) 投稿日時:2023年 01月 15日 11:18

    ただ国立ゆーても神戸大学とかは「学理と実際の調和」が校是だったりするからな。

  6. 【7072538】 投稿者: 横から  (ID:5ZiefgU58vw) 投稿日時:2023年 01月 15日 12:10

    >仕事についてから実地の細かいことを経験するというのが、昔のスタイルだったわけですが、産業界も余裕がなくなって大学でやってくれ...になってきているのかな?と心配しています。

    高度経済成長期に、財界自身が日本型雇用慣行(終身雇用、年功制、企業別労働組合)を打ち出した。諸外国との競争上、それが必要だとの判断故からだろう。それゆえ、一定の基礎学力さえ担保されれば(だからこそ「学校歴」を重視)、あとは新人採用後の総合的なOJTで育成するとの方針だった。また、そうしたメンバーシップ型採用においては、なにより協調性(使用者側からみれば、会社への忠誠心)が重視された。それゆえ、体育会出身者が歓迎されたのであろう。

    他方、大学側も学問の府であったはずの大学の大衆化に伴い、次第に高等教育における学問の意義が希釈化された。その結果、大学が「研究」の場から、もっぱら出来上がった知識を修得する「学習」の場に変質した。さらにアベ政権が当該大学における奨学生らを人質に、大学理事者や教員につき一定数の実務家の採用・配置を強迫した。しかしこれは、大学の使命にとって大きな危機でもあった。なぜなら、そうした、あたかも専門学校におけるような「既成の知の学習」と大学本来の「知そのものの探知や形成」とは、本質的に学問観念が異なるものだからである。

    そのためか分らぬが、今では相対的にまじめなゼミ合宿においてさえ、学部生には合間にテニス等の行事を加えねばならないとの状況になっている。それが一概に悪いという意味ではないが、OB・OGなども加えて一つのテーマにつき夜を徹して論じ合った昔を妙に懐かしく思い出すことはたしかである。物故した恩師や仲間の顔とともに。

  7. 【7072556】 投稿者: 関西人  (ID:0aX7F6BUXbo) 投稿日時:2023年 01月 15日 12:23

    ただ、実務家ゆーても法学系の元役人とかならまだ信用出来そうな感じはする。

  8. 【7072598】 投稿者: お答えする  (ID:5ZiefgU58vw) 投稿日時:2023年 01月 15日 12:49

    たしかに私学(とくに大学院で)でも、霞が関の現職高級官僚らが非常勤講師で出講することは珍しくはない。しかしながら、その内容は現状の紹介、ならびに実務の詳細な説明に終始することが多い。他方で、アリストテレスの理解のように、観想知とは、純粋に事柄をそれ自体においてとらえ、真相を究明したいとの人間本来の欲求に基づく。すなわち、実践知に対する理論知の優先、実践学scientia practicaに対する理論学scientia speculativaの優先の思想である。そうした知の探究こそが、西欧学問間の中軸である。したがって、学部ならびに研究大学院においては、上述のような見地から研究者らが自由闊達に創造的な解釈、研究を目指しているのである。それがたとえ、「趣味」「ポエム」などと一部無見の輩から揶揄されようとも、われらの関知するところではない。後世の学究こそが、われらの判定者であるからだ。

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