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投稿者: おしゃれ (ID:W9buwmV79Lc) 投稿日時:2016年 08月 17日 12:22
<米国>バイデン副大統領「日本国憲法、米が書いた」
毎日新聞 8月16日(火)11時4分配信
バイデン米副大統領は15日、東部ペンシルベニア州スクラントンで民主党大統領候補のヒラリー・クリントン前国務長官(68)の応援演説をし、「私たちが(日本を)核武装させないための日本国憲法を書いた」と語った。共和党大統領候補の実業家、ドナルド・トランプ氏(70)を批判する中での発言だが、米政府高官が、日本国憲法を「(米国が)起草した」と明言するのは極めて異例だ。
バイデン氏はトランプ氏を「事実から学ぼうとしていない」と批判した上で、日本国憲法の話題に触れた。トランプ氏が今春、日本や韓国の核武装を容認する発言をしたことを念頭に置いたとみられ、「(トランプ氏は)学校で習わなかったのだろうか? 彼に(大統領として)核兵器発射コードを知る資格はない」とも非難し、会場は笑いに包まれた。
バイデン氏は今年6月、米公共テレビ(PBS)のインタビューで、中国の習近平国家主席に対して北朝鮮の核開発阻止で協力を求める中で、「日本は事実上、一夜で核兵器を製造する能力がある」と伝えたことを明らかにしている。
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【4237324】 投稿者: まさか (ID:9rJyjf04DQE) 投稿日時:2016年 09月 05日 14:33
伊勢信仰も何もないところから、
伊勢神道が降って湧いたとでも?
だとしたら、
あまりにもナンセンスですね、 -
【4237352】 投稿者: 要するに (ID:zG45vbnvvn6) 投稿日時:2016年 09月 05日 14:58
伊勢神道で絶えかかっていた伊勢神宮が復活した事実は、神皇正統記→皇国史観に繋げる人が出てきて不都合なのでやめてチョーダイってことですか?
何もないところから降って湧いたかどうか⇔切れ目なく続いている、全然違う話になってますよ?。 -
【4237360】 投稿者: いいんですよ (ID:9rJyjf04DQE) 投稿日時:2016年 09月 05日 15:07
とぼけないでください。
バレてますから。
アンチ皇国史観(=皇国史観ファン)さん
まあ、がんばってください。 -
【4237418】 投稿者: 出た (ID:zG45vbnvvn6) 投稿日時:2016年 09月 05日 16:13
レッテル貼り。ホントにワンパターンだなあ。まともに話す人いなくなりますよ。HN無常感にもいなかったけど。
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【4237434】 投稿者: 簡単簡単 (ID:9rJyjf04DQE) 投稿日時:2016年 09月 05日 16:31
>江戸時代までは一般人は伊勢神宮の境内で参拝する事も許されておらず、民衆信仰があったと言うのは苦しい
17世紀の江戸時代までは
民衆信仰はあり得ないと言いながら、
>伊勢神道で絶えかかっていた伊勢神宮が復活した事実は、神皇正統記→皇国史観に繋げる人が出てきて不都合なのでやめてチョーダイってことですか?
14世紀の度会神道、神皇正統記で
伊勢神宮が復活したとは支離滅裂ですよね。
もともと伊勢信仰は古代からあったもので、
江戸時代に伊勢信仰が盛んになったのは、
度会神道、神皇正統記のお陰ではありません。 -
【4237676】 投稿者: 相変わらず牽強付会 (ID:zG45vbnvvn6) 投稿日時:2016年 09月 05日 20:37
>>江戸時代までは一般人は伊勢神宮の境内で参拝する事も許されておらず、「民衆信仰があったと言うのは苦しい」
>17世紀の江戸時代までは「民衆信仰はあり得ない」と言いながら、
この2つ、同じですか?あり得ないって誰が言いました?
>14世紀の度会神道、神皇正統記で伊勢神宮が復活したとは支離滅裂ですよね。
こういうことを言い出すんじゃないかと思ってました。
絶えかかっていた状態から復活することと、民衆が信仰しているという状態になることは全く別のレベルの話。↑と同じ程度を無視した一種のねつ造ですね。
伊勢神道の創唱=豊受大神信仰を唱道=外宮参拝としたことで、皇室以外も参拝可能な状態になった=復活です。実際、武士は参拝するようになった。しかし、民衆にとっては、伊勢まで行くことの負担もあって集まらず、まだ民衆信仰があったという状態ではありません?。
民衆の信仰を集めるようになったのは、講の組成とか、御師の布教活動で、伊勢参りが人気化する江戸時代になってからです。だから江戸時代までは「民衆信仰があったというのは苦しい」というわけです。
常識があればわかる。 -
【4237697】 投稿者: 相変わらず無教養で (ID:iUXszcOLYvM) 投稿日時:2016年 09月 05日 20:58
「アマテラスの誕生」(溝口睦子 岩波新書)142頁
そこでこのような(直木孝次郎氏の)疑問をもとに想定された伊勢神宮の歴史は、ほぼ次のような内容である。
1 伊勢神宮は、はじめ太陽神を祭る地方神の社であった。
2 六世紀前半頃に皇室と密接な関係が生じ、皇室の尊敬を受けるようになった。その理由としては、伊勢が東方発展の基地として重視されたこと、また伊勢は大和の東方に当たるため、太陽神の霊地と考えられたことがある。
3 地方神であった伊勢神宮が、皇祖神を祭る神社に昇格したのは奈良時代前後である。昇格の契機としては、壬申の乱(672年)における神宮の冥助、すなわちアマテラスの加護が考えられる。 -
【4237712】 投稿者: 鈍い人にもう一つ (ID:gDdhY16QC3A) 投稿日時:2016年 09月 05日 21:13
東大大学院の博士論文で、
「太陽神論」という面白い論文が掲示されていたのでご紹介。
本来太陽神は、毎日朝東から昇って夕方西に沈み、大地に恵をもたらす自然神であって、自然の中で生きてゆく人間にとって、その生活に大きな影響を与える神として信じられてきた。古代日本の人々が農耕を営むようになってから、五穀の成長と豊穣をもたらす太陽は崇拝の対象となり、やがて「国」という概念が発生し人々を束ねる首長たるものが登場するにつれて、太陽神もそのものを信仰するほかに、首長の祖神というイメージを重ねるようになった。そして各氏族を退けた大和の天皇家によって日本は統一され、天皇家の祖神アマテラスは唯一の太陽神として独占されて崇められ、祀られるようになる。それ故に、日本の太陽神といえばアマテラスと、アマテラスを祀る伊勢神宮を思い浮かべるようになった。ところが、もともと太陽神信仰は大和の天皇家のみの産物ではなく、普遍的なものであった。そのため、日本各地に散在していた太陽神と太陽信仰は、天皇家によって皇祖神アマテラスに一元化され、まつられるようになったにもかかわらず、記紀をはじめ多くの民間伝承にはアマテラスとは異なる太陽神の存在を窺わせる記述が存在するのである。そして太陽神の原像は、自然の太陽神から様々な動物に象徴される太陽神へ、そして太陽神の象徴物からしだいに擬人化し、人のような姿の太陽神となるのである。日本神話に伝わるアマテラスは、こうした擬人化した太陽神であるため、先に擬人化以前の太陽神を語る必要がある。
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