アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
無常感さん
なかなか面白い独自の視点をお持ちですね。
>、国民は静観などしないでしょうね。
瀬戸内晴美さんなんかは、「私の両親なんかは、ただ、お上に従って
戦争に向かった」と云われている。
無常感さんは、戦争体験者ではないですよね。
政治指導者の都合に乗せられないよう
国民が賢くならなきゃね。
無常感さん
無常ということについてひとこと
「無常」というのは、「常なるものなど無い」という否定の表現ですね。でも、人間は本来、「常なるもの」を欲する生き物ではないでしょうか。永遠のものや不動のものを。金だってダイヤだってそんなものでしょうし、墓だって(ピラミッドとか前方後円墳とか)、神だって、とくに予定説ともなれば、その欲望の究極の産物とも思えます。
とすると、「常なるものなど無いのだ」と否定して見せるそのこころは、そのような人間の欲望など自分は捨て去ることができる、そのような高みに自分は立っている、そんな自尊心の満悦のうちにあるのではないでしょうか。どこか負けるが勝ちの精神主義に通ずるものを感じてしまいます(実際負けたときには役立つでしょうが)。もしかしたら、そこをも乗り越えた境地が「空」なのか?
私の感覚では、欲しいものは欲しいと言った方が健全ではないか、と。別に無常感さんを批判しているのではありませんよ。仏教的なものに対して感じていたことです。
根本的さん
>日本の大手企業にとっては、とってもおいしいお話でしょう。そこに天下っている日本の官僚たちにとっても。
云われていることはよくわかるんですよね。
根本的さんは、企業人だったと思うのですが、
日本の企業のトップや日本の官僚たちの主導権の力に対し、
日本の問題だからそこから打破といって
一般的レベルから解決できるものだと思われているのですか?
無常について
私にとって無常とは、わびさびの世界と結びついています。
茶道、その静けさそして内観
世間から隔離された場所で、到達するというような。
>、「常なるものなど無いのだ」と否定して見せるそのこころは、そのような人間の欲望など自分は捨て去ることができる、そのような高みに自分は立っている、そんな自尊心の満悦のうちにあるのではないでしょうか。
根本さんの書かれているように本来
人というのは、欲があるがゆえ
逆に、高みにたっているという満悦のうちにあるかもしれないですね。
弱点さん
>なぜあのクラークが言ったとされる言葉と後のローランド師の英文は、
>日本人のものと決定づけられるのでしょうか?
ひとつは、前に書いた北海道大学のウェブサイトの見解ですね。
それと当時の「資本主義の精神」をもつプロテスタントであるのなら、
神の恩寵(グレイス)=利潤 を否定しないはずだから、
Be ambitious not for money ・・これって、なんだかおかしいわけです。
>日本の武士道とキリスト教精神との違いは、命を惜しまないことの有無だと思うのです。
>○○のためなら自分の命を捨ててもいいという気持ち。
>もしも日本人が作文したとしたら、自然とそれも入れたくなると思うのです。そう思われませんか?
新渡戸稲造は「武士道」という書物を書きはしましたが、
「命を惜しまない」という武士一律の規範は無かったと思うのですよ。
(勘違いでしたらお許しを)
「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」で有名な「葉隠」
これだって佐賀藩の世間にあまり知られていない マイナーな書物だったわけで・・
地域、時代さま
「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)
で検索するとたくさん出てきます。
非公式の文書のようですが、こんな差別は許せん!!という方の本に掲載されたようですね。
もう一つは戦後公職追放令が出され、空いたポストにそれまで不遇だった共産主義者が座ったとか。
私は母から墨の教科書の話を聞いて、
教師が突然180度の違う考えを平然と教えられるのかが不思議でした。
この話を読んだとき、そういうカラクリがあったのかと納得できました。
朝鮮戦争が始まって共産化を怖れたのか、
今度は逆のレッドパージが行われたけれども、大学は学生が抵抗してそのまま残されたとか。
戻って、日本の正当性を語られるようになっても困るなんて思惑もあったのでしょうか。
戦前、人種の平等を訴え、搾取の欧米とは違う政策を展開し、土地も人も以前に比べて豊かになっていく。
黄色い日本人は本当に目障りだったと思います。
優しい占領者もたまたまなのかな。とても巧妙だと思います。
そういえば、『猿の惑星』は作者が日本軍の捕虜になった経験から書かれたそうです。
そんなことが普通に公表されるのもすごい話です。































