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私立中学の価値 2校め

【2043250】
スレッド作成者: ようこそ!書き込み歓迎 (ID:4Xzxz71IPe2)
2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

【2276119】 投稿者: 無常感   (ID:nM/k0SkM9oA)
投稿日時:2011年 09月 26日 05:40

老眼さん

>本来どうすることもできない人間が、一方で、現実にはどうにかしなければならない人間であらねばならない、この相異なることを、どのように関連付けて受け止めてらっしゃるのでしょうか。これまでの無常感さんのお話からしますと,無力感さんはその域を越えておられるに違いありませんので,納得の仕方というものをお時間がございましたら,ご教示いただけませんでしょうか。

みなさん・・人生の達人ですので、それぞれお答えをお持ちでしょうし、私が抱いているのは仏教的な「無常観」ではなく、単に無常に憧れる程度のレベルのものですから、稚拙な私見にすぎませんが・・

あるべき状況=A、現実=B、だとすれば、このギャップC=A-B・・このCを埋めるべく、人間は努力するのでしょう。Aの達成に向けて必死に向けて努力する・・これが正しいですね・・とりあえず。しかし、どんなにいくら努力しても絶望的だということだってある。おっしゃっている状況でしょうか・・

このまま身動きが出来なくなって、精神的に破綻してしまうような悲劇もあるのでしょう。
そうならないためにも、空 という智恵を考える意味があるのではないか・・そのように感じています。

 C=A-B ・・・この概念をもったのは、他ならぬ自分自身なんですね。

C という実体は本当にあるのか?・・そして、Aとは何か、Bとは何か・・よくよく思弁するのでしょう。
出来れば他人に、C=A-Bを 説明し感想を聞くといいですね・・当然ながら、人それぞれ捉え方が違うのだから、「そんなの全然ギャップじゃないじゃん」・・こういう答えだって返ってくるかもしれませんね。

相対化してしまうというか、結局のところ、C=A-B というのは現実社会を生きる上での かりそめの真実・・法華経で言う「方便」みたいなものと・・ではないでしょうか。

C=A-B にこだわるだけ、こだわればいい・・しかし、頭の片隅にほんの少しだけ空観を残しておく。
私が好ましいと思っているのは、そういったイメージのものですね。

【2276121】 投稿者: 無常感   (ID:nM/k0SkM9oA)
投稿日時:2011年 09月 26日 05:52

福の神さん

>無常感さんの考えが動機さんとシンクロする可能性があるので、
>少し違った見方から無常感さんがどう考えるのか、聞いてみたいのです。

動機さんがどんなお考えなのか、よく分かっていないのですが、
多分かなり違うと思いますよ。

【2276158】 投稿者: 適性   (ID:ugkHPtVViSk)
投稿日時:2011年 09月 26日 08:02

■企業人さん

>内田さんの言説、賛同できません。

情報の階層化のことについての、ことだと思います。

■未来さん

>理想と現実とは、かけ離れますね。

そういう面もあるでしょう。(ただ、この場も、国会でいいとは、思ってないでしょ)


もう少し、説明しますと。

この文書は、ネットマナーについての「話」と、「無常感さんの方法」とのリンクとして、引用しました。

一部加工

>繰り返し書いている通り、『挙証の手間暇や、情理を尽くした説得を怠る』ものは、『言論の場の審判力』を信じていない。真理についての検証に先だって、『自分はすでに真理性を確保している』と主張する人間は、聴き手に向かって「お前がオレの言うことに同意しようとしまいと、オレが正しいことに変わりはない」と言い募っているのである。

これは。

・自分の「主張」や、設定した「事実」は、正しい。
・分からない、もしくは反論は、「能力が足りない」というか、「スルー」する。

とう方法と、まあ、同じだと感じるわけです。

暇人さんは。

>このスレではどうだかわかりませんが、これまでの他のスレでは、自分の主張への反論に対しては、
>自分の主張の完全肯定、反論への全面否定の立場からしかコメントされていません。
>ですから、そのコメントには論理のすり替えや事実の歪曲が多々見受けられました。
>客観的にご自分の主張の否定になるレスには完全スルーか揶揄のみの書き込みでスルーされてきました。

と説明してますが。

>言論の自由には「言論の自由の場の尊厳を踏みにじる自由」「呪詛する自由」は含まれないと私は思う。

言論の自由は、極論は、「何を言ってもいいし、その方法も」自由なんだろうけど。
そんな、言論の自由ばっかりでは、ろくな結果にならないでしょ。



では、これは、無常感さんのコメントです。(残っていたので)

中高一貫校の生徒について・・

■>とにかく、オレが医者になれたらいい・・そんな人間に公的助成が必要でしょうか? ■

と主張します。

とにかく?それ「だけ」しか興味ない?「そんな」人間なんでしょうか? 

なぜ、事実として「断定」するのか?それを前提にするのか?

まあ、生徒には、いるかもしれませんね。

それに、一人でもいたら、「公金助成」が必要でない、理由になるのでしょうか?

そもそも、それが、正当な理由になるのでしょうか?


当然、無常感さんは・・
『自分の「主張」や、設定した「事実」は、正しい』ので、この場合『スルー』します。

この、積み重ねが、あのスレッドだと、私は認識してますけどね。

でも。

この場合の、議論?は簡単ですよね。

あなたの主張は、「事実」なのですか?何をもって、「そうだ」と、断定してるのですか?

これも、無常感さん、これもスルーするのかな?私が、質問するから、スルーするのなら、誰かが、同じ質問したらいいのか?

さて、どうでしょうね。

【2276174】 投稿者: 動機が大事だよね   (ID:RtTHaEOyoOg)
投稿日時:2011年 09月 26日 08:30

無常感さんをどう評価するかは・・・・・・・それぞれの人の判断に任せるとして話を前に進めませんか?


無常感さんも一言「いろいろ誤解を与えているようですがここでは批判を受けるようなことはいたしません」と政治家的にやっておけば済むことですよ。


あなたの知識を善用すればこのスレももっと実り多きものとなるでしょう。知識なきものを見下すのではなく・・・・こういう考えもありますよとやっていけば軋轢も呼ばないでしょう。

【2276192】 投稿者: 信頼感   (ID:pIp28uNP7i.)
投稿日時:2011年 09月 26日 08:47

地域、時代様

ユングの内向、外向は辞書にあるニュアンスとは若干違うと感じています。
人間は、ある刺激に対して、感情、感覚、思考、直感のどれかで判断し
(個々人の得意な受け止め方があるという意味で、得意が複数ある場合もあります)
内向、外向という2つの意識の方向があるようです。
簡単に云えば、内向は、内面(意識、無意識)に意識の方向(基準)があり
外向は、外側(現実)に意識の方向(基準)を定めていると思われます。
内向、外向は、利き手と利き手外の手に相当し、得意、不得意の関係にあります。
外向が利き手の場合、内向は、若干苦手となります。
無常感様の利き手が突出して器用であるため、利き手外の手で他者の意見
(特に論理の飛躍、感情論)を受け入れることが相対的に苦手と感じたからです。
私も含めて感情で先ず、受け止める者からすると存在価値すら否定されるような
錯覚をしてしまいます。
(錯覚なので、無常感様には、そのような意図がないと思っています)

人は、日常生活で様々な刺激を受け、受け流しています。
意識して処理されたものは、意識として把握できますが、受け流されたものは
無意識で自動処理される為、本人は把握できません。
把握できないが、しっかり心の中で判断しコンプレックスとして無意識下に
定着させる。
フロイトの言葉で「人間が忘れるのは、忘れたいからだ」というのも
日常の様々な刺激を無意識下で心が自動処理し、振り分けている
ということに繋がるのかなと思っています。

タイプ論で検索をかければ、ユング研究家のサイトがございます。
ユングの書物は、難解すぎて・・・研究家のフィルターを
通したものしか私には理解できません。(それすら危ういけど)
ですので、ここで述べていることも2重のフィルターが掛かって
トンチンカンになってるかもしれません。

【2276209】 投稿者: 老眼   (ID:Ppch5VUO6I6)
投稿日時:2011年 09月 26日 09:02

無常観さん
下手な説明を御理解いただた上に、非常にわかりやすいご説明を頂き感謝いたします。


>空という智恵


「空を、概念上だけのものではなく、見えはしないけれども確かに存在するものと捉える」という智恵、と受けて宜しいでしょうか。
そうであれば確かにド壺にはまるリスクを軽減できそうな気がします。しかし、その「空」では求めるところに届くこともできないとも思います。



>かりそめの真実・・法華経で言う「方便」みたいなもの


①と②のギャップを埋めるため、「かりそめの真実」の設定。
わたしにとっては①も②もたいへん重い「真実」ですから、「仮初め」や「方便」ではそのギャップを埋めることはできません。


>このまま身動きが出来なくなって、精神的に破綻してしまうような悲劇もあるのでしょう。


そうですね、気をつけます。

【2276247】 投稿者: 通りすがりの企業人   (ID:jJ.WhfKsxFg)
投稿日時:2011年 09月 26日 09:45

適性さま:

無常感さまの文章に関して論じたつもりは一切ない。そう書いた覚えもない。

・論証不能なことを絶対真理と書いて、論証不能な命題を提示してはいけない、と説教を垂れている。
・文章の構成が複雑怪奇で、プロの文章とは思えない。「場の審判力に対する信任」という概念は、新たに提示したものなのか、普遍の原理なのか、わからない。あえて言えば、自分が言い出したことを普遍の原理であるかのように書いている。
・何度読んでも、階層化が「状態」でなく「プロセス」である、という記述が理解できない。著者が「プロセス」をどのような意味に使っているかもわからない。
・差別的言辞を弄しておいて、自分は差別反対というところが、きわめて下品である。

私は、この文章を、知識人の思い上がりの典型ととらえる。
ここに述べられている検証を経て投稿せよというのであれば、私はお断りする。

以上。

【2276253】 投稿者: 地域、時代   (ID:Nsyjs1.FIvw)
投稿日時:2011年 09月 26日 09:52

信頼感様

なるほど、やはり、内向きと外向きのニュアンスが、若干違うのですね。
とてもわかりやすく書いて下さっているので、すごく勉強になりました。
ありがとうございます。

私自身は、自分のコンプレックスを克服する事、、が非常に面白い、と感じるタイプなのです。
なので、私の場合はコンプレックスを意識下に定着させる事はあまりないかも。。。
コンプレックスというものは、「他者と自分の違い」みたいな部分もありますよね。
逆に言えば「コンプレックスこそ、才能の大きな種」だったりする、と私は思っています。
私は得意な事に対して、あまり興味ナシ、、みたいなタイプになるのかな。。。
(個人的な話なので、こういうタイプもいる、という事です)

また、芸術分野では、その分野で「基準とされる能力」が全て備わっているから成功する、という事もありませんよね。
むしろ、「この人、この部分、全然ダメだよね」みたいな者が、バーーンと第一線にいる場合も多いかと。
私もこっち系になります。
才能的に、圧倒的に欠落した部分があるのです。
しかし、そこを克服するために、自分の一番強みを徹底的に表現していく、訴えていくことが、私の自分の表現に対する向き合い方のような気がします。
コンプレックスは、大きな才能の種。だと私は思っております。

なので、子育てをしていて、我が子が「出来る部分」よりも、「出来ない、悩んでいる部分」にこそ、彼がそこに向き合った時「彼を大きく伸ばす何かが 隠れている」と考えているのです。
なので、息子が立ち止り、苦しそうにしている時、息子がアドバイスを求めてきた時は自分の経験談などを話しますが、「自分でそれを乗り越えるしかないよ」と、アドバイスしつつも、私は非常に客観的です。
我が家の場合、子供の年齢が、相談は友達に~の時期ですので、アドバイスする事もめったにありませんが(笑)。

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