アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
子供をだめにする一番いい方法は欲しいものは何でも与えることだ
ルソーはそう言ったようですね。
何でも与えられる親なんているんですか?ッてお聞きしてみたい。
自分は与えない派じゃなく、与えたい派です、吟味して。
でも、自分の吟味が果たして妥当なものなのかってことですね、問題は。
成長に合った妥当なものを充分与えられているのか?って、むしろ自分に問いかけます。
それよりも、
与えるか/与えないか の手前の
欲するか/欲しないか のほうがよほど気になります。
妥当なものを、欲する子供に育っているか?です。
年齢相当に妥当なものを欲する状況に育っていなければ、それまで自分が吟味し与えたものは、ペケだったということでしょうね。
子供をだめにする一番いい方法はその時折に妥当なものを欲っしない子供に育てることだ
無欲が最悪、と思いますが。
一見無欲にみえる偉人も欲はあります
平和でありますように、という欲とか・・・これは、ドでかい欲ですよね。
老眼様
その「欲」を、もっともっと簡単で、でも、おそらくこれから日本の子供達若者が対峙しなければいけない「環境」に目を向けると。。
例えば、中国を例に出すと、今の中国人は高度経済発展の中「物欲」「お金」「生活」の質をあげる事の欲が強いと思います。
一方、日本は、その時期は過ぎている。
私は「実現出来た」と感じます。
さて、、ここからなんですよね。
前にもありましたよね、この「欲」をテーマにした議論。
私は、「生活の質を上げようと(貧乏から普通、もしくは金持ちになろうと思ってる者達)」の、強烈な「意思の力」を肌身に感じた。
強烈です。
自分が頑張れば、自分の大切な親や兄弟の住む家、環境が激変するのですから。
「夢」はおそらく世界中の子供達に通用する言葉だと思います。
「夢」は個人的なものだから。
「僕の家にトイレをつけたいんだ」これが夢の子供、世界には多くいると思います。
「あの時、家にお金がなくて薬が買えなかった。だからお父さんは死んでしまった。だから僕は薬がすぐに買えるような生活が出来る人間になりたいんだ」
これも、「夢」です。
一方で、、明日の食べるものがない、、そんな日本の子供、若者はまずいない。
しかし、世界にはそういった環境に置かれている者は多い。
そういった者達はまず「自分の明日の飯が食える事」を第一としている。
そして「自分を育ててくれた親、大好きな兄弟の置かれているとんでもない生活を普通レベルにあげてやりたい」こう思うのも当然。
これからの若者達はそんな人達と切磋琢磨していかないといけないんだろうな。。
これから日本の子供達、若者が切磋琢磨していく「環境」は「世界を相手とした激烈な競争である」と。
ただ、私は信じてます。
日本の若者は優秀である。と。
うちの子にも「頑張ってくれ」と思ってます。
この事を、もっともっと個人的な話しにすれば。。。
老眼様はお父様である。
私は母親である。
おぎゃーと我が子が生まれた時から、子供に与えるものは「私の選別」を経て子供に与えられる。
「あのおもちゃが欲しい」と言われても「あかん、この間、買ったやろ」
「あの本が欲しい」と言われても「おいおい、全部読んだんか?」と。
基本的な生活は私の判断による。
つまり、母である私は常に「子に与える環境にある」ので、私は意図的に「与えない事」が’うちの子にとっては良い’と判断する事が多い。
しかし、老眼様はお父様である。
きっと、私が「与えない」と思ってる事を老眼様は「与えられているかな?」と思ってらっしゃると感じています。
子に求めているものは同じ?似ている、、と。
そう思います、地域時代さん。
しなければならないかどうかの判断 をすべき事項△が10あるとします
△△△△△△△△△△
いま、しなければならないと考える物を○、すべきでないと考える物をxと判断し、
たとえば
○○○○○xxxxx とします
ここで
まず、○あるいはxと判断したことに妥当性があるのか? という自問
次に、妥当性があると仮定した場合、同じ○でも、どの○からとりかかるのか? という自問
また、初期判断をした時には○であっても時間経過とともにxに変わっている(また、その逆も)ことを見落としていないか? という自問
そんなことを、おそらく無意識に、日々、誰もがしていると思います。
無意識とは言っても、なぜ、こんな面倒な作業をしているのか。
時間が有限であることを ヒトは知っているから?
こどもについても
有限で貴重な、平等に与えられてた、時間というものを 考慮して
こどもの 自由な時間 を阻害しない配慮も考えて
(だから) 与えない / (だから) 与えることをうまくできているかな? と考える。
仰るように 同じです。
今日、教職員の人の辞めた原因で、半数は精神疾患という記事が出ましたね。
多分、今の教育事情は、ここに問題が有るのではないでしょうか。
私立中学の価値の点では、いつも同じ先生がいる点では、教育に関する方向性が
一定で、保護者、先生の連携が取りやすい点においては、とても有利であると思う。
それに比べ、10年に一回、早ければ5年に一回の割合で、がらっと入れ替わってしまう
公立は、上の方が変わると、方向性もまた180度転換してしまう可能性がある。
また、保護者がアメリカのメーカークレーマー並みに敏感である場合、想像以上に
先生にとっては負担になる。
思った方向に教育を導いていけない問題は、最初からうまく機能していないからではないだろうか。
以前、とても悲しい事件があった。
確か埼玉の狭山の保育園だった。
園長先生がターゲットになってしまい、保護者から1日100回以上のクレームの電話、そして、
園長先生は、校庭で焼身自殺をしてしまった。
普通に考えて、おかしい事ではないかな。
しかし、小学校や中学校で似たような事件は、頻発している。
結果的には、学校自体が崩壊するのは当然であると思う。
保護者にとっても、崩壊してしまって、何のメリットがあるのだろうか。
今一度、学校に対して、先生に対して、生身の人間として、保護者一人ひとりが
考え直さなければならない時期に来ているのではないだろうか。
大商大の谷岡学長(灘高出身ですね)の強烈な批判を気に入っているもので。
松下幸之助? あんな○○ というのは父の口癖。
松下って社名はなくなりましたからね、あんな父親でも先を見る目はあったのかしら。
とすれば、自分の信じるところをいけばいいって、うまい結論ではないか。































