女子美の中高大連携授業
「女性宮家」創設へ
皇室の弥栄を願います。
(再掲)
ちょっと整理すると、
①天皇制を廃止して失う有形無形のもの。
②天皇制を廃止して得る有形無形のもの。
このふたつがあるのだが、
いま話題になっているのは、①だけで、
二俣川は「ある」ことは証明できるが、「ない」ことは悪魔の証明だから証明不可能、よって「ある」ことの内容を説明せよ、と開き直っているのだが、
そもそも、二俣川が天皇制廃止という変化を主張するならば、②を証明しなければならないのであって、さらに①のマイナスも含めて合算してプラスだと説明しなければならないのである。
変化を求めない、現状維持でよい、象徴天皇制で構わないという人は?・・何にも証明する必要はない。議論する、議論しないも本人の自由である。
そういう意味で、
二俣川の立場と議論をしようという相手の立場は、対等ではなくて、それゆえに、もこもこ君は相手に聞いてもらえるよう態度をとるよう努力すべきと諭すのだが、二俣川はまったく理解できないようである。
世間のみなさんは、二俣川のヘンテコリンな主張など、
はっきり言ってどうでもよいのである。
横レスで恐縮だが、話の参考程度、、
>①天皇制を廃止して失う有形無形のもの。
数ページしか読んでいないので、これがあるか否かといったような流れだとしか把握できていないが、これはある「だろう」というのがわたしの考え方。
1、国内的な権威
蘇我・物部氏の争い、あるいは天文法華の乱のように物理的衝突はさすがに現代の我が国では想定できないが、政治の場では想定できる。例のカルト宗教は政治の場を志向したし、国政選挙、地方選挙に候補者を擁立する新興宗教団体も後を絶たない。あるいは宗教色を糊塗して、大きな支持母体をバックにキャスティングボードを握る政党も更なる影響力を高めるかもしれない。
キリスト教、13宗派、新興宗教などその本質が拡張主義であるかぎり、いつ何時、これらが国政に関わってくるかは誰も予想できない。神道が宗教か否かという議論はさて置いて、少なくとも拡張主義はとっていない。政治とはもっとも遠い対極にあり、且つ、我々国民の文化として定着している。このこと自体が特定の宗教的志向を抑止する防波堤になっている、つまりその寛容性が逆に諸々の狂信性を緩和する役目を帯びている、という見方ができる。その表象が「象徴天皇制」ではなく、「天皇象徴性」論といわれるもので、ひとつの政体的役割も、実は無視できないと考えるところ。
2、外交上の権威ー国威
天皇ご夫妻の比国訪問が来年度予定されているが、外交序列というものが現に存する。一時期、親書の肩書を公式に表明した国(カナダだったか?)もあったが、我が国の「天皇」はどこの国であっても外交儀礼上、大統領、首相と比しても最高位の接遇を拝される。件の親書におけるアドレス・フォームでは各国諸王よりも上である。これは諸外国が我が国の「天皇」の存在を日本国の歴史を表象するものとして敬意を有しているからであり、少なくとも先のようにローマ法王、習近平氏の同時訪米といったような事態が生じたとして、欧米各国において今上天皇はローマ法王と同格の接遇を拝されるだろう。経済・軍事力より上の形而上の価値観、外交上これが共有(一部の国を除いて)されているのも事実である。これが我が国の大きな外交力になっていることは否定できない。
以上が現「象徴天皇制」を維持するうえで(これだけではなかろうが)、わたしの思いつく「ある」もの、すなわち同時に廃止によって「失われる」ものである。




































