アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
視点さん
お返事ありがとうございます。
蒸し返すようで申し訳ないのですが、
前の適性さんとのやり取りでは、
7割でしたね。
さあ、私学にお子さんを通わせてる
みなさん、みなさんの周りで、中学に
合格した瞬間に、今度は東大だ、医学部
だ、って塾に行ってる友だち、7割も
います?
動機さん
ハリポタは子供もみますのでいいのですが,1人でコクリコというのもちょっと気が引けますので,コクリコはDVDがでましたら見てみます
>子供たちの「青春度?」はどうなんでしょうね
今昔の違いもあり,万色の思春期の過ぎし方がありますから,甲乙は無きに等しいと思います。激しいのもよしウェルテルの如く静かなのもよし。特定の理想形というものは無いでしょうし,違う人格(子供)に理想を求めることはできません。わたしの頃とは環境が全く違うのでその過去を参考にすることも出来ません。さらにわたしは遊び過ぎがわざわいとなり怪我のため中学高校のほとんどを入院一時退院で使い切って,見えない聞こえない歩けない状況で(高卒後復活しましたが)思春期を過ごしたものですから,本も読めず,音楽も聞けず,部活もあきらめ,友達とも交ることも叶わず,散々でした。(今となってはお金では買えない貴重な経験をさせてもらったとありがたくおもってますが。ましてや,トラトラトラで命を落とした方たちを思えば,こんなことを軽率に口にするのは恥じるべきことです)たいていの年頃の子供はそれなりに謳歌できているはずと,根拠はありませんが,自分なりの確信はございます。
‘独り立ち,おおいに悩む,とことん何かをやってみる,へなって思いっきり悔やんでみる,交友の巾を広める,親友もつかむ,何に関してでもかまわないから友人と熱く語る,大の字になって思い切り泣いたり笑ったり,親にうまいこと隠し事をつくる,親と口論する,暇をつくって本を読む,何回かいろいろ理由をかこつけて外泊してみる,友人と旅行をする,部活をやり遂げる,バンドもやり遂げる’ こんな感じで過ごしましたから,長男,次男は溌剌としています。
通塾率についての視点さんのコメントがありました。わたしは0%50%100%どれでも一緒と思います。たとえ通塾率0%であってもやるべきこと(勉学だけじゃなくもろもろのこと)をやってなきゃ駄目ですし,100%でもまた然り。だから塾に行こうが行くまいがどっちでもいいんですよ。やることやれば。行く価値が何かあるなら行けばいい。
受験勉強第一の子供がいてもいいと思います。中途半端じゃなくとことんやればいい。どんなにとことんやるとしても,将来教職につかない限りは,途中で鞍替えして別の世界で没頭の対象を見つけるのだから,受験勉強一筋君の6~12年はどっちに転んでも価値があるんですよ。やる気があって,その時間もあって,その予算もあるなら,どんどんやればいいと思います。
老眼さん、コメント有難うございます。
どんな青春時代を送るかは時代、社会情勢によって確かに大きく変わるので「俺のころはこんなだったのに・・・・今の子供たちは・・・・・」とやるのは老化現象の表れですね。
昨日のテレビで父と子の葛藤やら物を造りだす苦悩を描いていましたが駿氏が「俺は長嶋監督や野村監督にはなりたくないんだ」といいながら行き詰って先に進まない息子のために主人公の性格付けをする絵を与えたり・・・・・やっぱり親ってぎりぎりまで見守っていても最後には手助けするんだな・・・・・・・と。
暑さならぬノスタルジーに浸って「ゲド戦記と違って今度はいいよ」とつい言いたくなってしまいました。自分の青春時代を肯定するというよりこれから伸びようとする前向きな戦後日本とともに歩んできたという幸運に感謝すべきでしょう。
おっしゃるように我々の少し前の世代は徴兵されたり学徒動員で戦地に赴いたのですから「命あることは保障されている」我々世代がいい加減なことをやっていると、「こんな連中を産み出すために命かけて戦ったのか」という慨嘆も随分と聞かれました。
外の世界は歴史の大きな流れで変えられないとしても個としての生き方はどんな時代でもその個人の責任で(周りの干渉が少なければ)自分らしくやれると思います。今の子供たちも自分の青春時代を振り返って「ああ面白かった」と言えるように生きてほしいものです。
動機さん
仰るとおりです。
干渉についてですが、一般的にはその量が話題になりますが、自分が田舎育ちのせいでしょうか、量よりも質にこだわりがあります。成人前に都会にやってきて、文化の進み具合の違いに驚愕したことを思いだします。成人前に成熟した文化の中で育つのと知らないで育つのと、随分違うものだということを、大学に入って新たに出会った友人たちから強く感じました。さて、しばらく都会で暮らしてみてその後どうかといいますと、確かに進んだ文化の中で生きてはいるけれども、自分の表面をその文化は擦ってはいるものの、自分の中に自然には浸透しては来ないということを実感しました。振り返って、周りの人たちをみてみると、彼らは文化の中で生まれ育ったのみではなく、その文化を吸収するために、小さいころから積極的に人と交わり、そして何かを行ってきた人たちです。そこに親の関与が見え隠れします。世の中の文化を知るだけではなく吸収するにはどうすればいいのか、質の干渉であれば、個人の進歩より世の中の進歩が常に早いため、どこまでいっても過干渉にはならないような気がしています。御紹介いただいた“音楽と数”も好例です。あの世界を子供に知らせてあげるだけではなく、あの世界も楽しむことができるように、入口の部分だけ、うまくリードすることが親の干渉の1つだと思っています。
動機さん、お久しぶりです。
(以下・・駄文です)
宮崎吾朗の第2作ですか・・・・見てないのでなんともいえないのですが・・・少し・・
ネットにあった感想でね。まあ、基本的に褒めてる感想なのだけど・・面白い表現で・・
>あと、これは率直なところ「インテリが昔を懐かしむ映画」だよね。
というのがあったから・・「動機さん」の話を読んで、この表現は、あたっているかもしれないと思いましたね。しかし、良い映画になったのなら、それは良かった。
ジブリはブランドなので、期待値が高いですからね。監督は大変ですよね。
ジブリ存続の条件ははっきりしてます。
宮崎駿が100のレベルの仕事が出来るのは、あと、1、2本
その間に、70、80レベルの仕事が出来る監督とその体制をつくらなくてはいけない。
(たぶん ゲドは、50以下だったろう・・・・)
宮崎駿は、何人もの監督を潰してきましたからね。育っていないのです。
やっと、米林、宮崎吾朗監督が、部分的に使えるようになってきたのでしょう。
(宮崎駿のように、ゼロから全ては、まだ無理でしょうけど)
これは、適当な推測なのですが・・・
米林宏昌監督は、ジブリの『絵』と『動き』を継承できることが理由ではないでしょうか。
宮崎吾朗監督は、ジブリの『血』を継承できることが理由の一つではないでしょうか。
本当は、才能は、個々のものなのだが・・・ジブリは、「映画」というストーリに「製作」というストーリーを積極的に重ねて、世に出す方法をとる会社。(今回のNHKの特集を含め)
そういう面では、宮崎駿の『血』は、これからもずっと効果を発揮する。ストーリーを提供してくれる。
これで、「映画」で平均以上の作品ができれば、鈴木プロデューサーの狙いは、当たったことになるのかもしれません。(大前提として、監督には、ある程度の才能があると思っているのでしょうけど)
以下も・・蛇足です・・さらに個人的。
まだ、ジブリではないが、ジブリの原点になる映画、風の谷のナウシカは 1984年3月11日 封切りでした。(3.11ですね)
私の個人的、この映画の思い出は、映画館で宮崎駿監督の初日舞台挨拶を見たことでしょうか・・。
それから、もう一つ、この映画に関連して個人的に心に残ってることがあるのです・・
この映画には、数人の友人と行ったのだが、その中には、友人というより、知り合い程度の子がいた。(一緒にいれば、楽しくしゃべるが)
その子は、アニメと模型が好きな子だった、ちょっとふとっていて、メガネをかけていた。
家には、いっぱい作ったプラモデルがあって、塗装までちゃんとするのだ。と自慢していた。
映画館では、その子も、やはり少し、興奮気味に見えた。
その子とは、それっきり、遊ぶことはなく・・しばらくすると、その子は、あまり学校に来なくなった。
友人が言うには・・・・家で、プラモ作っているらしい。
ある日、友人から電話で、その子が、亡くなったことを伝えられた・・
なんで?と友人に疑問を投げかけると、
あいつ、すい臓癌だったらしいよ。親も、プラモでもなんでも、好きなことをさせることを優先させてたみたいだ・・すい臓癌って難しいらしい。
その子と、たった一つの共有できたことだが・・きっとあいつは『映画に行って良かった』と思ったはず。
私には、そういう「確信」がなぜかあった。
勝手な話だが、そういう「確信」は、ずいぶん自分を、救ってくれるような気がする。
「あいつの人生は「何かが」あった」と・・信じることができるからかもしれないけど。
プラモデルを好きなだけ、買ってあげる、親の気持ちは、今になると、もっともっと「重く」感じる。
その子の葬式は、自宅で行われた。外に設置されたテントの中で、友人としゃべったりしていたのだが・・不思議な煙を見たような気がする・・。錯覚か、記憶の捏造なのか・・・
この映画を見るたびに、思い出すことです。
万人に、評価される「映画」も「学校」もない・・・
映画も、見てみなくては、分からないし。学校も、入ってみなくては、分からない。
でも『この学校に行って良かった』って、子どもには思って欲しいね。
親には、時間や金銭面などなどの制約は、いっぱいあるのだけど、親の感覚として「いい本」「いい映画」「いい演奏」「いい経験」「いい環境」ってのが、選べるものなら、提供したいと思うのは正直なとこだね。
子どもの「本人の生きた証」につながるかも、しれないことだからね。
でもね、「地域、時代さん」じゃないけで、親(自分)が勉強不足、経験不足の感が、どうしても、あるからね。困ったもんです。
>子供たちも自分の青春時代を振り返って「ああ面白かった」と言えるように生きてほしいものです。
そうあって欲しいよね。・・・と無理やり、蛇足から、私立中学の価値につなげてみましたけど・・。
いやあ、
動機さん、老眼さん、適性さん、
とてもいいお話をありがとうございます。
なんか自分が、とても小さく思えて
きました。
ひとつ思ったのは、わたしもそうですが、
結構そのときそのときは辛い、苦しい、
なんで?と思っていても後から思えば、
いい思い出になってるんですよね。
学生時代の運動部といい、浪人時代の
勉強といい、社会に出てからのイヤな
人間関係といい、どこかしらにいい
ところを見つけてそれを美化していく
というか。うまく言えませんが…
そういうのをノスタルジーとか、
今回の話題のコクリコ坂とかで感じる
のかもしれません。
人のせい、周りのせい、にせず自分で
自分の人生に向き合えば、どんな道を
辿ろうと、みなさんおっしゃるとおり
後から「面白かった」と思えるもの
ではないでしょうか。
そして、それは結構みんなが自立する
過程でたどっていく道のりなんだと
思います。親の言うこと、友だちとの
関係、自分のやりたいこと、将来の
イメージ、で悩んで自分で決めて行く、
そういう道のりです。































