女子美の中高大連携授業
小保方論文不正事件の根源責任は早稲田大学にある
早稲田大学は、粗悪な教育を施し学位論文を杜撰に審査して資格の無い
者を博士にした。その結果が小保方をして本件事件を引き起こさせたも
のである。早稲田大学は、世界の科学界と日本社会に大きな損害混乱迷
惑を与えた。
よって、早稲田大学は、世界の科学界と日本社会に向かって謝罪すべき
である。
イギリス人にしてみれば、
>わざわざ成文の憲法典を作らなければ、
国民がそれを守らないような民度の低い国ではない
というプライドを持っているのである。
共和制・大統領制の隣の国とすごい違いである。
はっきり言って、国民の民度は、君主制、共和制の違いは関係ない。
象徴天皇制をいじる必要なし。
>アベノミクスなるまやかしによって、たしかにごく一部の大企業の労働者の賞与は増えたらしい。
しかし、その大企業に入社できるのは、学卒者のうちごくわずか。しかも、丸の内を闊歩する彼らの多くは、コネ入社組だといわれる。
そのようなとき、あなたの子女らに、はたして「機会の平等」があり得るだろうか。
アベノミクスの最大の功績は新卒者の雇用増である。
株価だけではない。
不景気になればなるほどコネなし入社は難しくなる。
昨年当社は専門卒を2名内定した。
当社は売上高約600億円で、上場企業である。
アベノミクスが無ければ彼らは厳しい就職活動を余儀なくされただろう。
ちなみにグローバル競争の時代、コネ入社ばかりで会社経営したらどうなるかサルでもわかる。
>アベノミクスの最大の功績は新卒者の雇用増である。
雇用については民主党菅政権時から雇用、雇用、雇用と雇用増に取り組んでいた。
安倍政権における政策の成果ではない。
現実に国内総生産は減少している。
にもかかわらず雇用者数が増えたのは非正規労働者増や円安によって
労働者ひとりひとりの生産能力や所得が減少しているともいえる。
アベノミクスはわが国にとって極めて危険な方向へと向かおうとしているのである。
スレッドとずれて申し訳ないが、アベノミクスは、レーガノミックス(レーガン大統領)のもじりだけれども、アメリカでは賛否両論あれども経済失敗作の代名詞。民主党のマニフェストも同様。何から何まで真似事。マスコミが言うのはともかく、本人らが満足しているのは情けないのよ。この国の政治の幼稚さを表している。
;ナチスを「社会主義」に含める根拠は何かね。:
???。また知見の浅さが出ましたね。そう言えば、一部改正と全部改正の差と言う法律の初歩ですら満足に理解していない自称「法律の玄人」でしたからね。(^O^)
国家社会主義は、重要産業の国有化と国家による経済統制による改革を手段としています。マルクスのプロレタリア独裁とかとは少々、違いますが、自由主義、資本主義とは明らかに違います。これを最初に提唱したラッサールは普通選挙によって国家や政府が労働者階級の権利や利益を反映して社会主義政策を進める事を主張していました。事実、第2次世界大戦前においては、独は、ヒトラーの経済政策により、いち早く大恐慌から脱したのは事実です。
また、ソ連型の社会主義建設もデービッド・レーンによれば「国家社会主義」なのです。
つまり、キリスト教で言えば、ローマカトリックか、ギリシア正教かのレベルなのです。同じ穴のムジナ。
:その論法でなら、あの北朝鮮も正式国名は、「朝鮮『民主主義』人民共和国」である。(中略)あの国も民主主義国家と認定するわけだな。:
君たちの世界では、かの国は、「地上の楽園」であり、拉致などは、日本の反動層のでっち上げと言っていたではなかったの?(^O^)
:日本では民主党政権が勤労者国民の利益にかなう所得の再分配路線(たとえば、『子ども手当の支給』)を実行した途端、累進課税を敵視する高額所得者層のみならず、正真正銘労働者に属する人々からも「サヨク」攻撃が始まる始末。:
当たり前でしょ。(*゚▽゚*)自民党政権時代の所得控除の方が、民主党政権の子供手当よりも多くの金額が家庭に入っていたってことは、前にも教えてあげたでしょ?小学生並みの計算も出来ないの?(((o(*゚▽゚*)o)))
もっとも学問に対し、真摯な態度な投稿されたい。(=‘x‘=)
近代憲法は、国民と国家の社会契約であって、その証として成文の憲法典を作成する、そういうケースがほとんどだが、イギリスなどは、成熟した市民社会のなかで、国民と国家は絶えず契約を更新しているんだ、それは通常の法律の形式で、あるいは慣習法として生きている、ゆえに成文の憲法典など必要ない、そのような体制をとっている。
つまり、成文の憲法典があるかないかという形式的なことよりも、実質的に近代憲法が現に存在しそれが機能しているか、それが重要であるということ。
例えば、
いま、聖徳大使の十七条憲法が生きていたら、成文の憲法典はあるといえるが、実質的に(近代)憲法があると言えるか?
そういった意義において、形式的意味の憲法、実質的意味の憲法という分類がなされる。
そういう文脈で考えると、
>護憲と言うとき、成文法に拘る必要は、本来ない、だけれども、それでは法的安定性が保証されないので、成文法重視、そういう順番だと思っていたのです。
これは、そのとおりで、
形式的意味の憲法が、実質的意味の憲法と乖離するときに、成文の憲法典の条文が死文化することがあり得る。




































