女子美の中高大連携授業
「女性宮家」創設へ
皇室の弥栄を願います。
天皇皇族の行為に敬語を付して報道するのはマスコミが国民に「ない」ものを「ある」ものと錯覚させる要因となっていないだろうか。
天皇皇族を敬語で報道すれば国民は混乱し、「天皇皇族は尊敬しなければならない」といった誤認を招く恐れがある。
皇族や王族に敬語を付けて報道するのは日本と北朝鮮だけ。
かなり異常な状態である。
これからは天皇皇族の敬語報道を一切やめて、
「天皇陛下」を「クソ天皇」に呼称変更していただきたい。
国民を洗脳してはならないのである。
前掲のシンポジュウムで、今谷明氏が述べるところの
>・・・以上、天皇制が長く続いてきたのは、歴史の早い段階で実力を捨てて、名目的な地位に「祭り上げられた」からだとの結論である。これは、格別、目新しいものではなかった。
実力を得た摂関家や幕府にとって、名目的な天皇位を無理に奪う必要がなかったし、それをやれば、幕府を支える御家人や大名たちの離反を招く恐れがあった。彼らは、将軍を「共立」したのであって、名実を得た将軍に、生殺与奪の権利を持ってもらいたくないのである。
これは、平安時代より「権威」と「権力」が分離することにより、天皇が権威の象徴としてバランサーとして機能していたことを示すもので、
私が思うに、
もしも、象徴天皇制が廃止されたら、平和裡な社会が失われ、なんでも権力闘争、ロベスピエールの恐怖政治を生む危険性があると考える。
二俣川が言っているほど、純粋な共和制なんて素晴らしいものではないのである。
二俣川さん
お答えありがとうございます。
最終的に社会主義はお変わりないんですね。
何か心境の変化でもおありだったのかと思いましたので。^^
菊のタブーといわれますが、好き勝手に週刊誌に書かれて、どこがタブー?
皇国史観に惑わされてるといわれますが、戦後教育を受けてれば、
世間知らずの間は、税金で優雅に暮らしてる人という認識じゃないかな。
私はそうだったし、ひまわりさんでさえそうだったとおっしゃっていました。
天皇陛下の滅私のお姿と海外からの敬意、多くの人はこれを見て認識が変わるんだと思います。
なくなったほうがいいと思う日本人はごくわずかでしょう。
よ~く考えさせれば、逆に大事な存在なんだと気づいちゃう。
戦前でさえ、天皇陛下ご自身が権力を振りかざされた気配はない。
権威だけの清らかな状態では倒すべき対象にならないんだと思います。
徐々に穏やかに廃止・・・、民主主義だから不可能ではないよね。
外国人参政権、移民、帰化は慎重にってことですね。
>天皇皇族の行為に敬語を付して報道するのはマスコミが国民に「ない」ものを「ある」ものと錯覚させる要因となっていないだろうか。
それはある。
単なる象徴なら皇室に特有の敬表現などいらないが、敬表現にならざるを得ない国民の圧力がまだまだあるのであろう。
天皇をいまだに神と信じるアホな国民もかなり存在しており、天皇教として何を信じても構わない以上、その勢力の圧力はある。
ただ、「ある」といっているだけで天皇の存在が人権概念から妥当に導かれたとはいえず、現行憲法上は論理的な整合性をもつに至っていない。ただ理屈なく「例外」として扱うしかなく、驚きを禁じえない。笑
w
以上の歴史学者今谷明氏の見解における天皇の「権威」としての象徴性は、憲法学者佐藤功が以下で言わんとする「国民主権下の君主制」に他ならず、この象徴性が平和裡な日本社会の実現のため機能している。
日本社会には、共和制によるロベスピエールの出現など必要ない。
「この憲法下の日本国は伝統的・典型的な君主制には属さないが、同 時に伝統的・典型的な共和制にも属さない。その意味では「中間的な国家形 態」であるともいえようが、そのような位置づけはなお伝統的な君主制と共 和制との基準に基づいた位置づけであり、むしろ新たな君主制の基準に基づ いて「国民主権下の君主制」とよぶことが適当であろう。」(『憲法(上)新版』 佐藤功 35-37 頁)




































