在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
懐かしい思い出
昔懐かしい話しです。
母の背中はとっても大きく感じていました。
新聞を読むとき、母は必ず座って畳の上に新聞を置きかがんで
読んでいました。背中を全部天井にむけるので、私は母が新聞を読み出すと
必ず上に乗って遊んでいました。母は一度も怒る事なく私を乗せたまま
一生懸命に読んでいました。
今ではその母の背中も小さくなってしまいました。
私は44歳、母は73歳です。
幼い時の母との何気ない日常生活は一生の宝物となりました。
私の子供も中学生になりましたが、私との些細な日常生活を将来思い出し
懐かしんでくれる日が来るのかなと考えてしまいました。
もしよければ、皆さんもお母さんとの思い出を懐かしんでみてください。
私も参加させてください。
私の母は外国人です。
40年近く前に、日本人の父と結婚をして来日しました。
言葉も分からないのに、義父母の介護やら、うるさい小姑やら、大変だったと思います。
私だったら・・・とても出来ません・・・。
若くして結婚したので、おかげさまで健在です。
私が物心ついたときには日本語も日常生活では差し支えないほどになり、
ずっと家の中のことをまわしています(日曜大工も確定申告も自分でします。
父は専門バカといいますか、自分の頭の中のことしか興味がないもので。苦笑)。
私は実家の近くに住み、子育て等、何くれとなく母の世話になっています。
異国での血縁者は私のみ、近くにいるのが一番の親孝行かな、と思う一方、
母の国の言葉も学ばなかった私は、いったい何をやって来たんだろう、
母への恩返しはどうやって・・・と最近よく思います。
一生母には敵いません。
母は私の小さいころリウマチを発症し、病と闘いながらも私を育ててくれました。私は小さくて、母が好きでいながらも、他の家のおかあさんみたいに元気印でない母が不満で、素直に甘えたりやさしくしたりしなかったことが、今とても悔やまれます。
もう他界してしまった母ですが、特に思い出すのは夕飯の支度の時。酢豚を作る途中、揚げた角切りの豚肉やじゃが芋(うちでは酢豚に揚げじゃが芋も入りました)を、「味見よ」といって口にほおりこんでくれました。おいしくて、「もう少し、もう少し」とねだって、妙にピーマンやたまねぎの目立つ酢豚になってしまったこともありました。今私が主婦になっても、酢豚は手数がかかるので作ったこともありません。痛む手首を抱えながら、家族のために文句も言わず食事の支度をしてくれた母。頭が下がります。
生きているときには茶化してばかりでちゃんといえなかったので、ここで言わせてください。お母さん本当に本当にありがとう。いろいろとごめんね。本当は大好きだったんだ。
涙が溢れてきます。
母は優しかったなぁ。
父に厳しくされ、私に手を挙げようとしたとき
身を制して守ってくれました。
「子供に手を挙げることだけは許さない」と。
父は怒りを静めていましたっけ・・・
そのあと、
「あなたも強情ね。あんな口答えするとお父さんも怒るわよ」
と、頭を撫でてくれました。
今でも、すごく優しいです。
そうだ、私はこの母の血を受け継いでるんじゃない。
それを活かすことを忘れてました!
これから、我が子にしてあげよう。
(母は親から貰った愛情は自分の子供に返しなさい、「順繰りよ」と言います)
母の思い出と言えば、太巻きと編み物の機械音(ジージー)でしょうか。
母のお弁当は、味はもちろん見た目も美しく自慢でした。
特に遠足や運動会などの行事の際は、必ず太巻き。前夜から下ごしらえをし、当日も朝早くから作ってくれました。
息子(中3)に毎日お弁当を作るようになり、それがどんなに手間のかかることかわかりました。
お弁当に思い出多い私は、やはり日々の息子のお弁当作りにも気合を入れている方ですが、
手間のかかる太巻きはまだデビューしていません。
その息子、祖母(私の母)が作るお雑煮が大好きで、この夏帰省した際、あの暑さにもかかわらず母から作り方を習ってメモしていました。
「あなたが作ると少し味が違うから、僕がこの味は受け継ぐと言ってたわよ」と母は嬉しそうに話し、
息子より小さくなった母といつのまにか成長した息子の料理する二人の背中を見ていたら、何故かジーーンときてしまった私です。
この二人の背中も間違いなく懐かしい思い出になることでしょう。
お母さん、いつまでも長生きしてね。
皆さん、素敵な思い出一杯で羨ましい!!
母と良い関係を築けず、良い思いでに恵まれなかった私はこんな世界が本当にあるんだ!
と必で皆さんの投稿を読みました。
よーし、頑張って私も皆さんのお母様みたいに想われるお母さんになるぞー。
今日忙しい仕事から帰宅して皆さんのレスを拝見しました。
仕事のストレスも忘れるくらい皆さんの温かい心を感じました。
お母さんの愛情が皆さんの心の中にちゃんと生きていると思いました。
中にはお母さんと良い関係を築けずにいても自分は頑張ろうと思って
いる方もいらっしゃいました。
すばらしい!!
確かに子供が母親を殺してしまう事件は母親との楽しい思い出がひとつも
ないのかも知れませんね。衝動的になってしまうところもあるかも知れませんが…
もう少しこのスレ続けさせてくださいね。
よろしくお願いします。
昨年他界した母に向かい、最初に無意識に出てきた言葉が
「かわいがってくれてありがとう」でした。
小2のとき、学校で本当に小さな恥をかいて皆に笑われ、
家に帰っておやつを食べている内に涙が出てきて、
母の膝に顔をつけて泣いてしまいました。
「どうして泣いてるの?」と聞いてきた姉に向かって、
「きっと学校で嫌なことがあったんでしょう。」と
静かに答え、決して私を問い詰めなかった母。
本当にありがたかったです。
今の私だったら、「何があったの?お母さんが解決してあげるから!」と
詰問してしまったことでしょう。
自分でやってしまった小さな恥ずかしいこと。
泣けば済むことだったんです。
母の膝は温かい。今でもそのぬくもりは忘れられません。




































