充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
視点さんは、「贅沢」とは言わないと思いますよ。
高校受験万歳ですから。高校受験なら、私立でも公立でもどちらでもいいんじゃないかな、視点さんは。ただ、出来れば公立ならウエルカムでしょう。
とにかく佳境です。ノロやインフルにはくれぐれもご注意を。
老眼様 小休止様 皆様
以前、根本的様と離陸様から「カーネーション」(NHK 朝の連ドラ)を教えて貰いました。
近頃の私の一日の最大の楽しみは、この番組を見る事。
たいがい、夜に録画したものを見るのですが、毎回自分で「なんで泣くんだ」と自分に突っ込みを入れながら見ております。
可哀想とか悲しいとかそういう涙ではないのです。
その台詞の素晴らしさに涙が溢れてしまうのです。
今、主人公の年齢設定は47歳。
私達と近い年齢になっています。
その世代の大人が若者達に贈るエールや、自分の人生と若者のこれからを対比して考える。
また、頑張る若者達の葛藤が私の心に直球で飛び込んできます。
バリバリの河内弁ですので、関東圏の方には言葉に少し違和感があるかもしれません。
主人公も、大和撫子とは少し違ったタイプの女性に描かれております。
しかし、私はここしばらく、こんなに品格のあるドラマを見たことがない。
これほど上質で夢や将来に対するテーマをまっとうに扱い、小細工を施さないドラマは珍しいんじゃないかな~と感じております。
お薦めのドラマです。(以前の根本的様と離陸様のお話で、はまってらっしゃる方もおられると思いますが。。。)
根本的様、素敵なドラマを教えて下さり、本当にありがとうございます。
受験に限らず、人はどうして既得権益に固執するのかと・・・・。
「学歴」を既得権益と考える人からすると身を守る大切なツールだと思いますし。
「少子化が守りに入る」・・どうでしょう、そういう側面もあるかもしれません。
何故、少子化になるかと云えば、最も大きな理由として育てる環境、コストを負担しきれないと感じる層が多いからだと思います。基本、二子以上産まなければ、人口増加しないわけですし。
つまり、将来への不安に備えて身を守ろうとする「安全への欲求」が高まっているからじゃないかと?
先日、Nスペ「ここまで来た!鬱病治療」をみました。不安を司る扁桃体の活動を抑制出来ないことに起因している場合があるとされていました。扁桃体は、危機を察知する上(生命を脅かす物音等)で有用です。しかし、抑制出来なければ、常に生命の危機を意識しながら生活しなければなりません。生命の危機は、捕食者から身を守ることだけではなく、日々の糧を得ることへの不安もあると思うのです。この「日々の糧を得られない」不安と「既得権益を得られない」不安は、同じような意味合いなのではと思うのです。冷静に考えれば、現代において飢え死にする心配ってほとんど考える必要はなく(異論もあろうか思いますが必要なカロリーは足りているという意味)輸入に依存している現状ではありますが、他国との関係においてそこそこ安定的です。そういう不安感にさいなまれるとすれば、それは過度に大衆が危機を感じ過ぎているともとれます・・・錯覚、幻想というか。塾に行かせ私立に進学させているそこそこ裕福なご家庭においても、この不安感ってあると思うんです。この幻想を払拭するには、人々が根源的に持っている不安の解消しかないんじゃないかと思うわけです。例えば、「カロリー保障制度」とかね。(笑)いや、マジでそう思うんですけどね。
不安の理由さえ不明確な不安の連鎖を断ち切れば、蓄財を目的とする既得権益への固執も和らぐのではと・・・そうすると子供達を育む上で大切な教育の在り方も見えてくるような気がします。
飛躍しすぎ・・・ご容赦。
地域時代さん
「HPのあらすじ」を読んで、(観ていないものですから)、あることをふと思い出だしました。
漱石の夢の話。
『ついに明治の木にはとうてい仁王は埋うまっていないものだと悟った。それで運慶が今日きょうまで生きている理由もほぼ解った。』
地域、時代 様
>資本主義社会の公教育様も芸術分野の方なんですね♪
私立の美大のデザイン系卒です。
私の時代はまだCGは全然で、学生時代はマックすらなかった(泣)
切ったり貼ったり・・・すごいアナログな世界でした。
山下清巨匠のように旅をしながらぷらぷらしたかったんだけど、親が固くて許してもらえず、どうしても健康保険証がもらえる会社に就職してくれと泣かれまして(笑)
小さな小さなメーカーの企画室で仕事してました。
今は、一匹狼商売人の奥さんなので、毎日モノを右から左に流すお手伝いをしております。
本当に人生どうなるか本当にわからないものです。
地域、時代さんも紆余曲折の人生で、でも現在位置がしっかり地に足がついていて羨ましいです。
私は、全然ダメダメ人生です。
でも幸せですけどね。
こちらこそ、よろしくお願いしますね。
>何故、少子化になるかと云えば、最も大きな理由として育てる環境、コストを負担しきれないと感じる層が多いからだと思います。基本、二子以上産まなければ、人口増加しないわけですし。
つまり、将来への不安に備えて身を守ろうとする「安全への欲求」が高まっているからじゃないかと? (信頼感さん)
マスコミ報道によりますと、
少子化理由は、経済的理由から、家庭を築けない人や多産できない夫婦が増加している、とう事実が指摘されています。
その経済的理由をさらに細かくみてみると、こどもにカロリーを与えるための財布の中身ではなく、複数の子供に教育を施すための財布の中身、に対する不安とあります。
また、そもそも財布の中身が不安な原因は、夫婦の可処分所得の少なさと、貯蓄の余裕がないことと、雇用の不安定さから生じる危惧にあるようです。
可処分所得や貯蓄や雇用環境を全国的にただちに満たすことは相当の時間を掛けても現実味に欠けますが、
各家庭が教育を施す財布の中身をまったく気にしなくて良い状態を全国的にただちに創ることは、その気にさえなれば、不可能ということはない、と思います。
園から小学校卒業までの期間の、芸術・スポーツ・武道・伝統芸能を習うということも教科を習うことと同様に、全額国費を投入するというものです。
「何かを習いたいと欲するこどもたち」にそれをきちんと提供することは公的な教育に相当し、国の文化や繁栄そして将来の世界への貢献を考えれば、
その程度の転換・判断・実行を必要とするのではないかと思います。
安心して家庭を持つ若年層が増え、こどもが増えれば、互いに、共有できる夢を持つことができるのではないでしょうか。
カーネションを描いた地域時代さんのお気持ちもそんなところにあるのかなぁ。
老眼様
>その経済的理由をさらに細かくみてみると、こどもにカロリーを与えるための財布の中身ではなく、複数の子供に教育を施すための財布の中身、に対する不安とあります。
もちろん、仰る通りです。カロリーが直接の原因じゃないと理解しております。
しかし扁桃体は、生命の危機を感じているんじゃないかってことです。
そこで助成金を給付してもそれぞれのレベルにおいて満足できない。
上手く伝えられなくてスミマセン。
少なくともこの国では、飢餓による生命の危機はないという情報をDNAに更新する必要があるって意味です。(扁桃体を抑制する為に)
苫米地氏も述べていますが、通貨を分けるって案も面白いなって思ってます。
食糧に関する通貨とそれ以外のものを購入する通貨とに。
高級レストランで食事をする場合、食材と技術料(情報料)に分かれるイメージですかね。
ネット関連の企業が短期間に高業績を上げる理由は、商品に占める原材料コストが低く、情報部分は瞬時にコピー出来てしまうからだと云われています。(サーバー等持つと大変でしょうけど)
こういう商品と食材のように育成期間もある程度必要で情報部分のほとんどない商品を同じ通貨で比較出来てしまうこと自体、第一次産業としては不利だと思うんです。
1000万円のクルマも100万円のクルマも原価では、大きな差がないと思われ、1000万円のクルマと100万円のクルマとの差と云えば、付加価値(情報)なんだと思います。
なので付加価値部分を別の通貨でってことのようです。
無限コピー出来てしまうものと育まなければならないものとを同じ価値観で考えるから、
ネット関連企業(付加価値を扱う企業)にマネーが偏ってしまうという考えです。
肯ける部分が多々あると感じています。
カーネーションの話題をこちらで広げていいものか・・・と思ったのですが、「多様性を認める社会」というものにつながることを書きたかったので、こちらで失礼します。
昨日のカーネーションで、木之元のおっちゃんが店をたたんでカフェ太鼓を譲り受けることになったエピソードがありました。
その時の糸子のナレーションを聞いて、私は涙が出そうになりました。
「人生ちゅうんは優しいもんで、何が欲しいかもよう言わん様な人間の手でも、急にぽこっと宝物をくれることがあります。」
これを聞いて、私は自分の父親の事をふと思いました。
祖父は戦中から大手都市銀勤めで、父は子供の頃から父親の転勤であちこちを転々と転校ばかりだったそうで、そのことがよほど辛かったのか、自分の会社員時代は(私が物心付いた頃から)絶対に転勤を受けませんでした。
メーカー勤務でしたけど、文系上がりなので転勤を断ると出世は出来ません。
同期や後輩が出世したり、系列会社に出たりしている中、ずっと同じ現場でいろいろな課の管理職を転々と経験しながら過ごし、愛社精神だけは人一倍で内部の事は父に聞けばたいていわかるという存在だったそうです。
母は薄給で苦労しましたけど、私達子どもにはそんな苦労は感じさせず、一度の転校もなく幸せな子ども時代でした。
転機は、17年前の震災でした。
震災直後に会社に一番に駆けつけ、父の機転で各方面へのいち早い対応が評価され、定年までの最後の数年間を社長直属の部署の責任者に配置転換して頂きました。
出世欲も無く、ただひたすら真面目なだけがとりえの父が、あの時ほど誇らしく思えた事はありませんでした。
神様はいるんだな、と思いました。
良い時代だったのかもしれませんが、今でもあの時のことを思い出すと胸が熱くなります。
今の時代は結果主義で、競争に勝たないと生き残れないという風潮ですが、いろんなタイプの人間をきちんと評価し、居場所を作っていける社会であるといいのにな・・・と願っています。






























