在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
朝日新聞を見つめて
6月6日朝刊、「軍人の子という負い目がある一方、、、」
6月6日夕刊、韓国新聞社の日本語タブロイド紙が人気云々、、
よくやってくれますねえ。
皆さんも、お子さんとじっくり朝日新聞を読んでみて下さい。
冷静に考えると さん、
妖怪は日本的産物と申しましょうか、紐解いていくと古代まで遡るロマンがあります。
フランケンやドラキュラは西洋のオモチャです。
常人ではあがらえない魔物や妖怪、大昔の人々は妖怪に何をたとえたかったのでしょうね。
日本国は奥深くて神秘的です。以前、神社と狐の関係を読みましたが詳細を忘れました(汗)。
子供の時、地元の神社が遊び場でありながらも神さまが祀られている薄暗いほこらみたいな所には近づけませんでした。
横になりましたが、ヌエや憑依の言葉に好奇心がくすぐられます。
>資本主義、経済至上主義の恩恵を享受し、学歴競争をくぐり抜けた高給取りの記者の欺瞞と、権力者の横柄さに大した違いはありません。
誰でも努力すれば学歴競争に勝ち抜くことができるので平等じゃないかな。
学歴競争に無縁の世襲政治家や大企業の御曹司が権力を握るのが問題。
大した違いはない?
まったく違うと思うよ。
>『朝日』が真実に膝を屈した日、そのときが日本の自虐史観・戦後占領の終焉のときである。
そのような「史観」は存在しない。
>朝日がGHQに膝を屈した歴史的事実を知らないのかね。もっと勉強しなさい。
君に、この私が歴史で「忠告」されるとはね 笑
昭和天皇自ら、その保身と天皇家安泰とを求めて、事実上GHQに助命を求めたではないか。
終戦の「決断」も、それが最大の理由だ。それゆえ、必死になって旧ソ連に連合国側との仲立ちを求めたのだ。
国民に塗炭の苦しみをもたらせた日帝の支配者であり大元帥陛下でもあった昭和天皇。
なぜ、自ら自裁しなかったのであろうか。「天皇陛下万歳!」と叫んで、将兵は玉砕していったではないか。
戦陣訓で召集兵や民間人らに自決を求め、それでいながら自らは敵である米軍軍医によって助命された恥さらしの東条英機。
なぜ、短銃で頭を撃ち抜かなかったのであろうか。本当に死ぬ気はあったのか。
こんな無責任な日帝の支配者2名によって愚かな戦争に関わった当時の日本国民。
無能なリーダーを盲目的に神聖視することの愚かしさを如実に証明した。
>ふうさんは、朝日新聞が嫌いなのか?
全知さん、つまらない質問するわね。
好き嫌いなんかで新聞を選んだりしないわよ(笑)
そんなことしてたら二股皮(訓読み)と同じじゃない。
二股皮(訓読み)はきっと好きな新聞だけ購読してるわ、ご都合主義だから(笑)
長年払った購読料はいくらか返してほしい腹立たしさはあるけれど、言っても仕方がないこと(返すなんて言わないでしょうし)。
デマや嘘がちりばめられたものを長年読まされていたことを考えるとだれもがそう思うはずなんだけど、擁護している人の
気がしれないわ。
しかも、反省が足りないのに、「がんばれ」って(笑)
本当に新聞を必要としている人なら、そんな発言は出てこないはずなんだけどな。
その点では、冷静に考えると さん、あなた少し残念です。
痘痕も靨、朝日新聞の書いていることが大好きで読んでいるからそういう話になるのかしらねえ(笑)
全知さんが言うように、ひたすら擁護している人って朝日新聞信者なのかしら(笑)
怖いわね、洗脳って。
ふう さん
だから「敢えて言います」と前置きしましたよ、、まあ、ふうさんのおっしゃることもわかるけどね。
まじめな話をすると、自由さんの>国家を攻撃するものになっていないか?という指摘で思ったのだが、「権力の監視」というメディア本来の役割は確かに重要だとして、これからはもしかしたら、政府とメディアの「共闘」ということも視野に入れていかなければならぬかも知れません。国内的に情報統制(政府の都合のよい)をかけるということではなく、インテリジェンス(対外的な情報収集、発信)、国内においては自然災害、テロ(オウム事件のような)にどう共同で対処していくか、といったようなことです。メディアの役割の多様化に期待する段階に来ているのではないかと感じます。
ところで発信する情報の正確さは有事の際、その期待とともに危険性がもっとも大きくなる。ときには国民の生命、財産にかかわることもある。松本サリン事件などは顕著な例です。結果的ではあるが捜査当局があの一斉報道に影響を受けなければ、後の地下鉄サリン事件は防げていたかもしれない。今回の慰安婦報道もそう。強制連行の報道を鵜呑みにした相手国の国粋主義者が仮に「義憤」に駆られて、何某の報復行為に及び犠牲者が生じていたとしたら、「誤報でした」では済まされない問題であり、実はその危険性も否定はできなかったはずです。
イデオロギー、感情論を抜きにして「誤報」ということの恐ろしさを改めて考えざるを得ない。その意味において確かに朝日新聞社の認識に甘さは残る。その点の反省はしっかりしてもらいたい、と考えています。
危惧するのは「報道の横並び」現象。ひとつの事象についてどの報道も同じ内容であれば、多様性が失われ、フレームの多様性が失われる。結果、受け手たる我々の意見の多様性も失われる。一例だが、集団的自衛権についてふうさんと話をしたとき、機雷除去の是非については前向きに検討するべきだと述べたはず。集団的自衛権そのものに一方的に反対するのではなく、様々なケースを想定して細かく検討を加えていく、そのためのツールとして新聞(に限らず各種勉強会、シンポ参加、大学時代の他研究室との交流も含めて)を利用しています。朝日新聞を購読しているのは政権批判の心地よさではなく、同紙が緊張関係を維持していると思うからです。
先週末の社説に「土台がゆらいだ」とありましたが、その「土台」とは緊張関係を維持する正当性ではないのか、とわたしは思っています。その「土台」を再構築せよ、そういった意味での「がんばれ」ということでご理解いただければ、と思います。
>権力の監視が、マスコミの使命。
憲法学的には、報道の自由は主権者に対し参政権行使のための判断材料を提供する役割がある。
それを勘違いして「国家を攻撃する」とは。何をお門違いなことを述べているのか。 (二俣川君)
君からテキスト片手にそんなことを言われなくても、国家権力を監視するマスコミの使命など理解しているが、私が書いたのは、
>弱者の気持ちを離れて、
弱者の現実を脚色、創作し、それを道具として、
国家を攻撃するものになっていないか? (自由)
であって、
二俣川君が、
>国家を攻撃する
だけを切り取って、自分に都合の良いことを書く・・
そういう態度が、今回の朝日新聞の度重なる誤報で露呈したマスコミの問題なのだよ。
国家権力を監視すると力むあまり、情報操作をしてしまったら、つまるところ、国民の判断を歪めることになる。
マスコミが国家権力を監視するという理屈で暴走しないよう、国民は、国家権力はもとより、マスコミを監視することが必要である。




































