最終更新:

41
Comment

【6268840】キリスト教の学校、礼拝への向き合い方をアドバイスください

投稿者: 無宗教   (ID:r04dzd/07SI) 投稿日時:2021年 03月 20日 23:33

我が家はキリスト教信仰していませんが、志望校選択時は宗教にこだわらずにいろんな学校を検討し、宗教以外の部分で魅力を感じたキリスト教の学校に進学しました。

宗教教育についても、グローバル時代は宗教知識は絶対に必要だし、奉仕の精神や心を整えて自分と向き合う時間として礼拝の時間も良いと思って入学しました。

聖書や宗教史を知識として学ぶにはとても興味深いのですが、全ては神の思し召し、という考え方がしっくりきません。

子どもには自分が道を切り拓くんだという意識で物事に向かって欲しいと思っています。「そうなる」のではなく「そうする」という自らの意思と選択が大切で、そうすることで結果を受け容れられるという考えです。
私の考えが子どもにも家庭教育の中で引き継がれていて、子どもも礼拝でのお話にいつも違和感を覚えているようです。
子どもは神様の存在はどうしても信じられない、運命は神様が決めるのではなく自分で掴む、と思っているので、礼拝の時間が苦痛になっています。

心穏やかに礼拝に向き合うために、何かアドバイスいただけますでしょうか。

キリスト教校を自分で選んだんだから、といったことは重々承知なので、それ以外でお願いします。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「中学受験 Q&Aに戻る」

現在のページ: 3 / 6

  1. 【6269474】 投稿者: 解釈の仕方  (ID:/m93xb93U3s) 投稿日時:2021年 03月 21日 13:04

    すべては自分の意志で道を切り拓くので良いと思いますよ。求めよ、さらば与えられん。とはそういう事だと思います。努力しない人に道は開かれませんよと。
    神の思し召しという考え方については、たとえば交通事故により障害が残るような事があったら。本人の不注意のせいなので自業自得と考えるよりも、自分はこの試練を必ず乗り越えられると信じて前を向くほうが人生に希望が持てるのでは?神は乗り越えられない試練は与えない、その言葉に救われる人も多いのです。どんな困難からも何かを得てみせるというような強さを持つ、その背中を押してくれるという考えです。
    私は信仰はありません。中高6年間をプロテスタントの学校で過ごし、毎朝の礼拝を面倒くさいと思いながら過ごしていました。でも、祈る対象があることに時折、救われていましたよ。悩んだ時、怒りに我を忘れそうな時。祈ることは、日記を書いたり親友に打ち明けたりすることと同じように頭の中を整理して心を落ち着かせる効果がありました。
    お子さんもスレ主さんも、信仰を持つ必要は無いと思いますが、たぶんキリスト教をまだ知らないのだと思います。まずはどんなものなのか、数年かけて触れてみたら良いと思いますよ。

  2. 【6269528】 投稿者: 客観的に  (ID:eS3HunJvqP6) 投稿日時:2021年 03月 21日 13:39

    私自身は無宗教を公言(もちろん葬儀などは仏教の予定ですが)、子供をキリスト教の学校に入れる=キリスト教を強要している、という感が拭えず若干抵抗がありますが子供はカトリック校を受験予定です。
    でもカトリック校出身の友人は口を揃えて、道徳の授業みたいなものだしよい経験だったよ、と言ってます。
    キリスト教を信仰するのではなく、客観的にキリスト教を学ぶと考えればよいのではないでしょうか?もしくは人間の思想の歴史の一貫としてなど学問として考えれば精神的な負担はない気はしますが。

  3. 【6269576】 投稿者: プロテスタントです  (ID:leTOUd.7C9E) 投稿日時:2021年 03月 21日 14:08

    クリスチャンではないという皆さんの解釈の鋭さには感心いたします。

    次の一節を紹介したいと思います。「ある無名兵士の詩」という詩です。

    大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと神に求めたのに
    謙虚を学ぶようにと 弱さを授かった。
    偉大なことができるように健康を求めたのに
    より良きことをするようにと 病気をたまわった。
    幸せになろうと富を求めたのに
    賢明であるようにと 貧困を授かった。
    世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに
    得意にならないようにと 失敗を授かった。
    人生を楽しもうとして あらゆるものを求めたのに
    あらゆることを喜べるようにと 命を授かった。
    求められたものはひとつとして与えられなかったが
    願いはすべて聞き届けられた
    神の意にそわぬものであるにもかかわらず心の中に言い表せない
    祈りはすべて叶えられた。
    私はあらゆる人の中で 最も豊かに祝福されたのだ。

    人知が及ばないところにも神の意志があるということですね。

    ついでながら書きますと、結婚式で「永遠に愛することを誓います」といっても
    人間は弱いから実際はどうなるかわからない。だからクリスチャンは「神の助け
    を借りて愛することを誓います」という言い方をします。人間は弱いもの、だから神の助けが要る、という考えが根底にあります。

    まとまりのないレスですみません。
    ちなみにうちは無宗教大学付属生です。私個人はミッション校への永遠の憧れ?があります。

  4. 【6269640】 投稿者: そうですね  (ID:aXpeg17mxX6) 投稿日時:2021年 03月 21日 14:50

    信仰のある人だって、
    一生をかけて教えを解釈し、理解していくのでは。遠藤周作はあれだけキリスト教をテーマにした作品を書いていますが、晩年の病の壮絶な苦しみの中でまた気付きがあったと奥さまが回想されており
    そういうものかと思ったものです。
    さまざまな経験をし、苦しみ悩んだ時に、
    ああこういうことだったのか、と腑に落ちる。
    そういうものがあってもいいのではないでしょうか。
    抱いた疑問の結論を急がなくてもいいのだと思います。

  5. 【6269698】 投稿者: 解決策  (ID:yHnmXRS8Zeg) 投稿日時:2021年 03月 21日 15:41

    >先日は礼拝で聞くワードが命令形であることや受動的であることが気になっていて内容が素直に受け止められず、そういうワードの数を数えることで内容をシャットアウトしていたようです。

    偉い!ちゃんと自ら解決策を考えていますね。


    >きっと素晴らしい内容だったはずと思うのですが。

    誰にも宗教の自由はあります。勝手に親の考えを押し付けないでください。
    宗教の時間はどのくらいの頻度であるのでしょうか?週1であるような宗教色の強い学校だと6年間も通ったら母校を嫌いになるでしょうね。高校で出してあげたら?

  6. 【6269753】 投稿者: 白乃椛蓮  (ID:CDfKVYeKAZw) 投稿日時:2021年 03月 21日 16:28

    >考えを変えなくていい、いろんな考えがあって他の考えを学ぶつもりで礼拝に向き合うように子どもに伝えてみようと思います。

    →それでよろしいのではないかと思います。

     聖書の中にマルタとマリアという姉妹のお話が出てきます。妹の行いに不満を持つ姉に対して、キリストは『自分の意見を押し付けるべきではない』と諭します。
     命令形のように感じるかもしれませんが、実は命令でも強要でもありません。差別や偏見を捨て、他者の選択を尊重することも大事だとアドバイスしているのです。

     残念な事に世の中は理不尽な事だらけです。納得がいかなくとも耐えなければならない時もある。今は、そのひとつが礼拝だと思ってもらうしかないかもしれません。

  7. 【6269922】 投稿者: カトリックの学校は宗教的な行事が少ない  (ID:aL.vjYKne1Y) 投稿日時:2021年 03月 21日 18:41

    相当前のインタビューですが、今も同じようなものだと思います。

    (中山)
    学校行事について伺います。 要項などを拝見すると小学校では経験できないような行事もあるようです。 宗教に関係した活動に参加をすることは必修なのでしょうか。
    (トランブレ先生)
    そうです。義務づけられています。ただ、宗教的な活動はそんなにたくさんはないのです。 外部の方から見れば「たくさんやっているなぁ」 とお思いになるかも知れません。 しかし、聖光はカトリック学校ですから毎日礼拝があるわけではないし、クリスマスの行事、慰霊祭、それからイースターだけが全員参加のものです。
    (中山)
    これらの行事は先生方が準備されるのですか?
    (トランブレ先生)
    そうです。
    (中山)
    生徒たちが関わるということはないのでしょうか。
    (トランブレ先生)
    カトリック信者の生徒は手伝ってくれます。 他に学年によって自由参加の活動もあります。 例えば、中1の生徒が参加する入学祝福ミサなどです。自由参加の活動には4分の1くらいの生徒参加ですね。
    (中山)
    それではカトリックに関心を持っていない生徒も違和感なく生活を送ることができるわけですね。
    (トランブレ先生)
    そうです。日本式に「大学に進学できるようにと神様にお祈りする」という生徒もいるだろうと思いますよ(笑)。入試の前に行われるミサもありますから。
    (中山)
    先生は授業をお持ちなんですか。
    (トランブレ先生)
    いえ、今は持っていません。6年前まで持っていました。
    (中山)
    寂しくなられたのではないですか。
    (トランブレ先生)
    寂しいですね(笑)。 ただ聖書研究会の場で教えています。 わずか20、30人の生徒相手ですが。
    (中山)
    聖書研究会の生徒たちの勉強会で何か心に残ることがありましたか。
    (トランブレ先生)
    心にはどの程度残るかはわかりませんが、生徒は非常に素直に聞いています。 中1と高1とを教えていますが、宗教に関して偏見を持っていないところは良いですね。
    西洋文化とキリスト教とは一致しています。ですから、西洋を知るためにはキリスト教を絶対に知らなければならないと考えて教えています。
    (中山)
    生徒からいろいろな質問が出てくるのでしょうか。
    (トランブレ先生)
    中1ではあまりないのですが、高校生からは 「なぜキリスト教徒であっても悪いことをする人がいるのか」、 「神様が全能と言いながら、なぜ世の中が非常に混乱しているのか」 などと尋ねられます。我々も完全に理解できないようなことを聞かれます(笑)。
    完全に答えることはできません。 「それは神様の決めたことですから仕方ない」、「天国行けばきっと分かります」 と答えるんです。

  8. 【6270057】 投稿者: スレ主です  (ID:r04dzd/07SI) 投稿日時:2021年 03月 21日 19:44

    はじめにお伝えすれば良かったですね、プロテスタントで礼拝は毎日です。

    “差別や偏見を捨て、他者の選択を尊重すること、世の中は理不尽な事だらけで納得がいかなくとも耐えなければならない時もある。今は、そのひとつが礼拝”という考え方はわかってもらえそうです。
    今後次第では高校から外部というのも視野に入れなければなりませんが、礼拝以外、特に友人関係などは楽しくて、現在は高校受験は考えておりません。

    スレの主旨から外れますが、高校受験について情報不足でしてご存知でしたら教えていただけますか。
    以下、今現在の親の認識です。
    私立中高一貫から高校受験ですと内申は期待できませんので公立高校は難しいと思いますし、内申不要の私立高は難関でリスク高いと思っています。高校受験するなら大学附属校と思いますが、女子ですので早慶は狭き門ですし無宗教校に限定すると青山立教も選択できず、明治中央法政学習院あたりで、内申が重要視されない学校あるでしょうか。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す