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【4756572】誰が北朝鮮の工作員なのだろう

投稿者: 匿名党   (ID:/.d15AsXb4.) 投稿日時:2017年 10月 31日 07:32

徐薫国情院次長も問題の北朝鮮要員と秘密接触
国家情報院(国情院)で対北朝鮮の戦略企画と情報を総括している徐薫(ソ・フン)第3次長(53)が昨年11月19〜23日、中国の丹東を訪問して李ホナム北朝鮮民族経済協力連合会参事(54)と接触したことが確認された。李参事は、徐次長に会う前の昨年10月20日、北京で盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の側近の安熙正(アン・ヒジョン)氏や与党ヨルリン・ウリ党の李華泳(イ・ファヨン)議員らと秘密裏に接触し、「首脳会談」に向けた特使交換の方法などについて話し合った。
李華泳議員は最近、本紙記者の「国情院は秘密裏に接触することに否定的ではなかったか」という質問に対して、「そのとおりだ。徐次長が丹東で李ホナムと会ったこともある」と明らかにした。
当時、国情院の対北朝鮮戦略局長だった徐次長は、秘密ラインを通じて北朝鮮との接触が行われる状況下で、対北朝鮮の公式ラインを復元するために李参事と接触したものと見られる。
安氏の北京接触などを企画した対北朝鮮事業家の権五弘(クォン・オホン)氏が作成した備忘録にも、「11月21日、ソウル小公洞(ソゴンドン)のロッテホテルで李華泳議員と会った時、李議員が李鎬迵(イ・ホチョル)大統領国政状況室長に電話をして、『徐薫次長は帰ってきましたか』『今日も帰っていないのなら、いつ帰ると言っていますか』と聞いた」というくだりがある。
備忘録にはまた、李参事の伝言だとして、「S(徐薫次長)が帰ってきた時、『話すことも聞くこともないから、ホテル代を節約したければ早く帰った方がいい』と話した」と明らかにし、徐次長と李参事の接触がこれといった成果なしに終わったと書いてある。
これまで、国情院側は安氏と李参事の接触に一切関わらなかったと主張してきた。当時、国情院長だった金昇圭(キム・スンギュ)氏も最近、「いかなる報告も受けていないし、知っていることもない」と述べた。
一方、徐次長は国情院の広報管理官を通じて、「あり得ないことだ。会ったことがない」と事実関係を否定した。

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  1. 【4756615】 投稿者: トミー回想録  (ID:mh.gLBcqzic) 投稿日時:2017年 10月 31日 08:12

    村山政権は阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件などに見舞われたが、その都度中心になって対応したのは野中広務氏や亀井静香氏ら自民党出身の閣僚だった。
    また、村山氏の口から出た首相時代の相談相手はやはり自民党出身で新党さきがけの武村正義氏や園田博之氏だ。
    野党しか知らない議員ばかりの社会党に政権を担うことは最初から無理だったのかもしれない。

  2. 【4756625】 投稿者: 過激派と戦った英雄  (ID:bpYJZtCL6/g) 投稿日時:2017年 10月 31日 08:23

    東京都内の各所で極左過激派集団による塩素酸塩を使用した爆弾事件が頻発していた・亀井は、埼玉県警捜査二課長の実績も買われ、警察庁警備局調査官室の課長補佐で初代の赤軍担当総括責任者に抜擢された。昭和四十六年九月のことである。

     亀井が、このポストに就任すると同時に血腥い極左事件が次々に発生した。昭和四十六年九月、成田三警官殺害事件。十二月、土田国保警視庁警務部長邸爆破事件。新宿・追分交番横クリスマスツリー爆破事件。

     亀井は、いずれも全力で捜査にあたった。

     そして、昭和四十七年二月、連合赤軍浅間山荘事件が起こった。

     連合赤軍は、昭和四十六年七月十五日、共産主義者同盟赤軍派中央軍と日本共産党革命左派神奈川県常任委員会(京浜安保共闘)人民革命軍が合同して発足した。京浜安保共闘は、ダイナマイトによる米軍基地襲撃をおこない、四十六年二月には真岡市の鉄砲店から猟銃十挺、銃弾二千三百を奪取した。

     赤軍派は、「世界同時革命論」、京浜安保共闘は「反米愛国」による革命と理論上のへだたりは大きかった。が、それをいったん留保とし、「銃によってしか建党、建軍はできない」という「唯銃主義」の貫徹という一点で両者は合同した。

     警察の徹底した取り締まりで都市での活動が困難になった両派は、四十六年十月からそれぞれ山岳地帯に根拠地を設営し、軍事訓練を開始した。十二月には、南アルプス山麓の山梨県新倉で、つづいて群馬県の榛名山で合同訓練した。

     そのころ、亀井は、連合赤軍最高幹部の森恒夫の行方を懸命になって追いかけていた。昭和四十七年二月七日、榛名山で不審な山小屋を発見した。亀井は、「アジトではないか」と判断し、ただちに群馬県警、山梨県警、埼玉県警、長野県警の機動隊を動員し、大規模な山狩りをさせた。 やがて、山の麓の道に不審な車を発見した。

     中には、泥だらけの服を着ている人物が乗っていた。だが、いくら外に出てくるように命令しても、車のドアにロックをかけ、出てこない。連合赤軍の一味とはわかっていても、名前さえわからない。それに、車に乗っているだけなら法律違反ではない。

     警察庁と検察庁が相談した。が、逮捕するために必要な容疑の知恵が出てこない。車を包囲したまま、時間だけがむなしく過ぎていった。

     指揮官である亀井は、警察庁の警備局調査官室に陣取っていた。逐一、報告を受けていたが、いっこうに埒があかなかった。

     亀井は、部下に声をかけた。

    「おれは、眠くなった。ちょっと寝るぞ」

     足を机の上に置き、じっと眼を閉じた。

    〈なにか、いい知恵はないだろうか……〉

     どのくらいたったであろうか。亀井は、ハッと閃いた。

    〈そうだ、山小屋だ……。山小屋は、やつらの持ち物じゃない〉

     山小屋は、人様の山の木をつかって建てられたにちがいない。これは、立派な窃盗ではないか。

     亀井は、すかさず指示を出した。

     「山小屋に使われている木を、調べろ!」

      案の定、保安林であった。

      亀井は、身を乗り出した。

    〈しめたッ! これでいける〉

      亀井は、検察庁に電話を入れた。森林窃盗容疑で逮捕状を請求することを相談した。しかし、 それは無理だという。亀井は、声を荒げた。

    「無理なら、どうするんです。他に、やりょうがないじゃないですか」

      まもなく、逮捕状が出された。

      車をぶつこわし、中にいた人物を窃盗容疑で逮捕した。かれの供述により、十二人が殺害されたリンチ殺人事件が明るみに出た。

     二月十七日、最高幹部の森恒夫と永田洋子を逮捕。残ったメンバーは、長野県佐久市に向けて厳寒の山中を抜ける脱出行を開始。途中で、植垣康博ら四名が逮捕。方角を見失った坂東国男や坂口弘ら五名が、十九日、軽井沢に辿り着いた。河合楽器保養所「浅間山荘」を占拠した。

     その後、連合赤軍と山荘を包囲する千数百人の警官隊は、銃とガス弾による散発的な撃ち合いを交えながらも、ほぼ対峙しつづけた。

     しかし、十日目の二十八日朝、警察機動隊は突入作戦を強行。連合赤軍の応射は激しかったが、午後六時過ぎ、人質だった管理人の妻の解放に続き、全員が逮捕された。が、この八時間にもおよぶ攻防で、警察側は死者二人、重軽傷者十二人を出した。

     亀井は、この浅間山荘事件について振り返る。

    「緊急配備をし、捕まえ損ねた連中が、浅間山荘に立て篭もった。取り逃がしたということは、追跡調査の指揮官であるわたしのミスです。連合赤軍と撃ち合いになったとき、わたしの眼の前で、内田隊長生局見隊長が撃ち殺された。かれらは、部下思いだからやられた。警官隊を突入させるとき、部下が、心配になって顔をあげた途端、撃たれたわけですから。事件が解決した後、森恒夫や永田洋子を取り調べした。森は、完全黙秘だったが、ものすごい迫力だった。しかし、こうした若者が、どんどん極左活動に走っていくことに、政治の責任を痛切に感じた」      その後、亀井は、警察庁警備局情報担当キャップになった。政治、経済など、ありとあらゆる情報が集まってくる。亀井は、政治に関心を抱いた。国会議員になりたいというよりも、小さな軽自動車でも購入し、右翼ではないが、街頭演説中心の政治活動をしてやろうというイメージを抱いていた。

     昭和五十二年九月、亀井は、部下に命じてひそかに地元広島三区を調べさせた。部下の報告では、郷里庄原市出身で当選十一回の大物政治家永山忠則の現役引退後、県北には有力者がいないという。跡目相続をめぐっていざこざがあり、永山が後継者に指名した宇田哲郎も、昭和五十一年十二月の総選挙で落選していた。

     亀井は、決意を固めた。

    〈よし、選挙に打って出よう〉

     その年の秋、亀井は、だれにもいっさい相談をせず、自分一人の意志で警察庁に辞表を提出することにした。

     その朝、玄関先で、妻の奎子にいった。

    「おい、今日、おれは、警察をやめるぞ」

     奎子は、眼を丸くした。しかし、亀井は一度こうと決めたら挺子でも動かない性格である。

    あえて、引き止めはしなかった。

    〈わたしが止めても、どうせ聞く耳は持たないわ。それに、上司の方や警察庁長官が慰留してくれるはずだわ〉

     亀井は、上司に辞表を提出した。あまりにも突然のことで上司も、びっくりしてしまった。 このとき、亀井は、警察庁のエリートコースを歩み、「将来は警察を背負う男」とまでいわれていた。上司は、亀井を説得した。

    「亀井君、考え直してくれないか」

     が、亀井の意志は固かった。

    「なんといわれようと、退官します」

    こうして、十一月中旬、亀井は、警察庁を退官した。

  3. 【4756818】 投稿者: こたえ  (ID:Xz4ca5AH3as) 投稿日時:2017年 10月 31日 11:20

    Q「誰が北朝鮮の工作員なのだろう」

    A「スレ主さんをはじめとして、真面目にレスしている人全員」

    あ、私は違います。真面目にレスしてないですから。
    それにしても、本当に文章の作り方が北朝鮮っぽい方が多いですね。
    ステマかな。

  4. 【4758674】 投稿者: ある記事  (ID:5E9SIAlEZuI) 投稿日時:2017年 11月 02日 07:52

    「日本国籍を持つ工作員は宝です」

    http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53336?page=4
    日本国籍を獲得することは、日本での工作活動を容易にするという意味があるだけではない。私が取材した元北朝鮮工作員は、工作活動をする上での日本旅券の価値を、こう認めていた。

    「日本の旅券は万能です。対日工作はもちろん、対南(韓国)工作、その他のどの国でも信頼されている。

    工作機関が真正の日本旅券を手に入れる方法は二つ。日本人を拉致して、その人物になりすますこと。でも、なりすました工作員の日本語に訛りがあったりするとばれてしまう。もっとも安全なのは、日本で教育された在日朝鮮人を工作員にして、帰化させ、日本人として旅券を手に入れることです」

    こんなケースもある。在日朝鮮人の父親、日本人の母親の間に生まれ、日本国籍を持つことになったある青年は、朝鮮学校から慶応義塾大学に進学。卒業後は北朝鮮の指示で、オーストリアのウイーンに留学し、そのまま北朝鮮のための工作活動を行ったという。

    ある朝鮮大学校関係者はこう語る。

    「在日の若者を工作活動に使うためには優越感をくすぐるのです。高校時代から『おまえは熱誠班だ、特別だ』と言われ、修学旅行で平壌に行くと、有能な学生が呼ばれて特別待遇を受ける。その学生には『俺は特別なんだ』という優越感が植え付けられます。でも、この優越感は日本社会では通用しない。

    閉ざされた朝鮮学校で育ち、優秀だといわれた若者も、いざ日本社会に合流するとうまくいかない。差別を受けることもあるし、日本企業での熾烈な出世競争に敗れることもある。そういうときに、『じゃあ、北の社会で偉くなってやろう』という気持ちが芽生えるのも自然なことではないでしょうか」

    一度は優越感にひたるよう仕向けられた若者が、日本社会の荒波に晒されて、逆に本国への忠誠心を高める。こんな現実が利用されるのだ。若者たちの心の動揺につけこむ工作機関の手法は、実に冷酷だ。私が取材した元北朝鮮工作員は、こうも話した。

    「日本国籍を持ちながら、思想的にも民族的にも目覚めた若者は、北朝鮮の工作機関にとって宝です」

    指導者の言うことをよく聞き、疑問を差し挟まない真面目な若者。利用されるのは、そんな青年たちだという。

    本来なら、生まれ育った日本社会に親しみを持っているはずの若者たちの心の隙間に、彼らの日本国籍を利用しようとする組織は忍び込み、工作員に仕立て上げ、利用していく。

    北朝鮮にいる家族や親類を人質に取られ、工作員に協力させられる在日朝鮮人たちの話を以前に書いたが、若者たちの真っ直ぐな心さえも、工作機関は冷徹に利用しているのだ。

    スパイ大国・北朝鮮の工作機関は、こうして日本国内でも多数の「犠牲者」を巻き込みながら、確実に社会の各方面に根を張っている。私たち日本人は、まずその事実に冷静に目を向けなければならないだろう。

  5. 【4759466】 投稿者: 日本の北工作員  (ID:R.3PAoJlMig) 投稿日時:2017年 11月 02日 23:05

    ビーチ前川→朝鮮学校無償化推進
    TBS全般
    メディアで、金正男を金正男氏ってつけてる人達。
    彼は、日本で偽造パスポートやら密入国やらやらやら
    を犯した、立派な犯罪者だったから、容疑者金正男って言うのが、普通。
    氏 とかつけちゃって、工作員丸出し。

    もっとも、日本なんて、工作員の交差点だしね。
    日本にも、モサドぐらいでいいから、情報機関が必要だよ!!
    靖国爆弾事件とかいろいろ、テロられてるのに、
    テロ認定さえ出来ない!

  6. 【4759840】 投稿者: 歴史  (ID:2ybyCrt/Nes) 投稿日時:2017年 11月 03日 11:43

    朝鮮の金正日総書記は日本人拉致事件を認めた。にもかかわらず、社民党は同党のホームページ上に、「拉致は新しく創作された事件というほかない」とする機関誌「月刊社会民主」(平成9年7月号)の論文を、会談後も掲載し続けていた。論文のタイトルは「食糧援助拒否する日本政府」で、筆者は社会科学研究所の北川広和・日韓分析編集。この論文の中で北川広和は、1997年4月に開かれた日米首脳会談で、日本が拉致事件などを理由に北朝鮮への食糧支援を拒否した背景を分析している。その中で、拉致事件については、韓国の国家安全企画部(安企部)が北朝鮮の元工作員の証言に基づいた情報であるとした上で、「元工作員が本当に存在するのかさえきわめてあやしいと言わざるをえない」と主張。また、産経新聞が1997年3月13日に報じた元工作員のインタビューにも「証言そのものが創作ではないかとの疑念が生じる」とし、「拉致疑惑事件が安企部の脚本、産経の脚色によるデッチあげ事件との疑惑が浮かび上がる」と指摘している。さらに、日本語の教育係を必要としたため拉致したとする説については、「見ず知らずの日本人を連れてきて、日本語教育係に育てあげることができるのか。(中略)北朝鮮には多くの日本からの帰国者がいて、わざわざ危険を犯して拉致する必要などない」と北朝鮮の犯行説を疑問視している。最後に「拉致疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出され発表された事件なのである」として、拉致の事実そのものを真っ向から否定している。拉致が明らかになったにもかかわらず、拉致否定の見解をホームページに掲載していることについて、社民党総合企画室は「機関誌の主要論文についてはこれまでホームページに掲載してきたが、(北川論文についても)現時点で取りやめるつもりはない」とコメントしている。

  7. 【4759862】 投稿者: ↑  (ID:R.3PAoJlMig) 投稿日時:2017年 11月 03日 12:09

    つまり、リベラル政党は、日本人拉致、監禁を
    一緒にやってる

  8. 【4760027】 投稿者: なりすまし保守  (ID:DP6czTjYDBI) 投稿日時:2017年 11月 03日 15:05

    野中広務は1990年、金丸訪朝団の一員として北朝鮮を訪れて以降、日朝国交正常化をライフワークとして取り組んでいる国家議員ですね
    1997年11月の訪朝の時には「拉致」を「行方不明者」と言い換えていたほどの人物ですよ
    1999年12月5日にNHKの報道番組に出演の際、北朝鮮に対する食糧支援について「隣国が困っているのに、援助をせず、心を通わせないで、拉致問題をはじめとする日朝間の課題が本当に解決するのか。日本の平和と安全のためにも、何らかのトビラをあけていくことが(戦争を知る)我々世代の責任であり、政治家の責任だと思う」と発言していて国民の一人として引きましたわ
    拉致問題解決よりも北朝鮮への経済援助を優先する姿勢は日本国民を蔑ろにしている姿勢に感じましたね
    また2000年3月19日に島根県湖陵町で講演では北朝鮮への米を10万トン支援を決定した言い訳が「日本人の拉致問題を解決しないで、米支援はけしからんというが、日本国内で一生懸命吠えていても横田めぐみさんは帰ってこない」と発言ですよ~どこまで人の親として失格なのか明らかですね
    自民党の中でも人権保護法案(実際には日本人に対する人権侵害を容易にする法案)の推進であり、集団的自衛権の行使容認への反対など、反日的な人間が「アベガー」の音頭を影で操っている可能性もあるんじゃないかなと推測しているんですよ

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