今年入学した高1生が語る青春リアル
今年度願書の締め切りについて
願書の締め切りを疑問に思っています。
今年度は16日必着となっているのですが、私は10日に書留を郵送し学校に11日に到着しましたが連休のため郵便局保管となり、そのまま13-16日は学校閉鎖、その後また土日のため到着予定が19日となってしまっています。
これは、16日までと書いてあるけれど、実質9日(金)までに到着しなければいけなかったということでしょうか?
そこまで確認していなかったのが甘かったとは思うのですが、もうこれは失格なのかと諦めきれずにいます。
皆さんは9日までに届くように出されましたか?
遅刻したのは電車遅延が原因なのだから怒られても困る、と本気で言う人がいる。実際にそうであっても遅刻の理由にならないことが理解できない人がいる。もはや前提となる常識感覚が全く違うから話も通じません。
格差社会と言われるけど、それは経済力だけでなく「当たり前の感覚」の格差も相当に拡大していると感じます。
電車の遅延は、時と場合によって遅刻の理由にはなりますが。
ここで大事なのは、何でも他者のせいにして自分の非を認めようとしない姿勢でしょう。この姿勢は他国の国民性にも見られる性質で、それによって自己の利益を増大させることができたり、したたかさによって逞しく生きていける長所もあります。日本国民にとってもっとも弱いところだと揶揄されてしまうこともありますね。
これは個人的な肌感なんですが、最近は日本人も他者の目を気にせず、はっきりと自己主張するように変わってきたような気がしています。それによって周囲が嫌な思いを強いられることも増えているような。比較的日本人に強い連帯意識から徐々に個人意識が高まってきているように思います。これを良い変化と捉えるか、「当たり前の感覚」の欠如と考えるのか、そもそも「当たり前」の概念が変化しているのか悩ましいですね。
> 何でも他者のせいにして自分の非を認めようとしない姿勢でしょう
過失割合で言えば、少なくとも学校(のミス?の不親切?)と同程度だと思っているのでは?個人的には学校側のミスでも不親切だとも思いませんが(むしろ親切だと思います)。「当たり前」が違うから見える景色が違うのか、頭ではわかっているけど一言物申したいだけなのか。
> そもそも「当たり前」の概念が変化しているのか悩ましいですね。
層によって大きく乖離していると思います。
「願書」という大袈裟に言えば人生を左右しかねないとても重要な書類を扱う「当たり前」の意識や感覚の違いがあるのだと思います。より慎重に、お盆時期であること、曜日(受け手が受け取れるかどうか)、台風(による遅延)などを考慮するのは当たり前と思う層と思わない層がいるのだと思います。
だから、要項をよんで実質的に9日必着だな、と当たり前に思う層と字面通り受け取る層がいるのではないでしょか。
わかります。
ただ、学校は正しいという常識や、小受自体の常識を一度疑ってみることも大切かなと思います。その上で、自分の物差しと合うか合わないかを各々が決めればいいかと思うんです。物差しの合わない(価値観が異なる)関係を無理に合わせようとする必要もないわけで、特に小受においては学校もそれを見ているとも言えるでしょう。
今回の議論も、小受の常識と、それを知らない方々の常識の価値観のぶつかり合い
なわけです。当事者からすると「そんな常識もないの?」との感覚で、知らない方々からすると「自分の常識とズレている」という感じでしょうか。そこに正解も不正解もない。単に価値観の合う方だけが受験し、価値観の合わない人は受験しなければよいだけです。
小受の常識とズレている方は、残念ながら学校サイドのふるいに落とされるだけですが、いずれ「結果良かった」となるかと思います。




































