女子美の中高大連携授業
本当の中川昭一
酩酊会見と揶揄されたG7での記者会見。
あのとき お付の官僚 「玉木林太郎」は、あの後、財務省国際局長から
財務省財務官になりました。
中川さんを 貶めたご褒美でしょうか。
これだけでも、中川さんが はめられたことは明らかです。
また、二カ国間融資を断り、IMFへ1000億ドルを拠出する取り決めをしたことで
専務理事のストロスカーン氏に 「人類の歴史上、最大の貢献だ」 と謝意を表明されたこと、
バイアメリカン条項に けん制し、保護主義排除決定の主導役を務めたこと、
韓国による 約2兆8千億円もの借金踏み倒し計画を阻止したことなど、
一切 報道されませんでしたが、世界経済と日本の国益に偉大な功績を残したことを
私達は知らなければなりません。
心よりご冥福をお祈りいたします。
御葬儀の際の、安倍先生の弔辞です。
「弔辞」 衆議院議員 安倍晋三
昭一さん、今日は昭一さんと呼ばせてください。
私と昭一さんとは、お互い父親が親しい政治家同士という関係もあり、家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。
私が父の秘書となり、政治の世界に足を踏み入れてから今日まで長く親交を深めることができたことは、私の喜びとするところであります。
先般の総選挙直後、お目にかかった時には、さすがにお疲れの様子でしたが、2週間ほど前、電話で話した際は大変元気で「安倍ちゃん、保守再生のために頑張ろうよ」と語りかけてくれました。
激励しようと思った私が逆に励まされました。
その矢先の突然の訃報に私は愕然とし、言葉を失いました。
再起を目指していた昭一さんの意欲に、多くの人たちが期待していただけに無念であります。
返す返すも残念であり、本人もさぞかし悔しい思いであったことでしょう。
私が初めて選挙戦に臨んだ際、昭一さんは当選3回でした。
まだ、ご自分の選挙に集中しなければいけない中で、あなたは私の選挙区に足を運び、心に染みる応援演説をしてくださいました。
当選後は国家の基本問題で大きな議論が起こった時、私は昭一さんと行動を共にしてきました。
常に昭一さんはリーダーでした。
颯爽とした若武者ぶりは、当時の私たち若手議員を奮い立たせる魅力と力に溢れていました。
今でも忘れません。
自由民主党の党網領から憲法改正の柱が削除されそうになった時、昭一さんは当時の党の重鎮を向こうに回し、堂々と論陣を張りましたね。
時は村山政権時代。このままでは日本は危ないという危機感の中で、教科書問題にも取り組みました。
中学校の歴史教科書すべてに従軍慰安婦強制連行の記述が載ることになりました。
このような自虐的な歴史観を何とか正し、子供たちが日本に生まれたことに誇りを持てる教育に変えたい。その一心でした。
当時の政治状況、マスコミの報道ぶりから考えれば、圧倒的に不利な情勢であり、まさに多勢に無勢でした。
その中で私たちは「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げ、メンバーの総意で昭一さんに会長をお願いしました。
批判の矢面に立たされる危険がある中、俗に言えば票にもつながらない、政治キャリアにはマイナスかもしれない役職を、昭一さんは「俺がやらねば」という思いで引き受けてくれました。
拉致問題でも全力投球でしたね。
憲法改正問題も同様でした。
今から思えばすべて困難な問題ばかりで、私がまだ当選1、2回の頃、若手の仲間と「昭一さんに、こんなに何でも押し付けていいのかなあ」と話し合ったことがあります。
しかし、責任感の強い昭一さんは自ら困難な問題に立ち向かい、その後、教科書の記述は改善されました。
難局に立ち向かうことで世の中を変えていく。そのためには全力で闘う。私も昭一さんの驥尾(きび)に付し、「闘う政治家」の姿をあなたから学びました。
小泉内閣時代、昭一さんは経済産業大臣、農水大臣を歴任されました。
その間、海外出張はなんと43回にのぼりました。
東シナ海のガス田問題で、あなたの毅然とした外交姿勢は資源外交の重要性、国益を守るとは何なのか、ということを私たちに身をもって示してくれました。
安倍内閣が誕生した時、私は迷わず、あなたに政調会長就任をお願いしました。
平成19年1月、通常国会で昭一さんは代表質問の壇上に立ちました。奥様のお話では、真面目な昭一さんは深夜まで何回も推敲(すいこう)を重ねたそうです。
その冒頭、昭一さんは張りのある声でこう切り出しました。
「国の骨格をなすものは、憲法、安全保障、教育であります。」
そして結びで、
「アインシュタインが称賛した日本人の謙虚、質素などの美徳を保ちつつ、誇りと自信を持った国民によって、見える部分、見えない心の部分も、共に真に美しい国、日本が実現されるよう全力を挙げて努力することをお誓いします。」
と述べられました。
私は代表質問に聞き入り、昭一さんと共に歩んできた道、闘ってきた道に思いを馳せました。
あなたの歩んできた道は国家のため、まさにその一筋で貫かれていました。
お別れの時がきました。
私は残されたご家族、ご参列の皆様に改めて申し上げたいと思います。
「中川昭一は立派な政治家でした。」
まだまだ国家のために一緒に闘ってほしかった。
私たちはあなたを必要としていました。
こんなことを申し上げていると、あの魅力的で、誰をも虜にする、はにかんだ笑顔で、
「そんなにほめるなよ、安倍ちゃん。」
という昭一さんの声が聞こえてくるようです。
国家の行く末、残されたご家族、昭一さんにとって心残りだと思います。
しかし、ご長女の真理子さんはジャーナリストとして活躍され、将来が嘱望されています。
高校2年生のご長男 峻一君はスポーツで鍛えられた精神と肉体を持った優秀な青年に成長されました。
お二人とも中川昭一の娘、息子であることを誇りにし、人生を切り拓いていくことでしょう。
昭一さんの最愛の奥様 郁子さんと昭一さんは、かねてからの夢だったエジプト旅行に来週、出発することを決めておられたと伺いました。
本当に楽しみにしていたことでしょう。
郁子さんは、昭一さんとの幸せな日々を胸に、お二人のお子様と中川家を守っていかれると思います。
そして残された私たちは、あなたが目指した誇りある日本をつくるため、保守再生に向けて全力で取り組むことをお約束し、弔辞といたします。
昭一さん、さようなら。安らかにお眠りください。
平成21年10月9日
二年前、砂防会館で行われた中川さんの追悼集会に足を運びました。
安倍さんはビデオ映像での参加でしたが、平沼さんや稲田さん、田母神さん等、保守系の方々が多数参列され、中川さんの日本国を想う政治信条を高く評価されてました。
拉致家族会の増本さんも「本当に中川さんは我々の味方だった・・」と仰ってましたね。
中川さんの亡くなる直前のHPに
「日本の水が危ない」とありました。
実際に昨年北海道の森林が懸念されてる状況になりましたね。
いつも日本の危機と闘おうとしていた方だったと思います。
今の日本は、中川さんが恐れていた通りの国情でしょう。
どうか天国で、日本の未来を見守って下さい。
合掌




































