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投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 09月 23日 17:15
皇室の弥栄を願います。
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【3877097】 投稿者: 自由 (ID:TRgtroXQvqc) 投稿日時:2015年 10月 18日 08:44
かつて若い頃に、「天皇家はなぜ続いたか」(今谷明氏ほか、新人物往来社1991 )を読み、天皇制の「権威」と「権力」の分離を強く意識づけされたところで、
ご参考までに、今谷明氏のこの書籍に関連するシンポジュウムの一節。
>第2章 権力から権威へ・・・今谷、山折哲雄、横井清、阿部泰郎、赤坂憲雄によるシンポジュウム
(2)シンポジュウム
2.今谷 明「象徴天皇の発見」は、象徴天皇制は戦後の憲法によるものではなく、摂関政治で幼い清和天皇が858年に即位したときからだというものである。つまり天皇は政治をするものではなく、神を祭る存在なのだから子供で良いということである。確かに、政治は汚い取引や妥協を行うものだし、それは藤原氏が引き受け、とりわけ清浄な子供が・・・よい、ということだったか?
しかし、その清和天皇の孫経基王が源氏となって臣籍に下り、子孫が鎌倉、室町、江戸幕府を興し、藤原氏にとって変わったのだから皮肉と言うよりほかにない。
平安時代には政府による(政治犯の)死刑は廃止された。これは、怨霊思想と仏教の殺生を忌む風潮による。764年の藤原仲麻呂の乱では、300人が逮捕され処刑されようとしたが、側近の和気広虫が(考謙)称徳女帝を止めたことから死刑を避けるように、流刑や出家によって助命することになったのである。
(中略)
日本では、実力者が意に沿わない君主を「押し込め」て「廃立」し、別の継承権者を君主にたてるという慣習ができたが、これも、平和的に名を捨てて実をとることで社会的非難をかわす手段だった。
・・・以上、天皇制が長く続いてきたのは、歴史の早い段階で実力を捨てて、名目的な地位に「祭り上げられた」からだとの結論である。これは、格別、目新しいものではなかった。
実力を得た摂関家や幕府にとって、名目的な天皇位を無理に奪う必要がなかったし、それをやれば、幕府を支える御家人や大名たちの離反を招く恐れがあった。彼らは、将軍を「共立」したのであって、名実を得た将軍に、生殺与奪の権利を持ってもらいたくないのである。
(中略)
日本の場合は武士だったが、一家を殺すことはあっても族滅はなかった。秀吉による甥の秀次処刑も、当然ながら秀次以下の家族であって、それでも十分に残酷で秀吉の評判を落としたし、何より、妻の北の政所ねねの離反は、ねねに連なる大名たちの離反、そのための関ヶ原敗戦、さらには豊臣家自体の滅亡に結果してしまった。
ということで、天皇家の存続は、それを支える実力者たちの存続を(子孫の継続を)保証するとまで言えないにしても、彼らにその希望を与えるものであったに違いない。たとえ、光秀のように主君信長を討って、主殺しとして討伐されたとしても族滅はなかった。現に、娘の細川ガラシャは救われたし、有力家臣の娘は生き残って春日局として権勢をふるっている。
そういう意味では、太平洋戦争での一億玉砕のスローガンは歴史的に異様であった。これこそ歴史的に「異形の統治」と言わねばならないが、結局、革新将校たちは(東条英機も永田鉄山暗殺後の統制派リーダーだった)、「およそ例という言葉をば、向後は時という文字に変えて」と言った山名宗全従って伝統を捨ててしまったのである。
天皇家の存続は文化の存続でもあった。古代史学者の古田武彦は、古代文化がほとんど無傷で残っているのは日本だけだと言っている。かれは天皇制反対論者なのだが。その点、網野善彦と同様に、実証的に認めるべきは認めるという態度であった。 -
【3877098】 投稿者: 二俣川 (ID:6xt24Znwja.) 投稿日時:2015年 10月 18日 08:46
>雨宿り (ID:dOFPdv4rXXg)さん
ご意見ありがとう。
ぜひ、あなたからも「ある」とお考えの事項につき、
その具体例をお示し願いたし。
問題提起が多いほど、議論が活性化する。
百家争鳴になることを大いに期待。 -
【3877104】 投稿者: 自由 (ID:TRgtroXQvqc) 投稿日時:2015年 10月 18日 08:54
まあ、以上のようなことなので、
天皇は、日本国憲法以前の存在であって、
二俣川が憲法の本を書き写して捏造し、
象徴天皇制廃止論をぶったところで、読むに値しない。
二俣川がやるような中学生レベルのイタズラではなくて、
教養ある議論を期待したい。 -
【3877105】 投稿者: 二俣川 (ID:6xt24Znwja.) 投稿日時:2015年 10月 18日 08:56
罵詈雑言専門の中傷屋が、招いてもいないのに押し掛けてきた。
しらっとして。
今さらどのツラ下げて、というものである。
どうせすぐに本性を表すことであろう。
御引き取り願いたし。
相手にするつもりなし。 -
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【3877106】 投稿者: 自由 (ID:TRgtroXQvqc) 投稿日時:2015年 10月 18日 08:57
二俣川=荒らし
注意されたい。 -
【3877108】 投稿者: 二俣川 (ID:6xt24Znwja.) 投稿日時:2015年 10月 18日 09:01
今度は「話題泥棒」までするのか。
悪事のレパートリーが広いね。
キミは、一人で私への異常な粘着を孤独に自演していなさい。
それがキミの生きがいなのであろう。
哀れみ、そして同情する。 -
【3877109】 投稿者: 冷静にかんがえると (ID:b5W/jTSdfng) 投稿日時:2015年 10月 18日 09:03
二俣川 さん
レス感謝申し上げる。わたしもいつもよりだいぶ早起きをしたため、先ほど近所のマラソンから帰ってきたところ。
ところで前提が「有形無形」であるなら、論証は先の書き込みで充分であろうと思慮する。「ある」ものを「在る」ものとしてこれにどの程度の価値を認めるかは、論者による相対的な判断に委ねるしかない。
>突っ込みどころ満載である
もちろん大歓迎である。そもそも「ある」ことを題材として話の端緒となり得るというのが、一連のスレの流れであるというのがわたしの認識なのだが、、
題材は提供させていただいた(つもり)。
話を繋げるのであれば、応じさせて頂きたいと思う。神道の本質論から他宗教への関りから説いていくことも、「天皇」というものを考察するひとつのアプローチであろうし、あるいは外交儀礼に関わる考え方も別にわたしのオリジナルではなく、このような考え方に基づき外交が為されているという現実(尚、この点は詳しくは書けないものの、多少の経験則に基づいているということを付言したい)を書き込んだに過ぎない。あるいはご参考として公益法人、日本国際フォーラムにおける元在フランス大使の平林博氏の「日本から見た世界 世界から見た日本」、あるいは田中均氏の「外交の力」(日本経済新聞出版社、2009年)などを挙げておきたい。 -
【3877111】 投稿者: 音速の貴公子 (ID:sOFXcrlCz1Y) 投稿日時:2015年 10月 18日 09:04
>あなたは当初の自らのご主張とは裏腹に、ご自分自身が本スレの主役になりつつある。 ミイラ取りがミイラになった、感あり
もう初めからそのつもりだったように思う。その後の記述をみても真摯な内容の書き込みが皆無。笑笑笑笑
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