今年入学した高1生が語る青春リアル
この禅問答に、どう答えますか?
▶あなたが立っているところに、ひとりの禅僧が現れて、持っていたほうきの柄〔え〕を使って、あなたを中心に直径1〜2mの円を描きました。
▷あなたは、この禅問答にどう答えますか?
*出題した問題は、私がある禅僧から出された公案です。当時はその答えがわかりませんでしたが、今はその回答が分かったと思っています。あなたの回答を教えて下さい。
>私は数十年間、頭の片隅でこの問題の回答を知りたいと思いながら考えていました。残念ながら、私の回答をここでは申し上げられません。ご自分で見つけることに意味があるのです。
この問題に時間は関係ないと思います。
その円はすべてのものをあらわし、時間も空間も超越することができ、無限に広がることも、逆に一点に収束することもできるものを表してしているのではないかと感じました。よくわからないのですが物理学でいう光円錐?に似たようなものでしょうか。
半眼で目に見えるものも、見えないものもみることにより理解できるということでしょうか。
難しくて眠たくなってしまったのでこのあたりで。
禅はもともと
立場を放棄したふりをするための飾りではなく
立場が消えたあとに残る沈黙そのものを指している。
達磨は教典すら不要と言ったし
臨済は仏に逢えば仏を殺せと言った。
思考を捨てよと言いながら
思考を捨てるという企図さえ否定した。
そんな教えの系譜で
円に執着しているのはこちらではなく
あなたの側だとすぐに分かる。
円に正解があると言い
正解を秘することに意味があると言い
他者の思考を責め
倫理は無いと言いながら
自分の説法だけは特権的とする。
それは禅ではなく
ただの形式の信仰だよ。
本来の禅では
円が描かれた瞬間に円は無効になる。
境界に意味を与えた者自身が
その意味を解体する責任を負うからだ。
あなたの円はあなたの心にしか存在しない。
その事実を指摘するだけで
この問答は終わる。
皆さん、円をめぐって喧々諤々〔ケンケンガクガク〕ですね。不愉快にさせる気持ちはありませんでしたが、円へのこだわりが、意見交換を活発にさせたようですね。
▶最後に私なりのヒントです
どうして、他者〔禅僧〕が描いた円に、あなたをはじめ、円の中心にいる人物が振り回されなければならないのですか?なぜ、他者〔禅僧〕の課題にこだわるのですか?あなたは、この円を瞬時に断ち切ることが出来ます。それは他者の立場に立ちすぎる習慣を捨てることです。
*ギリギリのヒントのため、自分なりに回答に気づかれた方がいると思いますが、その回答は口外しないで下さい。・・私はこれで、このスレから消えます。
●ただ、禅を考えるヒントを紹介します。・・戦前、特攻隊員が「悠久の大義につく」と言って死地におもむいたのも・・
▶訂正
・・戦前、特攻隊員が「悠久の大義に生きる」と言って死地におもむいたのも・・
*ここでは、特攻による「死」を「生」に転換しています。発想を変えると、「死」が「生」に変化するのです。
私個人的には、他人が描いた円には振り回されてはいません。それより手前の、「他人が何かを描こうと近くにすり寄って来る事」が驚きであり、奇異な行動に感じられます。
円そのものについては特に何とも思いません。
あなたの考え方について、少しコメントをさせて下さい。〔←スレから消えると書いたのに、登場してしまいました〕
これから書くことは禅問答とは関係ありません。あなたの書いた文章を別の言葉で翻訳しますと・・
▶「私は他人のすることには関心はありません。ただ、私のプライベートゾーンに他人が入って来ることは不愉快です」
*この考え方で、何の問題もなく幸せな生活を送っておられるなら、それを貫いて下さい。ただ、アリストテレスは、「人間は社会的動物である」とも言っています。要は、バランスが保たれていれば、さらに問題はないのではないかと思います。




































