在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
中3息子の暴言に消えてほしいと思ってしまった・・・
一瞬でも、そう思ってしまうほどの時ってありますか?
自分で産んで、心から愛しかわいくて、かわいくて・・・と思って育ててきた息子なのに、
最近は、私の目の前から消えてほしいと思うほどのときがあります。
中学2年ごろから、母親の私にだけ、イライラのスイッチが入ると
暴言を吐くようになりました。
気に入らないことがあってスイッチがはいると、
気が済むまで自分をコントロールできないようです。
家の外や、父親の前で、感情をむきだすことはありません。
むしろ、礼儀作法等はほめてもらうことが多いです。
学校での、授業態度、友達関係もまったく問題いようです。
(と、先生から聞いています)
スイッチが入って、暴言を吐き、私がそれに反応して
けんかにになり、気分を概したころ(顔にはだしませんが
態度にはでているかもしれません)
息子本人は、もうすっかりケロリとして、今度は私に
『いつまでも怒るな、ひつこい』といって
また切れる始末。
これって、単なる反抗期の一過性のものなのでしょうか?
これは、デジタル化人間の典型かとおもい、それも
心配になっています。
もしこのままだったら、将来私達親が年老いてもっと力がなくなったとき、
我が物顔に、支配されるのではないかと、一瞬でも
そんな不安がよぎったりします。
切れている時の息子はモンスターそのもの。
言葉使いはヤクザそのもの。顔つきも大嫌いです。
早く自立して、家を巣立って欲しいと心底思っています。
世の中の母親は、息子に対してはもっと甘い感情をもっているんですよね。
今日もさっき、ささいなことから息子のスイッチがオン-オフ。
1人声を殺して泣いてしまいました。
(ひつこいと、またスイッチオンになるのがいやで・・・)
私はスレ主様のように子供を産んだ経験はありません。
当たり前ですよね、まだ子供です。
でも、いくら息子様からだとしても人から暴言を吐かれて嫌な思いをしない親なんていないと思います。
だって、自分がお腹を痛めて必死に産んだお子さんですから。
大変な思いをして、ここまで大事に育てたお子さんですから。
赤の他人から言われるのとは、「恐怖」より「悲しみ」や「怒り」の大きさはくらべものにならないでしょう。
きっとまだ子供だから、分からないんです。
何というか…感情のコントロールは勿論、自分の行動が、言動が、どれだけ周りの人に影響しているかなんて。
どれだけ、自分の刃のような言葉が相手を傷つけているかなんて。
そんなこと分かっていたとしても向き合いたくないんです。だって面倒だし、傷つくのも嫌だから。
逃げたいんです。自分の行動に伴う責任とか、そういう「めんどうな」ものから。
甘えたいんです、親に。だって親だったら、案外簡単に許してくれそうだから。
考えてしまえば、自分が悪いことなんて分かってしまう。そこで謝るなんて「めんどう」くさいし、かっこ悪い。
何より、謝ったらなじられるかも。なじられて傷つくのも怖い。
私はスレ主様とは同じ立場からは物を申せません。すべてあくまでも想像です。
でも、きっとスレ主様は今までずっとずっと息子様の暴言に耐えていらっしゃったのでしょうね。
でも、そろそろ限界が近いのではないでしょうか。
スレ主様はまず一人で溜め込まない事。旦那様に相談してみるも良しです。
息子様の問題なのですから、夫婦で解決する方が望ましいのではないでしょうか。
そして息子様に淡々と告げること。
「お母さん、あなたにこういう顔でこういうことを言われてすごく悲しいわ」と。
でもそれ以上は何も言わなくていいです。
きっと息子様は何も聞こうとしませんから。そこで話はもう終わりになさってみてはいかがでしょうか。
あとは、何を言われても黙っていること。
許さなくても結構です。というより簡単に許さないほうがいいです。息子様の為にも。
「いつまでも親にあまえるんじゃない」という態度を見せたほうが、いやおうなしに息子様も考えてくれるのではないでしょうか。
すべて私の憶測です。でも私も親と喧嘩します。ひどいこと、たくさん言います。
でもその時、こういうことを言われたりしたら、心に罪悪感が募って、いつの間にか自分の言葉を意識するようになりました。
参考になればいいのですが…
スレ主様、
4年前の頃のものと、最近のものを拝読させていただきました。とても勉強になります。
私にもスレ主様と同じ年の息子がいます。
私はひとり親で、ひとり息子の彼とはとても仲のいい親子ですが、今、本当の親離れ子離れの苦しみと喜びの真っ直中にいます。
ひどい暴言などは無いのですが、態度や行動が以前とは全く違ってあまりに冷たく、心ないことを言われてバトルしてしまった後は、ひとりで号泣することが度々あります。息子の前で号泣した事もあります。憔悴します。
息子を以前とは別人のように感じてしまう時は、自分でも驚きますが、「私の目の前からこの存在が消えてほしい」という想いがよぎります。
今の目の前の彼に消えてほしい、以前の彼に戻ってきてほしい、こんな子、私の子じゃない、ということだと思います。
でも、親子バトル出来るということは、子が親に甘えているという証拠だと皆さんがおっしゃる通りだと感じています。
さて、それとは別に、ぜひお伝えさせていただきたいと思うことがあります。
私は発達関係の教育分野に関わっているのですが、以前のご子息の「スイッチオン」の時の別人のように形相が変わる様子や、現在の様子を考えると、ご子息はなんらかの外的サポートが必要な発達障碍の範囲に入る可能性が極めて高いと思います。
普通に社会生活を送っている人の中にも、発達障碍で困難を抱えている方は今は大勢いらっしゃいます。
勤め上げて定年してから、発達障碍の認定を受けた方もいらっしゃいます。
もっと言えば、誰しも、多かれ少なかれ、発達障碍を持っているのですが、障碍とされるかどうかは、社会で生きていくのにそれがどこまで障碍になるかというそのレベルの差があるだけです。
暴言が始まった頃からおそらく今も、一番苦しんでいるのはご子息だと、あえて言わせていただきます。
脅かすつもりはないのですが、このような状況で、そのまま統合失調症の発症につながるケースは珍しくありません。
なんらかの罪で服役している人達の半数は、発達障碍なのにそうとは知らずに苦しみ抜き、対処の方法がわからずきてしまった人たちであるという報告もあります。
誤解しないでいただきたいのは、決して、発達障碍があると罪を犯しやすいということではないということです。そうではなくて、本人の障碍への無自覚とまわりの無理解から、かけちがえたボタンのように、生活や人生がおかしくなってしまい、結果として、生活に困窮したり二次的症状として行動障碍を起こしたりということになるケースが多くみられるということに過ぎません。
現在、いわゆる、「スペクトラム(範疇下)」「ボーダー(境界)」と呼ばれる、社会生活になんらかの困難をきたしているけれど、明らかに障碍をもっているようにはとてもみえない、という症例はものすごく増えています。
現在、発達障碍の治療やサポートは、まさに日進月歩の手探り状態で、これが正解だというものはなく、適切なサポートとめぐりあえることは残念ながら簡単ではありません。
ですが、発達障碍を自覚することで、「自分が苦しんできたのは、発達障碍があったからだ。同じように苦しんでいる人が沢山いるんだ」と、気づくことで、地獄から天国に行ったように救われて人生が変わったというケースは沢山あります。
そこから、そんな自分とどうやって付き合って人生を謳歌していくのか、それを学んで身につけていこう、という全くあらたなステージに入ることが出来るからです。
よく言われることですが、岡本太郎もエジソンもモーツァルトもジャイアンものび太も、皆、発達障碍と言われています。
河合隼雄氏の本や、アスペルガー症候群関連の本、当事者である若者や子どもが書いた本など、参考になる本が沢山ありますので、まずは、それらの本を読まれてみてはいかがでしょうか。
そして、ご子息がとてもよくあてはまるケースの本がみつかったら、ご子息にも薦めてあげてください。
実際、これらの本を読むと、自分もあてはまる、自分も発達障碍だと皆さんほぼ例外なく思われますが、その程度によって、サポートが必要な場合となんとかなる場合とに別れます。ご子息は前者ではないかと思われます。
(大変よく似たケースを知っています。介入は早ければ早いほうがいいです。)
良い医者に巡り会えるはなかなか難しいかもしれませんが、発達障碍という診断なり認定なりが、人生を一気に好転させるケースが多々あるので、まずは情報をあたられてみることをお薦めします。
尚、殺人に発展しかねないような暴力でない限り、私は投薬には賛成しかねます。
インターネットにも無数の情報があります。
たとえ子どもが幾つになっても、やはり子育ては自分育てで、私達に必要な学びを与えてくれているはずです。
10年くらい前にこういったことの先駆け?ではないですが、のびた・ジャイアン症候群という本がでていました。
平たく発達障がいを教えてくれた本です。
わが子がその時期にちょうどの本でしたので、のびたやジャイアンは良い参考になりました。




































