女子美の中高大連携授業
共産主義と民主主義
マルクス・エンゲルスの創始した、プロレタリアート独裁で資本家や大地主を認めないという共産主義。生産手段の社会化(国営企業)により搾取する者とされる者がいなくなるという。 そして人民はハッピーになるというバラ色の未来。
果たしてそうか? 例えば同じ労働者階級に権力を揮う立場と従う立場が産まれないのか? 貧富の差ができないのか? 権力を握った者は反対派を粛清して独裁者にならないのか?
ソ連、東欧、北朝鮮、中国の人民は本当に幸福だった(なの)か? 共産主義のもたらしたものは何か? そんなことを語り合いたい。
以下につき、何をおっしゃりたいのか、よくわからない。
恐縮だが、再度整理されて問題提起願えまいか。
>資本家がとるべき判断、責任は、労働者の責任になるのだが、責任については、バラ色の世界はない。マルクスを見習って、お金がなければ、ブルジョアに無心してなんとかしようにも、そのブルジョアは存在しないのである。
利益は欲しいが、責任は取りたくない、人間の本性のままならば、労働者のエゴが最大化される。一部俺は責任をとるという者もいるかもしれないが、労働者の総意とはならないだろう。
結局は、責任はとりたくない労働者がほとんどなので、国など上部組織に、に丸投げとするのがおちとなる。
国などの上部組織も、運営するのは人間なので、責任はとりたくないが利益を得たい。腐敗する。国力が落ちる。
労働者は利益は欲しいが責任は欲しくないのが当然。しかし、利益も責任も欲しいという人でないと、社会主義、共産主義のシステムは、崩壊する。
>プロレタリアート独裁
スレ主どの。
用語につき、一言。
私たちの世界では、一般に次のように使用される。
プロレタリア(proletarian)=労働者階級全体
プロレタリアート(proletariat)=労働者個人
したがって、表記につき
「プロレタリア独裁」が妥当だと考える。
>なぜ、同じたんぱく質による細胞でできあがる人間において、生来的に特別な価値を付与される人間が有りうるのか。(二俣川先生)
そう単純なものではない。一代限りの成り上がりならともかく、先祖代々続いた家系には信頼というか、礎(いしずえ)というか、しきたりというか、簡単に言うと「特別な価値」がある。
天皇すなわち日本国の継続性への信頼と言える。
あえて言うと今回の問題は、皇族の体たらく。天皇家も江戸後期は体たらくであった。明治維新の頃の様に活を入れるべきだ。
今朝、書き込みをしてから出かけて、今帰宅したら、
スレごと削除されていて驚きました。
二俣川さん、
もしお返事をいただけていたのでしたら、
読めないままスレッドごと削除されてしまいました。
書き込みしてくださったのでしたら、本当に申し訳ありません。
共産主義における
・相続
・天皇
・宗教
・障碍者も含めて全員公務員になるのか?
・ベンチャー
・イノベーション
などを、どのように考えるのか?
等の質問を書き込みしていました。
もし、お時間があったら、ご見解を書き込みしていただけたら嬉しいです。
>私たちの世界では、一般に次のように使用される。
>プロレタリア(proletarian)=労働者階級全体
>プロレタリアート(proletariat)=労働者個人
だとすると、wikiの、
「プロレタリアート(ドイツ語: Proletariat)とは、資本主義社会における賃金労働者階級のこと。無産階級とも。個々の賃金労働者はプロレタリアと呼ばれる。雇用する側の資本家階級を指すブルジョワジーと対になった概念で、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが『共産党宣言』で使った例によって広く普及した」
という解説は間違っていることになるのですね。
勉強になります。
プロレタリア独裁が労働者階級の独裁を表すという理解でよろしいですか?
どうもその階級というのにいつもピンとこない。江戸時代の士農工商のようにほぼ固定したものなのか、それとも流動性があるのか? 貧農の子は一生貧農、職工の子は一生職工というのは日本でも当てはまるんだろうか?
鍛冶屋の息子の本田宗一郎は起業して会社が大きくなったら独占資本家とマルクス理論からは呼ばれるらしい。でも本田本人はあくまでアイデアあふれた技術屋で自分が独占資本家?なんて思ってなかったんじゃないかな?
ヨーロッパと日本では事情が大分違うと思う。特に財閥解体後の戦後日本はマルクスの言う国家独占資本とはだれのこと言ってるんでしょうか? 岩崎家や三井家で会社の株を持っている人達のことですか?




































