アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
>みな、加害者であり、被害者でもあるのですよ・・
>そういった詮索は無益でしょう・・どうでしょうか?
>また、ご覧のとおり、私がどんな「論」を主張していたのか、説明できる人もいません・・
>当事者でさえ、ウロ覚えのような話ですよね。
>そんなものなんですよ。
これは、ないでしょー。こんな、都合のいい話なんですか。
たしかに無常感さんには、無益でしょうね。
スレが削除されて、ウロ覚え???
一字一句同じでなくても、内容は変わらないよ。
どんな場合も「加害者であり、被害者」???
それは、便利な理屈だし、反省もしなくてい、いいのだろうね。
それに「論」というが、なぜ、「議論方法」の話はしないのか??
無常感さん
>ごめんなさいね・・言い合いをしている自覚はありませんでした。
私もありません。ですから、やりとりと書きました。
やはり始まりはありませんか。
始まりがなければ始まらないので、
探そうとされていないだけだと思いますけどね。
今度何かあったとき、第三者の目で眺めてみてください。
空は有でも無でもないのでしょ?
無常感さんに教えていただきました。
未来さん
>テレビにでてくる報道も鵜呑みにできないし
あの後味の悪かったJAPANデビューからすっかり懐疑的になりました。
今これを流すこの放送局の意図は何だ?って。(笑)
こんなの流していいんかなと思えるようなテープでした。
事実は事実なのでしょうが、ひねくれているから、
国民の知る権利を尊重してくれたのね~とはなかなか思えません。
未来さん
>これらが、すべて≒無常感さんである 証拠があるのですか?
■HNとID変えて、「別人」として、ウソツキ呼ばわりしたり、
これは、私に対してですし、無常感さんのよく使用する?IDがあるのですが、それと同一なのでね。HNは違うが・・
で、確認したんですよ。
「同一人物ですか、違うなら、私は謝ります」って、「何度」も。
でも、きちんと「スルー」してくれました。
■「別人」として、自分の意見に同意したり・・(それは、別スレかな?)
これは、さがせば、ありますよ。(まあ、時間があればね・・)
■すぐ、人を、「無知」呼ばわりしたり、「子供扱い」したり。
子供扱いさらたのも私ですよ。
「はい、おねんね、しましょうね」だったかな?(笑)まあ、そんな感じ。
弱点さん
>事実は事実なのでしょうが、ひねくれているから、
国民の知る権利を尊重してくれたのね~とはなかなか思えません。
日本の皆さん ひにくれてほしいですよ。もしそれがひにくれている
という状態なら。
あまりにも、ストレートに信じていてとても危険ですらあると
思うんです。
私も ひにくれど 100%で行きますよ!
弱点さんは、ツイッター デビューされないのですか?
視点さんに 影響されて 先ほど登録してしまいました。
適性さん
的確に追求する適性さんですから、その辺はきちんと
裏は、とっておられるのですね。
私は、どうも疎くて鈍感なので
別人とかそういったものを見分ける能力が全くないんです。
(洞察力がないともいうのでしょうか。)
無常感さん
弱点さんが 引き下がらずにずっと問いかけているのは
やはり、明快な駆け引きがここでもあったからなのではないかな?
それが、どうも皆さんに見えてしまう。
それが誤解だといわれれば、それで仕方ないとしても
そのように誤解されるという言い回しが、
その知的な頭脳を摩耗させているかもしれません。
大切にしてくださいね。
内田氏のネットマナーの記述がある。
私が今のネット上の発言について・・
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自分自身が送受信している情報の価値についての過大評価。
自分が発信する情報の価値について、「信頼性の高い第三者」を呼び出して、それに吟味と保証を依頼するという基本的なマナーが欠落しているのである。
ここでいう「信頼性の高い第三者」というのは実在する人間や機関のことではない。
そうではなくて、「言論の自由」という原理のことである。
言論が自由に行き交う場では、そこに行き交う言論の正否や価値について適正な審判が下され、価値のある情報や知見だけが生き残り、そうでないものは消え去るという「場の審判力に対する信認」のことである。
情報を受信する人々の判断力は(個別的にはでこぼこがあるけれど)集合的には叡智的に機能するはずだという期待のことである。
それは自分が言葉を差し出す「場」に対する敬意として示される。
根拠を示さない断定や、非論理的な推論や、内輪の隠語の濫用や、呪詛や罵倒は、それ自体に問題があるというより(問題はあるが)、それを差し出す「場」に対する敬意の欠如ゆえに「言論の自由」に対する侵害として退けられなければならないのである。
繰り返し書いている通り、挙証の手間暇や、情理を尽くした説得を怠るものは、言論の場の審判力を信じていない。
真理についての検証に先だって、自分はすでに真理性を確保していると主張する人間は、聴き手に向かって「お前がオレの言うことに同意しようとしまいと、オレが正しいことに変わりはない」と言い募っているのである。
それは言い換えると「お前なんか、いてもいなくてもおんなじなんだよ」ということである。
私たちはそういう言葉を聴かされているうちに、しだいしだいに生命力が萎えてくる。
それはある種の「呪い」である。
言論の自由には「言論の自由の場の尊厳を踏みにじる自由」「呪詛する自由」は含まれないと私は思う。
情報の「層」化が進行し、私たちはいま「情報の階層化」のフェーズに入っている。
それは端的に言えば「質の良い情報にアクセスできる階層」と「質の悪い情報にしかアクセスできない階層」の分極化である。
だが、問題はそれが「状態」ではなく、「プロセス」だということである。
「質の良い情報」というのは物性のことではない。
そうではなくて、自分の発信する情報が「情報環境全域」の中でどこに位置づけられ、どう機能しているかを「マッピング」できるということである。
「私はこのことを言うことによって『何を言いたいのか』」を言える情報は良質な情報である。
「質の悪い情報」はその逆のもののことである。
それが送受信される文脈、その歴史的機能などについて自省する機制を含まない情報は「質の悪い情報」である。
「オレはこう思う。」とか「オレはこれを知っている。」といったタイプの情報は、そのコンテンツの正否にかかわらず「質の悪い情報」である。
自分の主張に含まれている「思い込み」「事実誤認」「推論の間違い」などについて、価値中立的な視点から精査する自己点検システムを含まないステートメントは、そのコンテンツの正否にかかわらず「質の悪い情報」に分類される。
現在進行している情報の階層化は、端的に言えば、「情報には質の差がある」ということを知っている人たちと、それを知らない人たちの間に広がっている。
情報の階層化は不可逆的に進行する。
「質のよい情報」を取り込む装置を持っている人のところには「質の良い情報」が累積し、「質の悪い情報」をスクリーニングできない人のところには「質の悪い情報」だけしか集まらない。
「情報」はその自体的な正否によってではなく、「それが誤っている蓋然性」についての適正な評価を伴う場合だけに意味がある。
そのことを「知っている人間」と「知らない人間」の間に、急速に、不可逆的なしかたで、情報の階層差がいま進行している。
情報化社会においては、その差は権力・財貨・文化資本のすべての配分に直接反映することになる。
誤解して欲しくないが、私は情報の階層化には反対である。
ネット上に「呪詛」を書き込んでいる諸君は、それによって他ならぬ自分自身を情報化社会の最下層に釘付けにしていることに気づいて欲しいと思って、この文章を私は書いている。
たぶん、ご理解いただけないであろうが。(あ、いけない呪いを書いちゃった。今のなしね)
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皆さん。どう思います??
>「私はこのことを言うことによって『何を言いたいのか』」を言える情報は良質な情報である。
ここのところがすごく共感できます。
質の問題は、難しいですよね。
取捨選択ありますし、世界中の情報は錯綜している。
韓国なんかは、どのチャンネルも同じ映像で
同じ内容のニュースを流すそうです。
そうすると国民は、同じ意見を持ちやすくなってしまいます。
国民のプロパガンダ
日本でも3.11以降は感じましたけど。
ですから、たとえばひとつの情報ニュースなんかは
いろんな国からみた、情報を読んでみるってことを心掛けています。
あとそれに関する意見とかも。
(時間がかかるので、気になる記事だけですけれど)































