女子美の中高大連携授業
共産主義と民主主義
マルクス・エンゲルスの創始した、プロレタリアート独裁で資本家や大地主を認めないという共産主義。生産手段の社会化(国営企業)により搾取する者とされる者がいなくなるという。 そして人民はハッピーになるというバラ色の未来。
果たしてそうか? 例えば同じ労働者階級に権力を揮う立場と従う立場が産まれないのか? 貧富の差ができないのか? 権力を握った者は反対派を粛清して独裁者にならないのか?
ソ連、東欧、北朝鮮、中国の人民は本当に幸福だった(なの)か? 共産主義のもたらしたものは何か? そんなことを語り合いたい。
共産主義はソ連
民主主義は米国
冷戦が終わった現代においても共産主義の思想を
追い求める人たちがいる。
北朝鮮のチュチェ思想を土台とする、洗脳教育の恐ろしさとは受けた本人でないと分からないのかもしれません。チュチェ思想の特徴は、それが正当で正確で、間違いがないものに見えることです。
人々が理解しやすい言葉で、論理的に使って誘惑するのが特徴です。
独裁者の金日成が特に力を入れて話すことを例にすると、「チュチェ思想の基本原理は、自分の運命を決定するのは自分自身であり、自分の運命を開拓するのも自分自身であります。」と、このように反論しようのない、一見正しいことを言うのです。
「チュチェ思想の基本原理は、全て自分自身の運命を決めるのは自分自身であるということ。人々がこの基本原理を信念を持って生きていこうというのがチュチェ思想ですある。」
こうやって、地球上で生きているすべての人々に、分かりやすく、理解しやすい言葉を使って、人々を納得させます。民主主義国家の人々は、このような正しい言葉に感銘を受けるし、チュチェ思想は本当に人間のために作った思想だと認識するようにまでなりました。
もちろん今は違うでしょうが、昔はそう思っている人が一定数いたのです。
そうやって70年代から80年代に、ヨーロッパの色んな国で、金日成チュチェ思想研究が創設され、研究討論会に北朝鮮の人々を招待して、良い関係を持つようになりました。そして、そこに、金日成はたくさんの資金を投入しました。ヨーロッパの人達が、金日成のチュチェ思想は人間のために作られた正しい思想だと、そう広めることに加担してしまった人々がいたわけです。
招待する人は金日成が選んで、そのチュチェ思想研究所の目的に合う人にお金をあげて、支援するようにまでなっていました。これだけを見ると、普通の文化交流や、国際交流のような、正しいことのように見えます。そうやってヨーロッパへのチュチェ思想を広めるための橋頭保を築くわけです。
そして、ヨーロッパの国々に人を派遣し、人々の細かい生活まで調べ、報告を受けました。良い関係を築き、表では親善のためだと取り繕って、裏では情報を集め、相手の弱みを握り、自分達の黒い目的を達成しようするわけです。
一般の北朝鮮人民は外に出れず、幹部は子供を留学させ、そして外から北朝鮮には誰も入れない。そうやって情報の流れを管理し、国家規模の洗脳教育を完成させます。言っていることだけを見れば、基本的人権も大事にしているし、民主主義も自由も全て完璧にカバーしています。
人権、自由、平等、すべてチュチェ思想に入っています!どうですか?素晴らしいでしょう!!と、そう見せるのです。
自分達は欧米や他の国の価値観も完璧にカバーしており、さらに人民は生活に満足して、格差のない素晴らし社会にするため、日々前進を続けています!
北朝鮮万歳!金日成万歳!!チュチェ思想万歳!!!
そのように取り繕います。そしてそれに騙される民主主義国家の人々がいるのです。
ヨーロッパに留学した時には、そういった人々と意気投合し、友人になれるようにする道を作ります。実に巧妙であると言わざるをえません。
では北朝鮮内部はどうでしょうか?外に見せている理想的な発言とはまったく違う世界が広がっています。まず、チュチェ思想の原理を一生懸命学ばせます。チュチェ思想には、人権、平等、自由、全てが含まれていると説明します。このチュチェ思想を学べば、自分達は大空に羽ばたけるんだと錯覚させるまで、徹底的に勉強させます。北朝鮮では、外から情報も入らないし、外に行くこともできません。まず信頼させるし、信頼してしまう。素晴らしい金日成様がいるこの国に生まれて、なんて幸せなんだろう!!と思ってしまうのです。実際にそこで生きた自分がそう思っていたのですから間違いありません。
北朝鮮内では、資本主義の人達はもちろん、この地球上の人々は、チュチェ思想のような良い人間の生き方があるにもかかわらず、権力者たち、金持ちたちに全てを奪われ、一生懸命頑張っても豊かになれない、可哀想な人達なのだと教えます。それに比べ我々はどれほど幸せな国民であるか、そう認識させる教育を行います。つまり、このような思想を作った偉大な偉大な金日成様がいて我々はとても幸せで、だから我々は自分達の運命を将軍様に全てお任せすれば、何もかも良くなる、と教育します。命をかけて忠誠を誓い、命令を守り、将軍様を守るんだ!そうすれば自分達は幸せになれる!!そういう教育を受けます。周りを敵に囲まれ、理想を成し遂げるために孤軍奮闘しておられる金日成主席様を守らないとけない!そういう教育を受けます。そして、それを信じ、将軍様に全てを捧げるまでになり、自分で考えることのできないロボットが完成します。
疑問を持ったり異議を唱えれば、政治犯となり、親族も連帯責任で強制収容所に入れられます。そこで人間の尊厳を奪われ、酷い拷問を受け、人間扱いされず、生きる屍にさせられます。生きてここから出る人は本当に稀です。チュチェ思想に疑問を持っていることがバレてしまっては、親戚三代にわたって強制収容所送りとなるのですから、決して表に出すことなどできません。疑われないためにも必死でチュチェ思想を学び、暗記し、強く信じるよう自分自身を洗脳しなければなりません。行動を縛り、発言を縛り、そして思想を縛る。洗脳プロセスそのものです。
非常に、非常に巧妙です。そしてそれを諸外国には理解してもらいたい。対外的に見える良い面だけに騙されないで欲しいと、そう強く願うばかりです。
洗脳教育 さん
すごい体験談をありがとうございます。
仕方ないな さん
↓の件、了承いたしました。
>いや、
スレタイはこれでいいと思いますよ。
共産主義社会で、民主主義は併存しうるのか?
これが論点ですから。
平等で平和な社会は、人類の願いです。
しかし、それを実現しようとしているはずの
共産主義国家の権力者は、何故、権力の権化のようになってしまうのでしょうか?
権力のすべてを掌握して、
人々を思うがままに動かし、
富の限りを集めたい、
というのは、人類共通の欲望なのでしょうか?
自己保身に走り自己中になる。
権力を一旦握れば安倍総理でさえ
自己保身のために
慰安婦の拠出金だしちゃうし
靖国だって参拝しない
全部米国の言いなり
日本は独立国といえない。
そんな国にプーチンが来るとは思えない。
プーチンの周りも
クリントンの周りも
変死が多いしね
中国と北朝鮮は粛清だし
韓国は牽制不利になれば竹島行って
自己保身に走るし
思想は関係ないと思う。
>またお得意の論点すり替えですか?
というか、
単に、あなたがそれを論点にしたいだけですよね。
>ゴータ綱領批判のプロレタリア独裁は、何度も言った通り、対反革命のために生じる過渡的形態で、一党による独裁という考えとは全く関係ありません。
最初は、そんな書き方はしてませんよね。
最初は、
>おそらく一党独裁をプロ独で正当化すると言うことを言ってられるのかと思いますが、それはレーニンが草稿に残し、スターリンが実行に移したもので、マルクス=エンゲルスの主張ではありません。 (あなたが書いたこと)
こう書きましたよね。
プロレタリア独裁は、マルクスがゴータ綱領批判を書き、エンゲルスが公表したのは歴史的事実だから、それは間違いと書いたのです。
おそらく・・と書いているのは、
そこに、あなたの解釈が入っているわけですよね。
あなたの好きな論点で、神学論争する気はありませんが。
>チュチェ思想万歳
かつて日教組内にこれを研究するグループが存したことは知っている。
まだ、各地にも研究会は残っていることだろう。
だが、それが北朝鮮という国家を含めて社会主義思想と言えるものであろうか。
もとより私はあの国を「社会主義」だと考えたことは一度もない。
典型的スターリン主義のように感じられる。その意味で、北朝鮮を例示しての議論は適切だとは考えにくい。
もっとも、それも確かめたくて、さる知己の朝鮮総連の商工人(某有名企業オーナー)に対し、訪朝のとき一緒に連れて行ってもらいたい旨申し込んだこともあった(「考えておこう」と体よく断られた)。批判的なことで警戒されているようだ。
余談だが、私の知る限り総連の人々は民団に比べ純粋な方が多いとの印象を受ける。
そのルーツは、おおむね朝鮮半島南部にあることが多いが、それでもあえて母国を北朝鮮にするからには強い思い入れがあるのだろう。ただ、世代が変わるにつれ、その愛着の度合いは薄れているようにも感じられる。
もっとも、彼らに今だ金日成に対する尊敬の念は健在でも、金正日には批判的な人が多かった。
酒席で「あんな国にしやがって」と本音を漏らしたある在日朝鮮人の言葉が印象深い。
スターリンの旧ソ連を含め、古今東西指導者への個人崇拝が過剰になったとき失敗が待ち受けているとの危険性が高い(わが国天皇独裁化の日帝含め)。
丁寧に書くと、
一党独裁は、マルクス=エンゲルスの主張じゃない・・と言い切ってますが、
それは自分の解釈に過ぎないから「おそらく」なんですよね。
実際は、一党独裁の主張だったか主張じゃなかったかは不明。
論点にしたがってるけど、そんなことを神学論争しても仕方がないですよね。
ゴータ綱領批判でマルクスは、
「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない」
と書いてるわけで、
過渡期だろうが、なんだろうが、これは暴力ではないのか?
共産主義社会と、民主主義は併存するのか?
それがこのスレの論点ですよ。




































