在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
野心の残り火なの?
振り返れば、頑張ってきたなーと。
1人で上京して勉強して仕事して。
結婚もして子供達にも恵まれて、必死に子育てして。
子供達の中学受験が終わると働きにも出かけて、趣味もやって、相変わらず家庭も回して。
一つ一つ、手に入れてきたものです。
家庭も仕事も趣味も、どれも愛おしい。
ですが、たまに、何も上手くいかなかった人生だと悲観してしまうことがあります。
「私は何も手に入れなれなかった」と。
女ではありますが青雲の志を持って上京したにも関わらず、あの頃イメージした通りに世間に名前を広めることもなく(若者特有の気質でお恥ずかしいですが、それなりの人物になれる気がしていました。)、半分専業主婦。
仕事は能力を評価されたもので給与共に恵まれてはいますが、「夢中」にはなれない。
趣味は良い仲間に恵まれたけど、無償で引き受けている役割も多く苦労もあるので、時々「何のためにこんな事を続けてるんだろ。」と思う。
他の人は、もっとノホホンと生きていて気楽そうに見える。
楽して生きれる人生が良かった…と、他人が羨ましく見える。(他人様の本当のことは分からないにもかかわらず)
ですが、そこら辺の人と人生を取り替えたいとは思わないほどは、自分のことは気に入っている。
自己肯定感があるんだか、ないんだか。
地方出身者なので、向上心を持って真面目な方だとは思いますが、その割には損をしている気分が否めません。
人生に完璧なものも、人によっては手に入らないものもあると重々承知の上ですが、足るを知る心境になれません。
皆さま、こんなものでしょうか?
私はもうすぐ50歳になります。
子供達の受験もあと2年ほどで終わりそうです。
人生のグラフはこれからどうなるのでしょうか。
>戦う相手 様
社会で戦って来られたのですね。並大抵の努力ではなかったと推察されます。本当に尊敬いたします。
「昨日の自分」に勝つのは至難の業です。
私が今までコッソリと実践してきた努力の一つに、「一つ一つコンプレックスを消していく」と言うのがあります。
例えばファッションが苦手ならば色々と研究してセンスを磨く。とかです。
ですが、年とともに時間がかかり過ぎる上に達成も見えにくくなってきています。
人間的な成長力が鈍ってきてる?と少し恐れを感じています。
>家族とのんびり暮らす中で、出かけたり美味しいものを食べたり買い物したり。
友達と遊んでみたり、仕事したり、趣味に走ったり、一人になってみたり。
このあたりで満足して留まっている中高年女性が多い中で、ここにレスしている方々は自分が進化し続けたいという覇気を感じます。
地頭という言葉で表現するのなら、たぶん地頭が良くて疲れていない人たち。
そして何よりも感じたのは、若い時に家庭人以外に自分の目標があったことによるのかもしれません。
年を重ねて、その経過は破線のグラフになっていたとしても、子供の手が離れた今からなら実線にできるかもしれません。
確かに若いころとは違って、体力的なことや身体能力(記憶力等)は衰えているかもしれませんが、私たちの世代は当時とは違って、培ってきた経験値による判断力や思考力は数段上のはずです。
脳のシナプスは使わないでいると切れてしまうといいます。
頑固なお年寄りなどを見ると、確かにそう感じます。
エネルギーのあるうちに、日々、脳を活性化してスレ主様の望む何らかのアクションを起こしたほうが、10年後20年後のスレ主様のメンタルにはいいと思います。
何もしないでのんびりより、全力を注いでそれで挫折したとしても、まだ後味が良いでしょう。
もう、家庭という充足は得ているのですから。
私は完全に火が消えたのだと思います。
この国の中では行き詰まるような気がして外国に飛び出した。
人に話せば、なんて不幸な、と言われるだろう出来事のいくつかをなんとか乗り越えた。
手かせ足かせになった最初の結婚、離婚、再婚、子育てしながらフルタイムの仕事を継続し
その道では社会的にもある程度認められるようになった。
人からはなんでそこまでやるの?と言われることをやったモチベーションは苦しみから抜け出すためだった。何かは得られたけれど、その何倍ものことを失ったと思う。
10代の頃、自分が生まれてきた意味がわからなくて命を絶つことまで考えたけれど
もがいて、もがいて、もういいや、もうこれで人生終えて大丈夫、と感じられたのが50才の時、これからは余生だと感じました。
自分語り失礼しました。
私なら、残り火があったら火種として大きく燃やし始めてしまうでしょうね。
いわゆる、やらぬ後悔よりやる後悔、というやつ。
後悔するのは慣れてますから。
どれも共感するレスばかりですが・・・
>家族とのんびり暮らす中で、出かけたり美味しいものを食べたり買い物したり。
友達と遊んでみたり、仕事したり、趣味に走ったり、一人になってみたり。
こういうことで満足できる人を羨ましく思います(嫌味でなくて心底)。
足ることを知る、というのは本人の心の平安のうえでとても幸せなこと。
でも私にはできない。言ってみれば貧乏性で心配性。
人生常にモヤモヤを抱えて生きていてこれは死ぬまで治らないんだろうな、
と思っています。
こういう性格だから仕方ない、と思いつつ、
いつものんびり満足できる性格の人がうらやましいです。
どの投稿も大変興味深く読ませていただいています。
スレ主様は、一つ一つコンプレックスを消していかれたのですね。
私は全く逆で、コンプレックスはそのままにしておいて長所を伸ばそうとしてきました。それは子供たちへの教育のポリシーでもあります。
自分のコンプレックスは受け入れて周りの人たちに助けてもらいながら、50歳を過ぎました。更年期障害を経て今は健康の維持さえ努力が必要になってきました。
>家族とのんびり暮らす中で、出かけたり美味しいものを食べたり買い物したり。
友達と遊んでみたり、仕事したり、趣味に走ったり、一人になってみたり。
ということに、私も幸せを感じます。
もしかすると、子供の頃DV家庭で育ったからかもしれません。
誰からも怒られない、怒鳴られない、叩かれないって幸せ。家族が笑顔でいられるって最高に幸せ。幸せのハードルが低いですよね(笑)
田舎者さんは、おそらくこれまで幸せな人生を歩んで来られたのではないでしょうか。(批判ではなく素直にそう思います)
もともとのんびり出来る性格の方もいらっしゃるとは思いますが、自然災害、生死に関わる病気など、自分ではどうしようもない出来事にぶつかると、平凡がいかに幸せな事かと思い知らさせます。世の人全てが「足るを知る」必要はないと思いますが、辛い経験を乗り越えられた方々にとっての平凡は、当然あるものではなく、勝ち得た平凡なのです。
スレ主さんと全く同じことを私も良く考えます。
勉強して大学へ入学し6年勉強して資格を取り、就職氷河期だったにも関わらず、昔も今も狭き門の希望の就職をすることができました。
それこそ目の前の1人ではなく多くの人を助けることが出来るような研究を…大志を抱いて邁進してきました。
結婚出産後も遅い日は日付を越えるまで仕事に没頭しました。ある事情で子供の小学校入学を機に仕事を辞め専業主婦になりましたが、それも2年ほどで、すぐに資格を使ったパートに復帰しました。現在アラフィフです。
ここ最近子供の大学受験を終えほぼ子育ても終了。子供が生まれてから「社会貢献できる人間に育てる」ことを目標に子育ても頑張ってきましたが、それも先が見えてきました。
これから衰えるばかりの自分の人生、何を目標に社会と関わっていけば良いのか…仕事もいつまで続けることができるのか(今の仕事にもとてもやり甲斐を感じています)…漠然とした不安に付きまとわれています。
心理学をかじったことがある方ならご存知かと思いますが、マズローの欲求5段階説はまさに自分が置かれている状況を言い表しているのだと思います。生理的欲求、安全欲求、所属欲求、ここまで満たされているからこその承認欲求、自己実現欲求です。間違いなく恵まれているのだと言うことは分かります。自己実現欲求は10%程度の達成で充足感を感じることができるそうです。この10%をどうやったらクリアできるのか結論は出ませんが、ここをクリアして第6の自己超越のステージを見てみたいと思ってしまいます。
ここ20年の間に、元同じ機関の研究者や同じテーマの研究者がノーベル賞を取りました。日夜惜しまずコツコツ積み重ねた努力には頭が下がります。それと同時に自分ももう少し何か出来たのではというモヤモヤは一生消えないのだと思います。
「足るを知る」、幸福感を得るためには大切なことだと身に染みます。
長々と自分語りすみませんでした…




































