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辺野古沖で抗議船2隻が転覆 平和学習の同志社国際高校の生徒乗船

【7775859】
スレッド作成者: Ben-k (ID:uYmDwAbXZUk)
2026年 03月 16日 22:03

第11管区海上保安本部によると16日午前10時10分ごろ、沖縄県名護市辺野古沖で、辺野古の新基地建設に抗議する市民が乗る船「平和丸」と「不屈」が転覆した。
(沖縄タイムスより)

波浪注意報が出ているのに出航したようです。

17日には記者会見があるようです。
皆で議論しましょう。

【7787956】 投稿者: 同類だった   (ID:xWkrfePpzak)
投稿日時:2026年 04月 18日 17:35

AI による概要
日本赤軍と連合赤軍は、いずれも1970年代に活動した日本の極左暴力集団ですが、活動拠点と目的が異なります。日本赤軍は重信房子を最高幹部とし中東を拠点に国際テロ(ハイジャック等)を行った海外派、連合赤軍は山岳ベース事件やあさま山荘事件を起こした国内派で、別組織です。

活動拠点:
日本赤軍: レバノンなど中東・国際拠点。
連合赤軍: 日本国内(山岳ベース、あさま山荘)。

活動内容:
日本赤軍: 国際テロ、ハイジャック、大使館占拠など(世界革命)。
連合赤軍: 銃砲店強奪、山岳ベースでのリンチ殺人、あさま山荘事件。

結成経緯:
日本赤軍: 赤軍派の国際部門が、パレスチナ解放人民戦線と連携。
連合赤軍: 共産主義者同盟赤軍派と、京浜安保共闘の合流。

共通点と関係
両者とも1970年〜72年に過激化した「新左翼」の極左武装集団。
日本赤軍を創設した重信房子は、連合赤軍の母体となった「赤軍派」の出身。
「共産主義社会実現」という同じスローガンを掲げていた。

概要
連合赤軍 (1971-1972): 71年末に赤軍派と革命左派が合流。山岳ベースでの内ゲバ(リンチ殺人)でメンバー12人が死亡し、逃走したメンバーが72年2月の「あさま山荘事件」を引き起こして崩壊した。

日本赤軍 (1971-2001): 71年、パレスチナで「アラブ赤軍」として結成。74年に日本赤軍と名乗り、テルアビブ空港乱射事件やダッカ事件など、国際的に活動。2001年に重信房子が逮捕され解散した。

【7787965】 投稿者: しばらく横   (ID:xWkrfePpzak)
投稿日時:2026年 04月 18日 17:54

鎌倉の病院で死亡した過激派もいました。

桐島 聡(きりしま さとし、1954年1月9日 - 2024年1月29日)は、1970年代の日本の新左翼過激派集団である東アジア反日武装戦線のメンバー。
1975年に同派による連続企業爆破事件の被疑者として全国に指名手配された。逃亡から約49年後の2024年1月25日に偽名で入院中、自身の名前を名乗り、その4日後に死亡した。

1954年生まれ
若いですね

組織の名前でぐぐってみました。

東アジア反日武装戦線(ひがしアジアはんにちぶそうせんせん)は、1970年代に爆弾テロを行った日本のアナキズム系の極左テロ集団、極左暴力集団。
1974年8月の三菱重工爆破事件(死亡8名、重軽症380名)から1975年5月の主要メンバー一斉逮捕・壊滅までに12件の連続企業爆破事件を実行した。
犯行声明で反日本帝国主義(反日思想)やアイヌ革命論などを主張し、海外進出日本企業を「アジア侵略に加担している企業」と批判した。

東アジア反日武装戦線は法政大学学生出身者を中心とした3グループ約9名で、思想的には太田竜の影響を受け、1974年3月に爆弾製造教本の腹腹時計を地下出版し、1974年8月に昭和天皇爆殺未遂事件(虹作戦)を起こしていた。

メンバーは警察に認知されていなかった普通の市民を装った非公然活動家で構成された。
警察白書の極左暴力集団等のセクト分類では、5グループ22セクト(5流22派)には含まず、ノンセクト・黒ヘルグループに区分される。

1977年9月の日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件での超法規的措置で、一部メンバーは釈放され日本赤軍に合流した。

えっ~
日本赤軍とつながってるじゃん
爆弾製造って

安倍暗殺の爆弾つくったの 残党だったりして
あのお坊ちゃんに殺傷能力の高い爆弾つくったのかな~

まあネットで検索してその通りに作ったのかな?しらんけど

【7787968】 投稿者: 1954年生まれ 日本赤軍でぐぐったよ   (ID:.1NBgkBIDBk)
投稿日時:2026年 04月 18日 17:59

1954年(昭和29年)生まれで日本赤軍、あるいは関連する極左過激派組織に関わった人物として、以下の人物が知られています。
若林 佐喜子(わかばやし さきこ)
生年月日:1954年(昭和29年)12月13日
概要:よど号グループのメンバー(旧姓:黒田)。1970年の「よど号ハイジャック事件」に関与したグループのメンバーとして、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の平壌に在住している。
なお、1954年生まれではあるものの、日本赤軍ではなく「東アジア反日武装戦線」のメンバーとして国際手配され、2024年に逮捕・死亡した人物として桐島聡(きりしま さとし、1954年1月9日生)がいます。
※日本赤軍(重信房子元最高幹部ら)は、中東を本拠に活動していた組織であり、1970年代の「よど号事件」の犯人グループは「赤軍派」であり、後に日本赤軍や北朝鮮のよど号グループに分化・展開していきました。

生きてたら72歳だね

【7787974】 投稿者: あら旦那 同志社出身じゃん   (ID:.1NBgkBIDBk)
投稿日時:2026年 04月 18日 18:17

若林盛亮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若林 盛亮(わかばやし もりあき、1947年2月26日 - )は、よど号グループのメンバー。

経歴
滋賀県草津市生まれ。滋賀県立膳所高等学校を経て同志社大学経済学部に入学。在学中、1970年によど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。

1976年に結婚し、妻である若林佐喜子と平壌に在住している。
現在も警察庁により指名手配されていると同時に国際刑事警察機構より国際手配されている。
妻である若林佐喜子は欧州における日本人拉致事案に関与しているとして警察庁により指名手配されていると同時に国際刑事警察機構より国際手配されている

2人の子供がいる。2002年9月に長男(当時24歳)が、2009年1月に次男(当時14歳)が帰国している。
バンド裸のラリーズの結成時のメンバーでもある。
1999年、訪朝した江頭2:50の希望により、よど号ハイジャック事件の若林と魚本公博(旧姓安部)と北朝鮮の平壌高麗ホテルで会談を行っている。
2011年11月、爆風スランプのファンキー末吉が4度目の訪朝をした際、偶然隣にいた若林と酒を飲み交わしている。
2011年11月15日、2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選の対北朝鮮戦では、金日成競技場外国人用席で観戦していた。「(北)朝鮮を応援しようと思ってきたけど、試合を見ているとやはり日本を応援してしまうな」とひと言だけコメントした。
2017年7月18日、よど号事件の人質の一人であった医師の日野原重明が105歳で死去した。
日本の新聞の取材に応じた若林は、日野原を「われわれの思い上がりを気付かせてくれた恩人」と偲び、「まだまだお元気と思っていた。私たちの親族、帰国した子供にも会っていただいた。いずれ帰国し直接おわびしたかったが残念だ」などと述べた。


聖路加国際病院名誉院長を務めた医師・日野原重明氏(1911-2017)は、牧師の家庭に生まれ、プロテスタントのキリスト教徒として知られます。聖路加は聖公会系ですが、日野原氏自身は日本基督教団(UCCJ)の教会(玉川平安教会など)と深い関係を持ち、信仰に基づいて医療や平和活動に取り組みました。

2020年、よど号事件から50年を前にメンバーを代表して産経新聞の電話取材に応じた。「ハイジャックを含め赤軍派の戦いは間違っていた」と総括する一方で、欧州での日本人拉致(欧州における日本人男性拉致容疑事案など)については無関係であると主張し、拉致の疑惑が晴れない限り日本への帰国は不可能とした。

なお、上述の江頭との対談で若林らは「実は俺たちは海外にもたくさん行っていて、この前もオーストリアに行った」「日本人の女性っていう女性、全員ナンパしました」などと発言していたとされる。
2002年の日朝首脳会談で北朝鮮が公式に日本人拉致を認める前のことであり、若林らのいう"ナンパ"とは、拉致のことを指していたと考えられる。

【7787979】 投稿者: 老人   (ID:.1NBgkBIDBk)
投稿日時:2026年 04月 18日 18:35

よど号メンバーは拉致は俺じゃないと言ってる。

よど号ハイジャック実行犯ら3人、名誉棄損で都を提訴…拉致容疑者としてHP掲載「社会的評価が低下」
2025/03/31 20:04 読売新聞

 1970年の日航機「よど号」ハイジャック事件の実行犯で、北朝鮮で暮らす魚本(旧姓・安部)公博容疑者(77)ら3人が31日、警視庁ホームページに日本人を北朝鮮に拉致した容疑者として掲載され、名誉を傷つけられたとして、東京都に1人当たり550万円の慰謝料を求める訴訟を東京地裁に起こした。


じゃあ 誰なんだろうね?

【7787989】 投稿者: 平壌   (ID:IBg2KAOMU96)
投稿日時:2026年 04月 18日 19:26

日本基督教団(UCCJ)は、1941年にプロテスタント諸教派が合同して成立した日本最大(約1,650教会、16万人)のプロテスタント教団です。戦時下の国家要請により形成された経緯があり、戦前・戦中には平壌を含む朝鮮半島や満州の教会もこの組織の一部に組み込まれていました。

主な特徴と歴史:
成立: 1941年の宗教団体法施行を機に合同。
戦時下: 朝鮮半島や満州の教会も日本基督教団の統制下に置かれ、戦争協力体制の一翼を担った経緯がある。
戦後: 戦後は日本国内の教会を中心に組織が再編され、戦前の教団構成とは異なる歴史的経緯を持つ。

現在の活動: 日本基督教団公式サイトによると、約30のキリスト教系団体が連携する日本キリスト教協議会(NCC)に加盟し、現在もエキュメニカル運動(教会一致運動)を行っている。
平壌との関連は主に太平洋戦争前後の強制的な合同と、その後の分立・分離の歴史的コンテキストで語られることが多いです。

【7787993】 投稿者: 頑張れ産経新聞   (ID:fpnsNWyLuQk)
投稿日時:2026年 04月 18日 19:43

<独自>同志社国際、辺野古研修旅行で悪天候時の代案行程を用意せず 京都府調査で判明
2026/4/18 17:00

雨が降ろうが強行するつもりだったと???
そりゃあ遊覧船を想像するよね

【7788026】 投稿者: しばらく横です   (ID:uq4.W/zfYpI)
投稿日時:2026年 04月 18日 22:26

1995年9月に開催された「第4回世界女性会議(北京会議)」は、女性の権利を「人権」と定義し、ジェンダー平等、開発、平和を目標とする「北京宣言及び行動綱領」を採択した国際会議です。女性への暴力撤廃や意思決定への参加など、現代の女性政策の基礎となる国際的な合意事項(12の重大問題領域)を決定した非常に重要な歴史的イベントです。
内閣府男女共同参画

開催概要: 1995年9月4日〜15日、中国・北京で開催。
北京宣言・行動綱領: 女性のエンパワーメント、女性の健康管理、女性への暴力撤廃、経済的自立、意思決定への参加など12分野で具体的な目標を掲げた。
成果と背景: ヒラリー・クリントン氏(当時米大統領夫人)の演説などもあり、女性の権利は人権であるという認識が国際的に確立された。
現状と30周年: 2025年現在、採択から30周年(「北京+30」)を迎え、進展は見られるものの、世界的なバックラッシュ(反発・抵抗)が課題となっている。

北京会議は、現在もなお世界的なジェンダー平等のバイブルとみなされています。

ラスボスは何度も北京会議に出席したことを福島瑞穂氏の能弁に語った。

ヒラリークリントン、エプスタイン文書、モサド
モサド(Mossad)は、イスラエルの首相直属の対外諜報・特殊作戦機関です。ヘブライ語で「機関・施設」を意味し、情報収集、テロ阻止、秘密工作(暗殺や拉致)を主に行います。CIAやMI6に相当する、世界的に高い能力を持つとされる組織です。
シオニズムとモサドは、イスラエルの建国、安全保障、そして存続において深く結びついた要素です。シオニズムが「建国の思想」であるなら、モサドは「国家を物理的に守るための実動機関」と言えます。
1. シオニズム(Zionism)
概要: パレスチナの地(シオンの丘)にユダヤ人独自の民族国家を建設しようとする思想や運動。
背景: 19世紀末のヨーロッパ社会における反ユダヤ主義や迫害から逃れ、安全な故郷を求める動きとして始まった。
成果: 1948年にダヴィド・ベン=グリオンらにより、イスラエル国の独立が宣言された。

2. モサド(Mossad)
概要: イスラエルの対外諜報特務庁。1951年創設。
意味: ヘブライ語で「施設・機関」を意味し、正式には「ハ-モサッド(Ha-Mossad)」と呼ばれる。
役割: 対外情報の収集、テロ阻止、核開発の妨害、秘密工作などを行う。

3. シオニズムとモサドの結びつき
建国と防衛: モサドは、シオニズム運動の発展とイスラエル建国に伴って形成され、国を守るための必須組織となった。
イデオロギー的背景: モサドの構成員の一部は、シオニズムの熱意や使命感を持って任務に従事している。
敵対勢力への対応: シオニズム運動に敵対する勢力や、イスラエルの安全を脅かす存在(特にイランの核開発など)に対し、長期間にわたる情報活動や工作を行う。

モサドは世界で最も強力な情報機関の一つとみなされており、イスラエルの外交や軍事において「影の盾」の役割を果たし続けています。

シオニズムは北朝鮮の核兵器開発にはカーター大統領などを使って食い止めることができなかった。

1994年、北朝鮮の核開発疑惑(第1次核危機)による米朝一触即発の戦争寸前、ジミー・カーター元大統領が平壌を訪問し、金日成主席と会談して攻撃を回避しました。カーター氏の仲介で金日成は核凍結に応じ、その後の「米朝枠組み合意(ジュネーブ合意)」につながる道筋をつけました。

1994年 カーター訪朝の背景と成果
危機の状況: 米クリントン政権は北朝鮮の核施設への爆撃など軍事オプションを検討しており、朝鮮半島は戦争寸前の状況でした。
カーターの役割: 1994年6月、カーター元大統領が平壌を訪れ、金日成主席と会談。この結果、北朝鮮は核開発凍結の約束とIAEA(国際原子力機関)の査察受け入れに同意。
結果: 同年10月の米朝枠組み合意へとつながり、軍事的衝突を回避。

カーター氏のこの行動は、「民間の特使」として直接対話を切り開き、朝鮮半島での戦争を防いだ功績として知られています。

朝鮮半島での戦争を防いだかもしれないがウクライナ紛争で北朝鮮人はロシア、プーチンのために戦った。
今も戦闘は終結していない。

北朝鮮の核弾頭保有数は、2025年1月時点で約50発と推定されています。一部の韓国専門家の分析では最大150発に達する可能性も指摘されており、ウラン型が約115~131発、プルトニウム型が約15~19発と分析されています。また、核物質の増産により、2040年には400発規模に増える可能性も懸念されています。

北朝鮮の核保有に関する主な情報
推計保有数: 約50発(、ストックホルム国際平和研究所:SIPRI)
別の推定: 最大150発(、韓国軍事フォーラムでの分析)
核物質: 高濃縮ウラン(HEU)生産が中心で、プルトニウムも保有。
開発傾向: 小型化・軽量化された戦術核弾頭の開発を重視。
将来予測: 2040年には400発規模に達する見通し。

上記は2025年時点の推計データであり、実際の数値は不透明です

イランの核開発は止められるだろうか?

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