アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
>居心地がいいですよね、私も好きですよ・・なんといっても「無常」支持者ですから。
この部分に「日本は、」の脱字がありました。
正しくは・・
>(人間らしさが前面に出る)日本は、居心地がいいですよね、私も好きですよ・・
>なんといっても「無常」支持者ですから。
・・失礼しました。
昨日昼に防災関連の会議に出席したあと,その足で本日の東北の追悼式に参列し先ほど帰宅しました。スローリスポンスとなりスミマセンでした。
福の神さん,無常観さん
>人間らしい法というのが、いまひとつ何を指しておられるのか分からない
「法が人間らしさを上回って存在する」とは,その後に無常観さんが書かれた言葉を使わせていただきますと,「成文法が法外の法(人間)に勝る」のつもりで書きました。
>法律の制定背景を考え、「今、必要な法は何か」を考えることが、より大切かといます。
福の神さんと無常観さんの法に関するご説明を読んで,かなりイメージがつかめ,かつ,変えなければならないわたし自身の認識があったことを発見できまして喜んでおります。
以前にも書きましたが,今回の広域災害においては,初動対応と市町村を超えた互助の活動において,実に多くの末端組織では共通の問題がございました。成文法によるしばりで素早い動きがとれなかったということです。しかしなんとか「法外の法(人間)」(大昔の西欧の自然法みたいなものでしょうか)の判断をもって,それぞれが苦心し対応しました。そんなことが現にあったものですから,時と場合によっては成文法なんて・・という気持ちになっておったわけです。
しかしお話を伺った今思いますのは,成文法に従うことをやはり第一義とするのが正しい判断であって,今回のように不具合がわかった場合には,直ちにそれを改めることを考え行動するというのが,しなければならないことであろうということです。改めるといっても,それはそのお立場の方々の仕事でしょうから,わたしなんぞは,それを現場の立場からお上に一所懸命お願いし続けるということになります。現場からの働きかけ云々よりも,素早く立法化や改正ができるようにしていただけるのがありがたいことですが。
>そういう意味ではシルバースプーンさんのおっしゃる制度をどうするかという話 は、とても興味があります。
制度を考えるということの位置づけについても,おかげさまでスッキリと理解することができましたから,確かにもっとお聞きしたいです。
>山本七平・・・
懐かしいです。随分読んだのに,どの著書に何が書いてあるかはすっかり忘れてしまいました。覚えているのは子供の頃のわたしには刺激的だったことだけです。
遺伝さん、未来さん
>陰謀説…。
>100%信じているわけじゃないけど、
>田中角栄に件に関しては、完全にそーだと思ってるけど。
>でもいま一番気になるのは、なぜ日銀は円を刷らないのか? ということ。
>なんか、いつもいつも某国が得する方向に動いている気がするんですが。
>>小沢一郎に対する検察の追求も、 「アメリカの意志の表れ」と見る向きもありますね
>私もそう読んでいます。根本的さんは小沢さん好きでしたよね。
角栄裁判。懐かしいですね。あれは集団リンチでしたね。マスコミも言論人も完全に発狂していた。ごく一部いわゆる保守論壇というところで、「暗黒裁判」を批判する文章がいくつか書かれました。私はそれらを読んで、やっぱり日本は法治国家ではないんだなあとつくづく感じたものでした。
それはともかく、角栄は「日中」をやったわけですよね。当時の日本の言論界は今とは比較にならないくらい親中反米でした。もし、アメリカが「日中」を邪魔しにきたならば、日本国内にそれに対する反発が少しは出てきたっておかしくない筈。でも、それは一切なかった。「田中許すまじ」一色だった。
最近でも、アメリカは何度も日本に圧力をかけてきていますよね。経済でも、軍事でも。「日米構造協議」とか、湾岸戦争とか、イラク戦争でも。その都度日本の反米世論は沸騰する。小泉さんは「アメリカのポチ」とまで言われた。でも、角栄のときも、いま、小沢さんも、デフレ解消の問題だって、反米世論なんてなんの反応もない。
国内世論は、反角栄、反小沢、反インフレで一致してますよね。ということは、日本の政治支配層の意志がそこにあるのではないか。それが何なのか、定かではありませんが。「アメリカの意志」はあったとしても、それは主ではなく従にとどまるのではないか。私はそう思うのですが。
無常感さん
>人間がいかに「善人」「悪人」と解釈しようとも、それは所詮人間の解釈であって、仏の目からみればすべての人間は「悪人」である。
これは、まあ、「原罪」みたいな考え方でしょうね。
>不遜な「善人」(無自覚な「悪人」)でさえ救済されるのであるから、自らを「悪人」と自覚し阿弥陀仏に帰依する(他力本願)悪人は、当然のことながら阿弥陀仏により救済される。
なるほど。「無自覚」=「悪」、「自覚」=「善」。ここがポイントですね。
>そこで極めて重要なことは、人間が自分の力で念仏するのではない・・ 阿弥陀仏が悪人に念仏するように、導いてくださるという・・解釈なんですね。 これってキリスト教の予定説に、似ていますよね。
わかりました。どうもありがとうございます。
ところで、人間主義的なひとは、予定説的なひとをみると、高慢あるいは傲慢な「悪人」という感じを持つようです。そこが嫌だ、と。一方、予定説的なひとにとっては、人間主義的なひとは、「無自覚な善人」に見えてしまう。「あなただって、本当は傲慢ではないの?なぜ、それを自覚しないの?」そう追い詰めたくなるようですね。
神仏の前では、人間はみな傲慢である。それはそうだ。1億1兆のまえでは、1も5も10も、大差ないと言うこともできる。仮に「傲慢値」5のひとが二人いたとしたら、自分の傲慢=「悪」を自覚しているひとの方が、自覚のないひとより「善人」としてもいいかもしれません。でも、自覚のある「傲慢値」10のひとと、無自覚な「傲慢値」1のひとではどちらが「善人」と言えるのでしょうか。
>閣議というのがあって、意思決定には大臣全員の意見一致が必要なんですね。 閣議で決めることは、法律・条約の公布、法律案の決定、政令の決定・・ 内閣の重要案件はほとんどすべてです。
「閣議決定」は全員一致が原則。これは極めて日本的でよろしくない。当然私もそう思います。ただ、そもそも、閣議の前に、すべては事務次官会議ですでに決定されており、閣議とは、雑談をしてハンコを押すだけの形式的なものだという話も聞いたことがありまして、だとすれば、その方がより問題だと思いますが。いかがですか?
>「人間」と「人間」が衝突するときにはどうするのか?
>その関連で思いだしたのは、かつての日航機ハイジャック事件で、当時の首相が 「人の命は地球より重い」と発言して服役犯の釈放を決め、国際的に厳しい批判を受けたことです。「人の命」といいながら、犯人を逃がした後に奪われるであろう「人の命」は視野に入っていないわけだから、外国の方には理解不能だったでしょうね。
これはおっしゃる通りですね。経済だけの問題なら「win-win」の関係を最終目標にしても構わないでしょう。発展途上国への経済支援なんか、日本の得意分野ですね。でも、政治は、それではすまない。少なくともすまない場合もある。winnerとloserをはっきりさせるしかないときがあります。どの人間を犠牲にしてどの人間を救うのか、そういう究極の選択を迫られるときがある。人間を超えた価値を持ってこなくてはその選択は難しい。だって、人間が至上の価値ならば、どの人間も捨てられないじゃないですか。
今回の原発事故でも、そういう選択を迫られた場面があったに違いないと思います。たとえば、いつベントするのか。SPEEDIによれば、その時間帯によってどの住民が被曝するのかが、あらかじめわかっていたのでしょうから。だれが決断したのでしょうか?だれも決断できなかったのではないでしょうか?































