アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
自己欲求レベルの思いやり→相手が受け入れる→自己欲求が満たされる→自慢
↑
価値観様
自慢というか「自己満足」の方が適切なように感じます。
この、思いやる、ということを知らしめることなく経過してしまう場合があるとすれば、教育(大人)の怠慢でしょうね。
↑
老眼様
そして、この「思いやり」が強く一方向へ向かった時、私は「正義感」が生まれると思うのです。
適性様からマイケルサンデル教授の事を教えて貰い、正義とは一面では語る事が出来ない事を学びました。
私は、世の中の戦争や部族間の内紛というものは、この「正義感」を多面的に考える事を許されず、自分の狭い半径でしか物事を見聞きする事が出来ない→「知識の欠乏」によって引き起こされているような気がします。
老眼様のおっしゃるように「教育(大人)の怠慢」→「大人達の余裕のなさ」から、本来備わっている思いやり(私は生まれながらに持っていると思っています)を間違った方向へ使ってしまう子供、青年が生み出されている(教育の結果)と思っています。(特に部族間の内紛などで。。。)
9.11が近くなり、BS放送でイラクの方達の置かれている現状などを見ていると、強くそれを感じます。
文章を書くのが下手なので、読み直して、一回目の投稿と2回目の投稿の繋がりが上手く説明出来ていない事に気づきました。
私は「思いやりの心は、人は生まれながらに持っている」と考えています。
しかし、思いやりの心を実行にうつせるかどうか?は、個のそれまでに受けた教育や環境に大きく左右される。
また、個の精神的な余裕のある時、ない時にによっても大きく左右される、、と。
思っているのです。
信頼感さん
“道端で草花を踏みそうになったときに、それを事前に避けて、踏まずに済んでよかった、と思う”
思いやりの好例のつもりで書きましたが、
「草花が助かって良かった」という感情こそ、思いやる気持ちと思います。
思いやり・・・これは一体何をいうのだろう・・と考えてしまうとわたしは迷路に嵌ります。
言語による明快な解答があるのかもしれませんが、わたしにはまったくわかりません。
わたしも信頼感さんと同様に感覚でしかつかむことができません。
それゆえ
>「どのように育てると思いやりのある優しい子に育つと思うか?」
という問いかけに対して上手く言語で説明することをわたしはできません。
ですが、
“自分の子供が道端で草花を踏みそうになったときに、それを事前に避けさせて、「踏まずに済んでよかったね」、と声をかける”
ことはわたしにもできます。
>自己の欲求に過ぎない「思いやり」
これについては、ごめんなさい、そういう「思いやり」の例を思いつくことができません。
わたしの頭、そうとう硬いようです。
>自己欲求レベルの思いやり→相手が受け入れる→自己欲求が満たされる→自慢
自分がしっくりくるように勝手に変換してみます。
思いやり①→相手が喜ぶ②→自分もうれしい③→うれしかったことを他の人にも伝えたい④→話す⑤→他人から見ると自慢ということにもなる⑥
なんと、身勝手な変換でしょう、お許しを。
さて、ここで「思いやる」という感情は、どこまでのことなのでしょう
わたしは、①までのことだと思っています
②以降は、主人公の思いやる気持ちと別のできごとが繋がっているにすぎないのではないかと思います。
そのつながりが余りにも密接で深いために、一連のできごととして感じてしまうのではないかと。
②で「相手が喜ばない」場合も日常沢山経験します。
それは、不徳の致すところ、なわけですから、自分の思いやる気持ちの一歩手前のところを鍛錬しなさいというサインを頂いたとわたしは解釈してます。
小さいうちから、そして大人になっても、自然、生き物、友達、家族・・いろいろと非自己に接することの意味あいがそこにもありそうです。
老眼様
>思いやり①→相手が喜ぶ②→自分もうれしい③→うれしかったことを他の人にも伝えたい④→話す⑤→他人から見ると自慢ということにもなる⑥
なんと、身勝手な変換でしょう、お許しを。
さて、ここで「思いやる」という感情は、どこまでのことなのでしょう
わたしは、①までのことだと思っています
適切にまとめてくださってありがとうございます。
自分の頭の中も整理できました。
>②以降は、主人公の思いやる気持ちと別のできごとが繋がっているにすぎないのではないかと思います。
そっか・・・そうかもしれないです。
そのように思考したことがありませんでした。
③は、「自分から積極的に自慢する行動」と「行動が他人にとって自慢と受け止められる」
という2種類が存在しませんか?
自ら積極的に”ちょっとイイでしょ”みたいなプチ自慢なら、生きる励みになるような
気がしていて述べてみました。
>“道端で草花を踏みそうになったときに、それを事前に避けて、踏まずに済んでよかった、と思う”
思いやり溢れる教育とは、言葉ではなく、このような行動を子供が見て(親の背中を見て)
自らもそのように有りたいと感じることで育まれるのかもしれませんね。
適性さん
遅レスです。
>公務員改革に本気だったのは、渡辺喜美と馬渕澄夫さんぐらいのようですよ。
そうそう、渡辺喜美さんは、安倍政権のときの公務員制度改革担当大臣だった。そのときアドバイスしていたのが古賀さんだったんじゃなかったかな。でも、結局安倍政権が社会保険庁の年金問題自爆テロで潰されて、改革が頓挫した。渡辺さん悔し涙だった。本気だったから。残念でした。
>興味があれば・・【特別対談】古賀茂明vs高橋洋一 でネット検索して下さい。 改革は、バックアップが必要ですね。
これはもちろん見てましたよ。高橋洋一さん。このひとは改革派の元財務官僚で、「埋蔵金」の発掘で有名になった。そのせいか、守旧派財務官僚から「三度殺しても飽き足らないやつ」と言われていたらしい。そんなある日、温泉場の更衣室で、高級時計(時計フェチ?)を盗んだかどで逮捕されてしまった。そんなもの、よほど狙ってなきゃ見つからないんじゃないかなあ。
こわいですよ。
>>「エリートが悪い!!」ということは簡単だけど・・ エリートが、エリートとして行動できる「システム」なのかという面を見落としては、同じことが、繰り 替えされる可能性が高いということです。
>と書きましたが、人を責めても問題は解決しない、問題のあるシステムそのままではね。 今は、チャンスなんだと思うのですが・・・
>「誰かの首が差し出された」ことで、得心しても、しょうがない。
同感です。
老眼さん
書き込みありがとうございます。
<<なぜか? 理由は言えません、わからないから。わからないけど、大事。
“子供は大事” これといっしょ。 なぜ大事なのか?・・・これを理由づけしようとすると、考えを進めるほど迷路にはまる自分に気づく自分がいます。
仰るとおりです。
「言葉で世界の全てを表すことはできない」
ということでしょうか。
そして、大事だと思うその感情を守るため、言葉が発生し、使われているのではないかと。
「幸福」と感じているのは、「論理」なのか「感情」なのか。
さて、「論理」が目的なのか、「感情」が目的なのか
「論理」が手段なのか「感情」が手段なのか。
無常感さん
東洋的世界観について。どうもありがとうございます。
>ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず。
>この東洋的な世界観が、 シェーンハイマーが発見した生命体の動的平衡、これと同じであることは、 とてもエキサイティングですね。
シェーンハイマー。最近どこかできいた覚えが、と思っていたら、福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」でしたね。人間の体、原子レベルで見れば、短期間のうちに全て入れ替わっているって話でしたよね。実は福岡さんの著書には賛成できない部分が多いのですが、これは、なるほどそういうこともあるのかと思いました。
>うたかた というのは、水面に浮かぶ泡(あわ) です・・生まれては消えるはかない存在です。 個人的には、鴨長明そのものがどうこうというより、日本の文化に流れるそういった美意識、 無常感が好きなんですよね。
たしかに。私も嫌いではないですね。
>『平家物語』
祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の 色、 盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂にはほろびぬ、 偏に風の前の塵に同じ。
なるほど、名調子です。たしかに、「諸行無常」、ですよね。私の人生、一度として「盛者」になることもなく、「必衰」の一途をたどっておりますが、「久しからず」「ほろびぬ」とわかっていてもやめられません。「おごれるもの」「たけきもの」たることを。
>秀吉の辞世の句
>露と落ち 露と消えにし わが身かな 浪花のことは 夢のまた夢
>これなんか、とても好きですね。
私も好きですよ。でもね、「おごれるもの」「たけきもの」、「野望」に「ギラギラ」で一生突っ走ってきて、最後の最後に行き詰まって、あきらめの境地に達したってことですよね。「秀頼をよろしく頼む」なんて家康に頼んだって、そりゃ無理だ。
「諸行無常」、これって仏教的なんでしょうか。仏教では、人間の苦しみの原因は、すべて、desireにある、ということでしょう。desireなんて幻想に過ぎないのだから、それを捨ててしまえば、「悟り」の境地に達することが可能。でも、私はdesireを捨てられない。捨てる気もない。「悟りの境地」なんて、ただただ退屈にすぎないような気もします。
でも、私が東北の被災者だったら、おそらく、やっぱりお行儀よく一列に並んで、配給を有り難く受け取ったことでしょう。文句も言わずにね。日本人ですから。































