在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
母との関係
私の母のことで相談させてください。
60半ばの母は、優しく良い人です。マイ・ペースな父に尽くし、女性としても頑張る人だと思っております。
しかしながら私が子供の頃は「気分屋」のところがある人で、機嫌の悪いときは猛烈に怒る人でした。それもヒステリックに怒鳴り、叩き、今なら近所に通報されそうな「おしおき」をされ、アザも作りました。言葉も信じられないほどきつく、他人より母親に傷付けられることの方が多かったです。怒ったときは私の意見など聞きません。痛烈に批判しますし、ひと言、言おうものなら手が飛んでくるので絶対服従です。
普段は本当に優しい人で、三人の子供に教育をしっかり付けようと仕事をしながら育ててくれました。そのことには感謝し、応えようと努力もしたつもりです。
でも兄妹全員、大人になっての母の印象は「怖くてヒステリックだった」ことのほうが強烈です。
困ったことに、私自身が母親になったことで疑問はさらに増えました。母のヒステリーや体罰は、子育てに全く必要の無いものだと解ってしまったからです。子供って対話で十分なんですよね。どうしてあんなことされた(言われた)んだろう...と暗い気持ちになります。
しかし母は、懸命に子育てした自分に感謝し、「優しいお母さん有難う」という気持ちで接するよう私達兄妹には望むらしく、話の流れで「そういえばお母さん厳しかったよねー」なんて笑い話で済ませられるようなひと言にも顔色が変わり、ひどい子供たちだとヘソを曲げるのです。
私も出来る限りの孝行をしているつもりです。でも、こうしてヘソを曲げられる度に「あんなに傷付けられたのに」と思う気持ちと、「悪いこと言ってしまったんだろうか」と悩む気持ちで落ち込んでしまうのです。
皆さんはお母様との関係は良好ですか。
私も今だに母を受け入れられないでいます。
しかし、表向きは違います。現在何も無かったように母とは付き合っています。
私が小さな時から気分屋でヒステリック。
母の攻撃から逃げるために部屋にこもっても、何してるの!と扉を開けられました。
家の中に居場所を見つけることが難しかったのです。
母に従うしかない。それが平和。小さいながらに自分を押し殺して暮らしていたと思います。周りの人たちの印象は「おとなしい子」
だから思春期の反抗はひどかった。暴走族などに入る事はなかったものの何度も家出をし、悪態の限りをぶつけたと思います。高校を出てすぐに家を出ました。
不思議と自立すると言いたかった事が冷静に言えるようになりました。けんかには必ずなりますが・・
たぶん、帰る家が・・私の居場所が別にあるというのが大きな理由だと思います。
10年たちそのまま結婚。
子供も生まれ、母をようやく一人の人間として見られるようになりました。
この人から生まれたけれど違う人間なんだと。
きっと小さな私は愛に飢えていたのでしょう。無条件に愛してほしかった。
今は娘ももう10歳です。明るくやさしい素直な子です。
母を引きずらず、私は私という人間の人生をより良く生きていく。
淋しく悲しい子供だった皆さんも、暗い思いを断ち切る勇気を持って下さい。
母は母。私は私。受け入れられなくてもいいではないですか。
そうでなければ、上手く行かない事がすべて愛情の欠落によるものだと思い、反省も進歩もない人生になってしまいます。
物心ついた頃からエキセントリックな母の顔色を伺って育ってきました。
10代の頃は、キッチンドリンカーとなりまたうつに悩まされた母を看病し、気遣い、どちらが親でどちらが娘か分からない生活でした。父にいくら母の病状(異常)を訴えても、仕事の忙しさもあり、現実に目を向けたくないのか、一時的なものだと取り合ってもらえませんでした。
友人関係も、進学も、就職も、結婚も全て母の思い通りにしてきました。
あれから20年余りたった今も両親は健在ですが、子どもの頃に私が味わった苦しみを、
二人とも全く理解もできず、記憶にもないようです。
表面的には平静を装って付き合っていますが、母と会うと決まってそのあと寝込むほど具合が悪くなり、ひどく落ち込みます。昔のことが走馬灯のように蘇ってくるのです。電話で話すのも嫌です。母のことを考えるだけでイライラした気持ちになります。
いい年をして未だに親を頼ったり甘えたりしている友人を見ると、羨ましいを通り越して、嫌悪感すら湧いてきます。
母のように子どもを育てまいと、自分の子ども達を一生懸命育ててきました。今は家庭円満でとても幸せです。ただ、未だに実の母のかつての呪縛から逃れられないでいます。
皆さん、本当に立派な方たちです・・・。
なんだか涙が出る・・・。
私の母は、私が小さい時からずっとお店(自営)で働きどおしでした。
しつけらしいしつけもされず、ほおっておかれた私たち姉妹でした。
夜、店が忙しくて食事を作れないときは
お金をもらって、近くの定食やさんにオムライスとか二人で食べにいきました。
しかし、たまの休みには必ず私たち姉妹を繁華街に連れ出し
私たちの洋服を買ってくれ、帰りにラーメンと餃子を三人で食べ
ケーキを買って帰りました。それが母の唯一の楽しみだったように思います。
今思い出しても、胸が温かくなる、そんな思い出ばかりです。
皆さん、どうしてそんなにお母さんに虐げられてきたのに
よいお母さんでいられるのでしょう・・・・?
私だったら、そんな風にはとてもなれなかったかもしれません・・・。
神様に祈ります。
どうぞ、皆さんが築いた幸せで暖かい家庭がこれからもずっと
続きますように・・・。
自らの苦難を家族への愛に変えた皆さんの心の強さに感動しました。
私が大人になってやっと気がついたのですが
うちの母は
ちょっと知的障害のボーダーが入っていると思われます
女版の山下清か寅さんってとこかな
商売をしていたので忙しいながらも兄弟3人を育ててくれました
保育園の親子遠足もすっぽかしお弁当も何ももたされないで
結局ひとりで参加しお昼の時間は人目につかないように隠れて
時間が過ぎるのをまっていたのが一番辛い思い出だったかな
最近の困った事は
娘のようにかわいがってくれている義理の父と母に
実の父の浮気疑惑を真面目に相談したり・・
と、こんな風にいつも恥をかかされていました
兄弟はやはり母の事、すごく嫌っていますね
いつも縁を切りたいと言っています
でも私はそこまで冷たくはできません
やはり育ててもらった事を感謝していますから
それに自分に遺伝しなかっただけでもラッキーと思わなきゃ、ですよね
母は、非常にわがままで、プライドが高いです。
そして必ず誰かに責任転嫁をしないと気がすみません。
現在75才になり、足腰が痛み出してきているのは自分が妊娠中に同居の姑(私の祖母)から栄養のある食事が貰えず、カルシウム不足だったから。
イライラして眠れないのは姑や小姑に虐められたことが40年以上過ぎた今も思い出すから。
数々の失敗に対しては「だってパパが言ってくれなかったから。」という具合です。
「実家の母(私の母方祖母)の趣味はバイオリン。使用人が何人もいて私はお嬢様と呼ばれていた。代々戒名には大居士がついてる家よ。それに比べてパパの家は貧乏くさくて。家柄が違いすぎる。」と幼い私はいつも聞かされて育って来ました。
「なんで結婚したの?」と聞くと「だってお母様が決めてしまったから。本当は良い縁談がたくさんあったのに。」と嘆く母です。実際はあまりのわがままぶりで当時30才まで貰い手がなく誰でもいいから。と焦っていたようです。
そんな母と私は物心付いたころからしょっちゅうぶつかっていましたね。
ある日、夫と婚約中の私は母と大喧嘩をしました。
次の日、母は夫の実家に電話して「娘はあんなことも言った。こんなことも言った。あんなひどい娘、結婚なんてやめた方がいい。○○君(夫)が不幸になる!」と延々私の悪口を言ったそうです。
夫の家ではもちろん大問題になりました。
私は泣きながら父に訴えました。
いつもは優しい父がまさに母を殺さんばかりに、激怒しながら母に手を上げました。
母は「キャー、パパがひどいことをするのよ。助けて○○ちゃん(私)。」と私に助けを求めました。
もう母に期待するのはやめよう。とその時初めて思いました。
現在母は随分弱弱しくなってしまいました。もう全てのことは忘れました。時々はやはり理解に苦しむ言動がありますが昔の恨みより今は恩の方が勝っています。
「罪を憎んで人を憎まず」ですね。これから先、父と共に長生きして欲しいと切に思います。
私はまだ「罪を憎んで…」の域に達することができません。
肉親だから尚のことなのかもしれません。日頃は考えないように
しているのですが、何も気付いていない母や父に昔のように扱われると
ムラムラと怒りが湧いてきます。ただそこでも、今まで我慢し続けてきたのだから
今ここで本心や、昔のことを言っても始まらない、と一時的自分の心に蓋をしてしまいます。
最近の悩みは、その怒りを消化しきれず、感情が思わぬところに
飛び火してしまうことです。
皆さんのように大人になって、全てを水に流し、「昔の恨みよりも恩」と思えるように
ならないと、とんでもない失敗をしてしまいそうです。
ねずみさんへ
大好きなおばあちゃんをどうしてお母さんはいじめ続けたのだろう・・・。
ねずみさんのお怒りや葛藤はよくわかります。
しかし、昔は嫁姑は同居するのが当たり前でしたよね。
「台所に女二人はいらない」と言われていたことから、台所をおばあちゃんに
取られたお母さんはやむなく働いていたのかもしれません。
また、昔は歳を取った女性が働ける場所も少なかったので
若い女性であるあなたのお母さんの方が仕事も見つけやすかったのだと思います。
本当はお母さんはねずみさんを自分の手で育てたかったのかもしれませんよ。
子供はどうしても、ご飯を作ってくれる人になつきます。
おばあさんになつく子供たちを見て、お母さんはつらかったのかもしれません。
おそらく、ねずみさんのお母さんは他の人よりもちょっと独占欲が強く、嫉妬深い人
だったのかもしれませんね。
それで、おばあちゃんをいじめていたのかもしれません。
今、お母さんは60歳をすぎて、ねずみさんに面倒を見てもらいたいと
考えていらっしゃるのですか・・・。
おばあちゃんにあんな事をして許せないというお気持ちもすごくよくわかりますが
お母さんを一人の女性として客観視してみると
少しはねずみさんのお心が休まるかもしれません。
どうしたらさんへ・・・
水に流さなくてもいいのではないでしょうか?
それは自分の気持ちに蓋をするだけですから。
どうしたらさんが苦しくなるだけです。
どんなお母さんが理想でしたか?
私はやさしく暖かい母、ありがとう、ごめんねを言ってくれる母です。
今、私は娘に対しそんな母になりたいと思っています。
愛してほしかった私は愛を表現できる母になりたいと思っています。
まだまだそんな母になりきれてはいませんが、娘が大人になった時、
ママみたいなお母さんになりたいといってほしいのです。
私と母の親子関係は私が母になった瞬間に終わりを迎えたと思っています。
そこから私と娘の新しい親子がスタートしたんです。
リ・ボーン・・生まれかわる時です。
生んでくれたこと育ててくれたこと感謝しています。
でもつらかった。さみしかった。心が痛かった。
でもお母さんお父さんを大切に思っています。
そんな手紙を書いて、心に区切りをつけてみるのもひとつの方法です。
「鏡の法則」という本があります。お役に立つかもしれません。




































