充実した教育環境の日大付属高校
辺野古沖で抗議船2隻が転覆 平和学習の同志社国際高校の生徒乗船
第11管区海上保安本部によると16日午前10時10分ごろ、沖縄県名護市辺野古沖で、辺野古の新基地建設に抗議する市民が乗る船「平和丸」と「不屈」が転覆した。
(沖縄タイムスより)
波浪注意報が出ているのに出航したようです。
17日には記者会見があるようです。
皆で議論しましょう。
4月24日(金)、佐々木副大臣は、令和8年3月16日に発生した沖縄県名護市辺野古沖転覆事故の現場を視察し、亡くなられた方々の追悼のため、献花・黙祷を行いました。
国交省は現場から2kmの場所で献花
玉城デニーをはじめ活動家連中は現場から4km弱の場所で献花
別にバケツ(犬の水飲み用として)に入れられた献花 辺野古漁港の活動家のテント内もある。
2026年1月16日 赤旗新聞
クミコ名護市長誕生必ず
誰もが住みやすい街へ
18日の告示が目前に迫った沖縄県名護市長選(25日投票)で、同市辺野古の米軍新基地建設に反対し、基地依存の市政からの転換を目指す、おながクミコ予定候補を必ず押し上げようと市民らは同市内で15日、「だれもが住みやすいまちへ まちかどLIVE」と題し街頭でリレートークを行いました。
クミコ氏は、「辺野古の生物多様性の青い海に生きる生物を助けたい。(新基地建設の)土砂搬入で費やしている税金で今、苦しんでいる国民を助けるべきだ」と強調。パートナーシップ・ファミリーシップ制度の導入や障害者の移動のための「オンデマンドバス」の導入など公約を紹介し、「すべての人が住んで良かったと思える名護市を絶対つくる。お力をお貸しください」と呼び掛けました。
いーなぐ会(名護市政を考える女性の会)の浦島悦子さん(77)は、「平和と自然がないと(市民は)生きていけない」と強調。「クミコ市長を誕生させ、名護市を世界の『平和のさちばい(さきがけ)』にしよう」と訴えました。
同市で学ぶ女子学生は、「平和な名護、美しい自然を守るリーダーが必要だ。私たちの将来に責任を持ってくれるクミコさんを、若者・学生の皆さんで一緒に応援しよう」と呼び掛けました。
無所属の尾辻朋実参院議員も必勝を訴えました。
いーなぐ会(名護市政を考える女性の会)の浦島悦子さん
彼女も沖縄県外出身
浦島悦子
1948年、鹿児島県生まれ
AI による概要
1945年から1949年にかけての鹿児島県は、太平洋戦争の敗戦により連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の直接的な統制下に置かれ、社会・教育・経済の全域にわたる劇的な転換を経験しました。
鹿児島におけるこの期間の主な出来事とGHQの動向は以下の通りです。
1. 敗戦と「追放図書」の発生(1945年~)空襲による壊滅: 1945年3月以降、鹿児島市は8回の空襲を受け、特に6月17日の鹿児島大空襲では市街地の9割以上が焼失しました。
GHQによる没収と抗い: 敗戦後、GHQの指令により軍国主義的と見なされた書籍が「追放図書」として没収・廃棄されました。守られた歴史資料: 鹿児島県立図書館(現・鹿児島県立博物館の場所)は空襲を免れた数少ない図書館の一つであり、当時の館長・椋鳩十らがGHQの没収命令に抗い、多くの貴重な図書を隠して廃棄から守り抜いたことで知られています。
2. GHQの「5大改革」と鹿児島での民主化(1945年10月~)1945年10月11日のGHQ指令(5大改革)により、鹿児島でも社会構造が民主化されました。教育の民主化: 軍国主義教育の撤廃、修身・国史・地理の授業停止、新教育指針(教育基本法)の制定などが実施されました。農地改革: GHQ主導のもと、農民解放指令により寄生地主制度が解体され、小作農への農地解放が進められました。
労働・男女同権: 労働者の団結権(労働組合の結成)や男女同権(女性の参政権獲得)が実現しました。3. 奄美群島の米軍政(1945年~)鹿児島本土とは異なり、奄美群島は沖縄とともに米海軍(後に陸軍)の直接統治下に置かれ、1953年12月の復帰まで本土とは異なる行政・教育の道を歩みました。4. 復興の始まり(1946年~1949年)鹿児島市を中心に、焼け野原からの復興が始まった時期です。
GHQは民主化政策を監視・指導し、鹿児島県は新しい憲法の下での社会構築を進めました。この時期、加治木町などで戦争末期の空襲による犠牲も明らかになり(1945年8月11日)、人々は戦争の記憶を抱えながら、米軍(GHQ)の管理下に置かれた新しい生活に適応していきました。
戦後公共図書館で追放された図書の主題傾向鹿児島県立図書館では「追放図書」と称するコレクションが所蔵されている.それは第二次世界大戦直後に軍国主義関連図書等. が...鹿児島女子短期大学リポジトリ第 2 章 戦後の漁村変革 - 鹿児島県水産技術開発センター敗戦によるGHQの統制. 1945(昭20)年8月15日,ポツダム宣言受諾によって太平洋戦争は終結し,1951(昭26)...鹿児島県水産技術開発センターアメリカ合衆国による沖縄統治 - Wikipediaアメリカ合衆国による沖縄統治. 連合国軍占領下の琉球. 言語; 読み込み中… PDFをダウンロード; ウォッチリストに追...Wikipediaすべて表示
沖縄県名護市辺野古沖で平和学習中の生徒が乗った船2隻が転覆し2人が死亡した事故で、抗議船「平和丸」の乗組員が事故後、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の辺野古移設工事に反対する抗議活動に参加し、ダンプカーの前で進路を妨害していたことが2日、分かった。
関係者によると、亡くなった同志社国際高(京都府)2年の女子生徒(17)が乗っていた平和丸の乗組員は事故後の3月下旬、現場海域に近い米軍「キャンプ・シュワブ」のゲート前で行われた座り込みによる抗議活動に参加していた。辺野古移設工事で使われる土砂の搬入を阻止しようと車道で横たわり、ダンプカーの進行を妨害したとされる。乗組員は以前から、海上での抗議活動などに参加していたという。
2014年9月 7日 (日)
カヌー隊の金治明(キムチミョン)さんより辺野古緊急報告 『人民新聞』1525号
9月5日付の『人民新聞』の2~3面に、っ辺野古カヌー隊の金治明さんの報告が載っている。
金さんは、7月以降の海上ボーリング工事攻撃との先頭で闘ってきたカヌー隊の戦士。連日海上攻防を闘い、全国にメールを発信してきた。
筆者も「きみは今闘っているか、俺は今日もカヌーで海上に出た」とのメールをよくもらう。多くの人が現地に駆けつけている中で、行けず申し訳なく思い、少しばかりのカンパを送った。そして今、この9月~10月には地域の仲間が辺野古にけるように、いろいろ作戦を練っている。そんな折、金さんの長文の報告が『人民新聞』に出でた。これは広めない手はない、ということである。
実は最近も「今日971img028、知花昌一と仲良く海上保安庁に「拘束」されました。名前は知られているが、とりあえず黙秘」とメールをもらっていた。その8月30日のカヌー隊20名拘束の事実が、この報告の最後に出ている。とりあえずカヌーの解放も実現し、全員の奪還も実現したとある。
沖縄・辺野古の攻防は11月まで続く。また11月は知事選で、仲井真を知事から引きずりおろさなければならない。そして反対するものを「テロリスト」と考える安倍政権に対し、我々もどんどん辺野古に行き、「テロリスト」を全国に蔓延させてやろう。11月までに私たちも現地に何人か行くし、広く多くの仲間が金と時間を作って現地に行くことを呼びかけたい。
転覆した平和丸の乗組員がこんなに熱心な活動家だったこと、全く知りませんでした。
事件後に記事になっていた「金井さんが決めたこと、金井さんを起こして訊いてくれ」のような言動は飲酒のせいだったのでしょうか。
































