女子美の中高大連携授業
「女性宮家」創設へ
皇室の弥栄を願います。
二俣川さん、
>大いに問題がある。国家の基本法であり、最高法規でそのような矛盾の内包が許容されてしかるべきものであろうか。その影響は、国宝形式上、法律等の下位規範にも及ぶのである。
>また、国の最高法規に本質的矛盾を抱えていること自体、
憲法実質化への論理的脆弱さを生んでいる。
個人の意識の次元の問題ではない。
>むしろ、国民主権主義との関係上、違憲の疑いがあると考えることが論理的帰結ではないか。
二俣川さんが、民主制と天皇制を何とか整合努力した憲法第1条に瑕疵があると判断されても、資本主義国家の富の再分配の不平等性を第1条の改憲で解決できる問題とは思えないのですが。
例えば、お召し列車や天皇家の移動に伴い、道路等の交通制御といった「優先順位」の力学が働くわけですが、サミット開催による要人警備や総理大臣の等政治家の移動などに伴い、一般国民が被る様々な不便もあります。また、医療においてもVIPの手術措置の「優先順位」も存在します。
つまり、天皇制を廃止しても世にある強者とそれ以外の者の経済的、社会的「優先順位」の力学などは変わらないと思います。資本主義がもたらす経済格差や不平等の是正は天皇制の有無ではなく細かな法整備でなされることです。
>民主制と天皇制という対立する二者を調和せしめるために、憲法は、天皇の制度に根本的な変革、つまり、象徴天皇制で折り合いをつけたという意味で書いている。 (自由)
この点についてちょっと補足だが、
二俣川の国民主権の概念には、①国民(ナシオン)主権、②人民主権(プープル)主権、の未分離、混乱が見られる。
言うまでなく、
日本国憲法の国民主権の概念は①であって、集合概念の国民を指しており、個々の国民を指すものではない。仮に、天皇が象徴ではなく、君主だったとしても、君主制と国民(ナシオン)主権は論理的に両立する。
二俣川の知識不足である。
失礼。
(誤)二俣川の国民主権の概念には、①国民(ナシオン)主権、②人民主権(プープル)主権、の未分離、混乱が見られる。
(正)二俣川の国民主権の概念には、①国民(ナシオン)主権、②人民主権(プープル)の主権概念の未分離、混乱が見られる。
紙つぶてさん
おはようございます。
さて、あなたは誤解なさっている。
私はけっしてマルクス主義から天皇制廃止論を唱えている訳ではない。
むろん、史的にはヤマト朝廷も朝鮮からの征服王朝の末裔だと考えている。
まして、巷間流布される天皇に関わる情報は、明治以降作為的に作られた皇国史観によるものだと確信している。
だが、再三申しているように、本件は純然たる憲法学の解釈として私はそれを唱えているのである。清宮博士が指摘した如く、国民主権原理からみて天皇制は矛盾する存在だ。しかも、憲法自身が国民主権をして人類普遍の原理だと自認する以上、その至上価値性からみて当該原理の絶対性は明白である。
したがって、当時でこそそのような政治的事情による妥協の産物を容認せざるを得なかったとしても、施行後68年経た今日までそれを継続せねばならぬ事情はあろうか。
たしかに、現憲法に象徴天皇制は現存する。しかし、それは制定直前までが天皇独裁体制だったとのわが国の沿革に加え、当時最大の権力者であったGHQ(米軍)による天皇制存置での政治利用との事情が存したからだ。日帝がポツダム宣言を受け入れ無条件降伏した事実に鑑みれば、天皇制が残ったこと自体むしろ異例であったのである。
もっとも、違憲性高い象徴天皇制であっても、すでに国民に定着しているという評価も有り得る。そうであるならば、その例外であることをあらためて銘記し、世襲天皇制維持に最小限度のみ制度設計を改めるべきであろう。ゆえに、宮家の復権などもってのほかだと考えるのである。
なお、不思議なことは憲法改悪派の面々の矛盾した姿である。
すなわち、片や本来廃止されるべきであった上述天皇制の定着(による世論からの支持)を肯定しながら、他方でそれを含む日本国憲法自体の定着という事実からは目を背けるのである。
何とも筋の通らないありさまではなかろうか。
二俣川さん、
おはようございます。
ご丁寧なレス、ありがとうございます。
実は今から旅行に出かけますので(^^)/、少し猶予をください。
ひまわりさん、
男子継承についてのお話、興味深く拝見しています。私は「感覚的に」男子継承賛成者なので理論的なおとしどころがあれば、女系天皇容認派になるかもしれません。宮家の創設も愛子さまと秋篠宮家の内親王についてはアリかなと考え中です。
ほいなら、行ってきます~ (^^)
論点にしていない事柄を勝手にでっち上げ(昨日指摘したAの件にBの話)、
それで以って他人を攻撃するのがこの男の常とう手段。
以前にも、なにゆえか唐突にサンデルの思想まで持ち出してその是非を迫ってきたこともあった。不可解なことばかり。
今日の唐突な「人民主権」どうのこうのも、ネットで為したニワカ勉強によるものであろう。
また、それを軽率に自慢ありげに声高な主張するのも初学者共通の心理。
そんな程度の知識は、憲法を学んだ者であれば所与の前提である。
ちなみに法学系大学院では、院生の豊富な知識を如何に論点に忠実に「削り落としていくか」が
論文作成のイロハのイとの指導を受ける。何でもかんでも書き込めばよいというものではない。
かえって論点がぼやけ、主張が不明確になってしまうからだ。
もっとも、「ウィキ」何とかからの怪しげな引用でさえ平気で行うこの男のこと。学部生でさえ知っている常識的作法すら知らないこの人物に、院での専門指導の一端を求めることなど到底無理な期待なのかもしれない。




































