在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
歴史はロマン
古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。
こんにちは。
冷静にかんがえると様
>現在でいう大阪府茨木市太田か、あるいは高槻市群家新町か興味の尽きぬところである。考古学の定説は後者であると何かで読んだことがあるが、この論争の末は追っていない。どなたかご存知の方がいれば是非、ご教示いただきたいと思う。
本当に、学術調査が待たれるのですが・・・。
この継体天皇稜だけでなく真の被葬者がわかっているのは天智・天武・持統天皇陵くらいではないでしょうか?
あやふやな古墳を陵墓参考地によって天皇陵として振り分けた事。宮内庁はそれを否定する学者たちの声に一切耳を貸しませんし、いまだ宮内庁の管理下という理由だけで一切立ち入り禁止で学術調査も許されません。
彼らが守ろうとしているのは歴史の真実ではなく、先例のないことを実践したくない官僚体質から来るものであるならば、まさにこれはお役所仕事。
>世界文化遺産2017年登録推薦は宗像・沖ノ島が選ばれた
このニュースは嬉しく拝見しました。
ユネスコにはちょっと言いたい事もあるのですが、それは横においておいて。
この三女神、皇室とは親戚筋にあたりますが、履中・雄略・継体天皇の半島への挙兵を反対し妨害しています。
大和王権による国家的奉斎を受けていながら、皇室に祟っている女神様ですから驚きました。当時の玄界灘の制海権を握っていた磐井氏と大和の間でなにか戦闘があったのでしょうか?
手に入れた新書の「継体天皇と朝鮮半島の謎」はまだ読んでいないのでわかりませんが。
>ワクワクしませんか?
ワクワクしますが、同時に頭がグラグラします。
「磐余山」、、、、気付きもしませんでした。それに全く知りませんでした。
冷静にかんがえると様・・・レッレベルが違いすぎます!!
こんな凄い人とお話していていいんでしょうか???
> 神武天皇は「神日本磐余彦皇尊」、継体天皇の遷都は大和における「磐余玉穂宮」
知ってはいますし見てはいるんですよ、、、字面を追っていただけなんですよね。
これでは謎解きはできませんね~~。
しかし、なんて面白くて楽しいんでしょう!
この郷土の地名が千数百年以上前の古代にまで繋がっているのは実に面白いです。出来る限り地名は変えたり消さずに残しておいて欲しいです。「さいたま」など安易に歴史に繋がる地名を消去したりする傾向にあることは本当に残念だと思います。
ひまわりさん
おはようございます。
>この継体天皇稜だけでなく真の被葬者がわかっているのは天智・天武・持統天皇陵くらいではないでしょうか?
おっしゃるとおりですね。
「万世一系たる皇統を奉戴する帝国にあって、歴代山稜不明なる如きは外交上、信を失うの甚だしきものなれば・・・」(明治天皇紀、1889年)ということで、墳丘の形状調査も等閑に、根拠もあやふやなまま取り合えず「治定」したこと、その際の文献考証も満足に為されなかったことが、大きな原因といえるのではないでしょうか。ただ継体天皇陵については、茨木市太田の陵墓が限定公開されたんじゃないかなあ(10年以上前のことで、よく覚えていませんが)、、
>ユネスコにはちょっと言いたい事もあるのですが、それは横においておいて。
はは、、わかります、まあスレチですからね。でも我が政府は拠出金の削減・停止等の検討をするみたいですね。
>この三女神、皇室とは親戚筋にあたりますが、履中・雄略・継体天皇の半島への挙兵を反対し妨害しています。
大和王権による国家的奉斎を受けていながら、皇室に祟っている女神様ですから驚きました。当時の玄界灘の制海権を握っていた磐井氏と大和の間でなにか戦闘があったのでしょうか?
う~ん、、これ、すごく語りたいところです。でも長くなるからなあ、、ざっくり書くと、継体天皇は筑紫の磐井氏を鎮圧して百済の学官(五経博士)を受け入れたことになりますね。たしか水谷千秋氏の本にもその辺りのことが詳しく書かれているんじゃないかなあ、、雄略天皇の場合はご存知のように、「宋書」から説く学問的アプローチが一般的ですね、例の倭五王にいう「倭王武」の比定です。ひまわりさんの読了後に機会あれば話を拡げたいと思います。
>レッレベルが違いすぎます!!
そういうの「なし」にしてください。わたしだって殆どが書籍からの受け売りで、専門的に研究なんてしたこともないんですから。話を繋げることで、「どこそこの風土記読むと面白いよ」とか、「こういった見方をすると面白いよ」とかいうことで、思索を巡らしながら疑似体験をしたいだけですから。寧ろそのような場を立てて頂いたあなたに、感謝しているくらいです。
古い論考だが、宗教学者の丸山照雄氏が次のように述べている(以下、一部要約)。
「今日の天皇制の現実を押さえれば、彼らが企図している改憲の内容、天皇条項の変化の内容というものを読み取れるはずです。国家というものに明確な思想を与えようとしている。国家が思想によって武装し、国民を支配する。そして国家の思想に反対するものは異端ですわね。国家によって、善なる思想と悪なる思想は選別される。その選別によって、悪い思想を持った者には人権はいらない。国民としての資格を失っているのだから、そういう人たちには人権を認めてやる必要はない。日本が嫌だというのならどこか他の国へでも行きなさい。
国家が天皇制の思想を持つということはそういうことだと思うんですね。天皇制に反対して一生懸命に頑張るような人というのは、それは国家の理念に反する人々であって、それは国家を善とするならば悪なる人である。そういう人は人間じゃないということになる。
やがて国家の思想が神聖なものだとなってくると大変ですね。それに逆らうものは殺してもいいということになるんです。かつての天皇制がそうでしたね。天皇という存在は国家の理念を代表していて、それは単に善悪の基準ではなくて神聖なるものへの反逆だと規定した。神聖性で裁いた。天皇という存在は、常にそういう危険性をはらんでいます。
象徴という言葉を使うかもしれないし、元首という言葉を使うかもしれない。内容として神聖性に近づこうとしている。国家の思想を体現する存在として天皇が位置づけられてきたんです。『天皇制批判の思想』より」
歴史学者の井上清先生も、以下のように述べている(一部要約)。
天皇制なるものを明治政府がでっち上げた様子がよくわかる。
「天皇制は、日本社会の村落共同体的構造、家父長制家族制度※、神社崇拝という宗教的構造に支えられた力を持っている。それを政治制度的、法的な権力に組み立て表現したのが近代天皇制の表層です。
明治維新で近代天皇制ができるとき、日本の一般の人民は天皇というものを全然知らなかったですよ。だから、天皇に対する憧れが日本国民の心の中にあってそれは昔も今も変わらないというのは歴史的事実じゃない、ウソ。ですから、明治の初めに天皇制を創り上げていく時に、支配者たちは苦心惨憺するわけです。どうやって何にも知らん、ま、農民が大部分ですがね、百姓たちに天皇というものを知らせるか。
その時彼らがやったことの一つに「天皇」という言葉は使わない。もっぱら天子様という。
『この日本という御国は、天照皇大神宮様がお造りになったんだ。その天照皇大神宮様の御子孫様が天子様というて、今もいらっしゃる。この天子様は全国にあるお稲荷様よりももっと偉いんだ。お稲荷さんが正一位という位にあるのは、あれは誰が一体くださったのか、それは天子様が下さった。』こういうふうに天皇を宣伝していった。
つまり、天子様というものを政治的君主としては意識しないけれども、ある自分たちの心のよりどころみたいなものとして畏敬する。これは早くできる。近代の天皇制をこしらえた官僚、政治家たちがさすがに創業の政治家だったと思うのは、日本社会の現実に根差した『天子様』の民衆への定着から始めたということです。『近代天皇制の深層』より」
※いわゆる「女に三界に家なし」の仏教的封建制を制度的に確立した。
すなわち、今日において天皇制イデオロギーを支持するということは、戦前のように女性自ら男に比べ法的に(参政権なし。女性にのみ姦通罪適用など)、慣習的に半人前であることを自認し、甘受することになる。




































