充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
試験による入学者選抜は最も公平でしょう。
そこまでに至る学校歴、家庭文化、環境歴はいろいろあるけれど少なくとも出自による制限(旧華族しか受験できない。旧士族しかダメ。年収うん千万以上なければ受験資格なし)は東大、早慶にはないんじゃないの?
だとすれば国公立、私立に関係なく入学試験を突破すればいいだけの話。機会均等は保たれている。入試以前に差があるのは問題というなら・・・・・全教科東大講師の家庭教師をつけたという鳩山由紀夫など公立育ちの人間に石をぶつけられてもいいかもしれない。
だけど伝統公立の人間はそんなことしないんですよ。
「家庭教師?なにそれ?自分で参考書読めばいい。 金がない? 図書館利用したら。 現役塾? そんな暇はねえよ。やること一杯あって。高校生活は受験のためだけじゃないだろう。人に勉強教わるほど柔じゃない。勉強なんて本来自分でやるもんだ。」
赤貧洗うがごとしの生活をしていない限り他人の手を借りなくても勉強などできるから・・・・・・・・・・致命的な不公平など今の日本にはない。
問題はどういう勉強の仕方や環境で育ったものが「大学までの人」にならないかだ。自学自習であれこれ試行錯誤して自分なりの勉強法を身につけたものは大学に入っても伸びるだろう。
一方、塾だ家庭教師だとず~・・・とやってきた人は他者依存が習い性となっていて教科書に書いていないことが出来したときにはパニックになって冷静に対処できない。
危機に及んで試されるのはその人間がどうやって育ってきたかの全過程、つまりは人間力。困難を前にしてひるんでビビッてしまう人間はもともとそれだけの器だったのかもしれないし育つ過程が過保護だったのかもしれない。
塾の宿題をこなし、親や先生の言われたとおりに勉強しいい成績を取り大学まで来た人間とすったものだの失敗やら挫折やらを繰り返して自分なりの勉強法(生き残り法)を身につけたものと・・・・・・・どっちが強いだろうか?
雑草の強さ、雑種のたくまさしさ、喧嘩して叱られて、勝ったり負けたり、へこんだり歓喜したり絶望したり・・・・・・・・そうやってやった人間のほうがマニュアル通りの絵にかいたような秀才街道歩いた人間より絶対にたくましいでしょう。
塾に行くのもいい、家庭教師つけてもらうのもいい・・・・・・・でも現役にこだわらなければ高校時代は思いっきり好きなことやって、玉砕したら「世の中には頭のいい奴が一杯いる」と観念して予備校通いでもいいかもしれないね。
超特急よりウォーキングのほうが景色を楽しめるし今は人生80年時代。若いころに芽生えたつぼみが後年花開くこともある。小学生から勉強漬けで・・・・大事な子供時代を潰してしまうのは誠にもったいない。
それから道徳心からあいさつのことが書かれていましたね。
(さかのぼってしまいますが)
私の知っている方で、普通以上の才能と認められて
いる人たちって学生時代挨拶できない人多かったです。
具体的に書くとあれなんで
イメージとして 養老さんみたいなタイプでしょうか。
彼の場合は、あいさつについて 話すことについて
ちょっとしたトラウマがあったのですけれど
常識みたいなことについて考えすぎているが故
またそれが思春期であるが故、
できない場合もあるんだなあって思っています。
単に、そんなことを超えて
常識からはずれた世界を持っている子も
逆に才能の世界では突出している場合もありますよね。
そういう子って社会性はあとから身に着けているんだなと
見ていて思います。
もちろん、自分の教育は、
あいさつの大切さを言いますが、
無理強いはしていません。
>そんなことすら出来なくて、逃げて、口先だけで、何もしない。出来ない理由を並べることだけは随分とご立派。 (採用担当さん)
人には時期というのがあると思うのですね。
採用担当さんは、金融関係だったでしょうか。
メガバンクの仕事って過酷なんですよね。
採用担当さんの仕事が過酷ではないと言っているわけではなくて
メガバンクの退職年齢ってものすごく早いはずです。
そこから先に教育ということで活躍する可能性もあるわけです。
それだけの力は充分にもたれているでしょうから。
さくらさん
最後に少しだけ、おっしゃるとおりで、私学助成は私にとっては、金銭問題ではありません。
この前、サンデル教授の番組がありましたね。
なんでも、金で買えるわけではない。
施しを受けて、失うものだってあるわけです。
おもしろい会話になることを期待しています。
あのですね。
当然無常感さんは、否定しますけど・・・
私が・・確信していることは・・・
昔の公立トップ校の進学実績を、現在奪っている私学・・・と生徒、保護者、その他関係者を・・嫌っているわけです。
あの文章をよんで・・・そういう私学に関して、(無常感さんの好きな)ニュートラルなわけではないのです。
最初に「(悪い)感情ありき」・・・です。「理想」は、主にその方便として使っているわけです。
(※理想が先ではない・・ということです。理想がどうでもいいということでなく)
「(悪い)感情あり」があれば・・・「そこ」が、衰退し、公立復活を望むことも、自然でしょうね。
ですから・・・私は、何度も・・その部分を本人に確認するが・・
本人は、絶対認めない・・書いたのに認めないのは・・なぜでしょうか。
認めないメリットがあるから以外ありません。
だって、書いたのに、認めないって・・そりゃ・・大変ですよ。無理筋だし。
■私学助成廃止というのは、
「私学」が、衰退し、公立復活を望む人にとって
とても、有効であることは・・明確です。
現在、私学関係者、未来に私学にお世話になる人とっては、現実的に困ること(金銭)ですからね。
でも、相手に主張する場合は、「理想」しか言わない。
国が、教育を無償にする話は、国がそうすればいいだけで・・本質的には別です。
でも、無償にする費用を、私学助成金からもってくるというロジックが好きなんですよね。
赤貧洗うがごとしの生活をしていない限り他人の手を借りなくても勉強などできるから・・・・・・・・・・致命的な不公平など今の日本にはない。 (動機さん)
赤貧洗うがごとしの生活っていう方々にとっての教育を考えることも
また必要かなとは思いますけど。
それ以外でしたら、なにも東大、京大だけが大学ではないし
徳島大学からだってノーベル賞並の発明者がでているわけで
そういった意味ではとらわれない雑草根性っていうのは
すごく魅力だと私は思っていますし、子供にもそうした傾向があります。
現実的には、公立3年って通塾が週6日っていう塾があるんですね。
驚きました。でも拘束時間的には、小学6年の通塾(大手塾)に比べると
それでも少ないということなんですけど。






























