在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
整形手術をした犯人
イギリス人の英会話講師、リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害して、自宅ベランダのプランターに埋めた疑いで指名手配されている市橋達也容疑者の顔写真が公開されましたね。
整形前の顔と整形後の顔は、眉の形や目の鋭さや、頬の感じが全然違ってて、素人目には同一人物とは思えません。
今の整形手術の技術だと、こんなにも顔を変えてしまえるんですね。驚きました。
こんな凶悪犯人(まだ裁判を受けてないから、容疑者ですね)が、いとも簡単に顔を変えて、一般人の隣に住んでいるかもしれないというのは、とても怖いことですよね。
男性に珍しいホクロ除去の依頼を受けた病院スタッフが、手術後に気づいたとか。
凶悪逃亡犯が整形など受けられないようにするチェック制度を作れないものでしょうかね~。
子供の責任は親から先祖にまであると言われるのですね。
逆に言うと先祖が悪かったから子孫が犯罪者になる、と言う事ですね。 親の因果が子に報い、七代先まで祟られるのですか?
無償の愛(後に無条件の愛に訂正)を書いたのは私だと思うのですが、それが出来るのは親だけだと思ったからです。 ここの部分は朝から様と同じなんだと思います。
しかし、犯罪者になる原因が先祖にあるような言われ方は酷いんじゃあないでしょうか。前にも書いたように、少人数の子供をたまたま法に触れる事無く育ている(今現在で)だけで、例えば自分が死んだ後に子供が犯罪者になっても分からないのです。
そりゃあ、どうしようもない親もいるでしょうが、今回の容疑者の親御さんが自業自得のように言われる子育てをしていたとは考え難いです(現時点でですが)。
親の責任は成人まで。 後は本人の責任。
親の役割は重要だと思いますが、そのあり方は千差万別ではありませんか?
育て方に教科書があるわけではありませんし、有名な大学教授の子供を始めとする教育者の子供が
犯罪に走ることもあるわけですから。
私はどうしようもない親だから犯罪者になるとも思いません。
割り切れないから「子育て」にみんな悩んでいるのだと思います。
犯罪者の子供であっても、母子家庭や親のいない子供であっても、立派に社会人としてがんばっている人もたくさんいます。
子供が成人した以降は親に責任なしという意見に賛成です。
もちろん自分の子育てについて反省することまで認めないわけではありません。
明日はわが身と思い、日々子育てするしかなさそうですね。
何でも反対様
>今、目の前にいる我が子に、今、なんと声をかけようか考えている私がいます。
>皆さんは暖かい環境を作る工夫をしていますか?
何ページ前かにも書き込みましたが、暖かい環境、親の愛情は
とても大切であると思います。
その「暖かい環境」とは、親の愛情や躾、教育もふくまれるでしょう。
教育躾等の内容は、「善悪の判断や、慈悲、相手への理解、思いやり、感謝、勇気・・・・・・・」等々いろいろあると思います。
親ではなくとも、人生でなるべくはやくそのようなことを教えてもらえる環境でもよいと思います。
でも、それらよりももっと大切なことがあると思います。
結局、「霊的人性観」があるかどうかということだと思います。
死んだら無になって終わりではない、人間は永遠の命がありあの世とこの世と順繰りに魂修行のために生きているということを知ることだと思います。
人間は愛を与えるために天国から生まれてきたということを子供が知ることです。
永遠の進歩があるので、少しぐらいの失敗せ自暴自棄にはならないのです。
たとえば、彼は大学受験に失敗して医者になれなかったそうですが、そこで、心を曇らせたらいけないと思いどどまることができるようになるのです。
永遠の修行ですから。
殺人をして逃亡するのは、自分かわいさからの行動(利己的)ですが、霊的人性観をもっていると、殺人なんかできません。ほんとうの意味での利己主義です。自分を大切にしているという意味です。
愛情ある暖かい環境は子育てにとても大事ですが、たとえその環境がなく、たとえば、6歳で孤児になって孤児院にいれられ、いじめられ愛情のない環境で育ってもその霊的人性観をもっていたら、ぐれたり、非行になったり、犯罪をおかすとはかぎりません。
神様に愛さえていることも知っているからです。(無償の愛)
又、苦難試練も人生の問題集ととらえることができるからです。
希望 さま
多分私はあなたの言われる「霊的人生(性?)観」は持っている自信はありません。
自分で気がついていないか、他人に見つからないだけで、悪い事をしていると思います。
幸い犯罪者ではありませんが、人のことをねたんだり、悪口を言ったり、嘘をついたり、
子供の頃から考えると、「やってません」「言ってません」とは到底言えません。
そんな親ですから、我が子がそんな崇高な「人生観」を持っているのかどうかもわかりません。
先天的なものなのでしょうか?それとも親の教育の賜物なのでしょうか?
私は時々我が子が犯罪者になるかもしれないと思うときがあります。
要するに誰しも過ちは犯すかもしれないということです。
そういったことにならない様にすることも重要かもしれませんが、
私は「悪い事をしたら、謝る」「罪は償う」これだけは凡人の我が子でも出来ると信じているので
教えています。
非行や犯罪はそれほど特別な人間のものだけではない気がします。
「人性」ではなく、「人生」でした。すみません。
>他人に見つからないだけで、悪い事をしていると思います。
>幸い犯罪者ではありませんが、人のことをねたんだり、悪口を言ったり、嘘をつい>たり
そうでうね。それが普通かもしれません。
別に上から目線で言っているわけではありませんので、ご理解ください。
私も。「霊的人生観」を持つようになり、自分の心をチェック(反省)するようになりましたが、人をねたんだり、悪口をいったりもします。しかし、霊的人生観を持ったあとは、妬んだあとに「だめだめ。こんな心を持ったら。~~さんごめんなさい」と思うようにしています。修正を入れているのです。(笑)修正を入れているばかりですが・・・。
何故ならば、人間って何か、魂って何か、心って何かというと「思い」なのですよ。
その人の「思い・考え」がその人なのです。
この世では、心(魂)は肉体の中に入ってますので、見えませんが、死んであの世にいくと全て心の中が丸見えなのです。
ですので、悪い行動をしてなくとも心がその悪さを思っていたら同じ罪なんですよ。
この世で表面上はニコニコにてても、心では舌を出しているとそれは心が悪に染まっているということで、マイナスなのです。(地獄にいく可能性が近くなる)
面と向かって喧嘩や悪口言っていることと同じなのです。
死んだ時の地獄が天国の判断は、心、思いのチェックなのです。
ですから、「正しき心の探求」といって心のチェックからしないといけないわけです。
死んだら、まず大きな映画観のようなところで真ん中に座って自分の一生の映画を観るんです。客席には自分よりはやく亡くなった両親や先祖、兄弟・友人たくさんが見に来るんです。
恐ろしいことに、行動だけでなく、心の中の思いもト書きのように、映像にですのです。
映像はたとえば、中学受験で第一志望に受かった友達に「おめでとう~」と明るく言ってるのだけども、ト書きでは「なんで、私が落ちて偏差値が低かったあなたがうかってるの!あったまくる」と出ているのです(汗)
しかし、愛をあたえたり、善行(心も伴って)をしている映像が出てきた時は、観客から拍手喝さいをうけたりします。
自分の人生の映画を死んですぐ客観的にみることで、自分がどこに行くか悟るのです。地獄が天国か(天国といっても次元がたくさんあるのですが)自分からいくのです。(よく閻魔大王に決められるといいますが)。
やはり、心のレベルがありますので、決められるといいますか、その世界にしか自分の心の波長が合わないので、その会う世界にいくのです。
地獄かもしれませんし、天国かもしれませんがぞれぞれの場所でまた心の修行をするのです。
あの世は肉体がなく心が丸見えなので、(思っていることが無言で相手に伝わってしまう)わかりやすい修行です。
しかし、この世は肉体があるので、(心は見えない・思いはわからない)ので、いくらでもごまかすことができるので、上級?の修行といいますか、難しい修行だとおもいます。
もちろん。この世では心で悪いことを思ってて行動にださなかったら、この世では行動で悪いことをしたよりよく思われるのですが、霊的には同じ扱いとして捉えられるのです。
「霊的人生観」は教えてもらわないとわからないと思いますよ。
でも聖人は自ずと知った方もいるのでしょうね。
「霊的人生観」をもつと厳しいですよ。
でもそれが本当の世界なので、しらないと損をするのです。
損得勘定ではないけれども、自分が損することができなくなります。
本当の意味の利己主義です。
自分を大切にしているということです。
>私は時々我が子が犯罪者になるかもしれないと思うときがあります。
こういうことは思わないほうがいいですよ。
心は磁石ですので。
我が子が成功し世の中のお役にたっていうところをイメージしていましょう。
>要するに誰しも過ちは犯すかもしれないということです
そうですね。
私は「霊的人生観」がないと人生を目隠しであるいているような感じがします。
ちょい横ですが、
親は自分の子供が殺人をするとは思いませんよ。しかも自分たちにとって優しいこどもが人を殺してしまうのは、誰でも犯す過ちという気がしないのです。気の毒に思うんだよね親御さんが。親の教育というよりは 本人の性格ではないでしょうか。どんなに宗教心が厚くても争ってますよねえ歴史では。自制心では限界があるんじゃないかなあ。
どこかで止められなかったのかなあとか、小遣いの使い方で気が付かなかったかなあとか、お前デートか?どんな彼女だとか他者の歯止めを期待しちゃうのはダメ?最近は個人情報だよなんていわれちゃうんだけどねえ。
希望 さま
私は典型的な日本人でして、初詣には行きますが、宗教については全く無知といって良いくらいです。
ただ、自制心というものは持ち合わせているので、大事に至ることがなかったのかもしれません。
例え治外法権の夢の中でも違法行為を意図して起こしたことはないのですから。
人に見られているからと感じるかどうかではない気がします。
自分の子供が、大人になり車の事故で人を怪我させるかもしれない、今いじめに間接的にでも加担している
かもしれない、子供が自分自身を殺す(自殺)かもしれない、漠然とした不安がよぎることはあるのでは
ありませんか?
でも私はそんな不安があっても宗教に頼るつもりはありませんし、そういった不安を解消するなどという
人の足元を見るようなものは今ひとつ信用なりません。
もし宗教に救いを求めるときがあるとするならば、そういった過ちを犯した後や不安が的中したあとに
なるのではないかと思います。都合良過ぎかもしれませんね 笑
被害者の御冥福と御遺族にお見舞い申し上げます。




































