アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
若い時は、論理で論破してどや顔してましたが、今は情のほうが信用できる。
枯れてるからかな。(笑)
↑
こんな意見も様
無常感様とこんな意見も様の話、私、まるで知識がないから意見が言えないのですが、情の方が信用出来るっておっしゃるこんな意見も様は、きっと、スポーツを通じて、上に私が書いたような、ご自身も若い頃は自分の能力の限界まで頑張り、そして今は一生懸命頑張っている若者が周囲にいらっしゃるからだと感じます。
枯れてるなんて、とんでもない。
今でも青春?人生?のど真ん中って感じじゃないですか?
地域、時代さん
200メートル、ボルトはさすがの走りでしたね。
3位はルメートル選手やね。
ハリーポッターをイケメンにしたような男前で我が家の女性陣にも人気ありますよ。
白人といえば100メートルハードルのピアソンもすごかった。
地域、時代さま
いやいや、結局、私なんかこの場を借りて私情を晒しているに過ぎません。もっともらしいことを後付してね。
地域、時代さまの書き込み、非常に私の考えに近いんですよ。こんなこと、書いてみようかなんて思っていると書かれてしまっている。(笑)
「調和」の話。「強さ」の話。「美」の話などなど。
あと「情」の話ですが、情って少なくとも、自分以外のものに対するものですよね。自己利益の外側にあるものに純粋に想いを巡らせることは「尊い」と感じますね。他者を思いやりたいという自己欲求に過ぎないという考えも承知してますけれど。
親父さん
うんうん、ピアソン選手すごかったよね!
うちの息子曰く「弾丸や!」って。
ダダダダダーーーーー!!!!って感じやったよね。
極限状態の中で自分と向き合う精神と極限に磨き抜かれた体、どの選手も本当に美しくて素晴らしかったよね。
あと「情」の話ですが、情って少なくとも、自分以外のものに対するものですよね。自己利益の外側にあるものに純粋に想いを巡らせることは「尊い」と感じますね。他者を思いやりたいという自己欲求に過ぎないという考えも承知してますけれど。
↑
そうですよね。
人間って、「他者を思いやりたい」って感情を、生まれもって持ってるんじゃないかな?って思うし、結構強く持っているんじゃないかな?って思います。
こんな意見もさん
おはようございます
>情って少なくとも、自分以外のものに対するものですよね。自己利益の外側にあるものに純粋に想いを巡らせることは「尊い」と感じますね。
そう、情(≒気持ち)は命の次に大事なもの。
なぜか? 理由は言えません、わからないから。わからないけど、大事。
“子供は大事” これといっしょ。 なぜ大事なのか?・・・これを理由づけしようとすると、考えを進めるほど迷路にはまる自分に気づく自分がいます。
>他者を思いやりたいという自己欲求に過ぎないという考えも承知してますけれど。
こんな意見もさんは、考えの存在は承知してるけど、それは違うよ、って立場ですよね?
わたしも、違うよ、って思います。
自己欲求に過ぎないものは「思いやり」とはいわない。
単なる物質の集合体である有機物が、やがて偶然に、神経系と免疫系という非自己から自己を守るためのシステムを構築しました。
さらに偶然にも、神経系は自己だけでなく非自己をも守ることをし始めました。
「情」というのは、その1つのことを指すのだと思います。
なぜ非自己をも守るようになったのか、理由があるのか/ないのか、目的があるのか/ないのか、それは知りません。
わかりませんが、“物質が力を借りて”生み出したこの現象に大きな価値がないとするのは不自然ですし、自然のごく一部でしかない人間が「価値がない」としてしまうのはどうかなぁと思います。
この、思いやる、ということを知らしめることなく経過してしまう場合があるとすれば、教育(大人)の怠慢でしょうね。
なんちゃってクリスチャンの私ですが、無常感様の
>因果律に浸っている我々には、「予定説」を理解するのはなかなか難しいですよね。
「信じるものは救われる」・・この訳は正確ではなくて、
「(本人の努力いかんに何ら関係無く、)救われるものは信じるように神に予定されている」
こういう意味なんですよね。
このような教えは、礼拝で耳にタコができるほどお説教されました。
なので共感できる部分がございました。
>こんな意見もさんは、考えの存在は承知してるけど、それは違うよ、って立場ですよね?
わたしも、違うよ、って思います。
自己欲求に過ぎないものは「思いやり」とはいわない。
こんな意見も様や老眼様のご意見もなるほどと感心しながら聞き入っていました。
ただ、自己の欲求に過ぎない「思いやり」でも、行動してもいいのではないかな
と思っています。
ダメですかね・・・・。
育児相談でのアンケートで、
「どのような人格に子供が育って欲しいのか」と問うとほとんどの親御さんが
「思いやりのある優しい子に育って欲しい」と回答するそうです。
次に、「どのように育てると思いやりのある優しい子に育つと思うか?」
と問うと、考え込んでしまうようです。
一般的には、思いやりのある優しい人の中で育つと「思いやりのある優しい子」に
育つと云われています。
思いやりを自己の欲求か、純粋なものかの判断もとても大切なことですが
子供がそれを受け入れるにあたって区別できないのかなとも思います。
例えば・・・
自己欲求レベルの思いやり→相手が受け入れる→自己欲求が満たされる→自慢
こんな感じで思いやり→自慢に発展してしまったとしても、それは
生きてい行く上で多少、必要な感情じゃないかなと思っています。
自慢は、やり過ぎると呆れられてしまうし、恥ずかしいことだけれども
自慢が全くないとしたら、心が死んでしまっているようにも思います。
思いやりから自慢に飛躍させてしまってすみません。
根拠もなく論理的でもないのですが、直感として思っていることです。































