アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
適性さん
>の「突出性」は「興味」だし
使い方が違うと感じるのですけど~。まあいいです
大江健三郎さんの息子さん
おられますよね。
彼は、知的障害で産まれた。
その息子さんが、まだ小さい時によく森に連れて行ったそうです。
(別荘だったのだと思いますが。)
そこで、息子さんが音に非常によく反応しとても正確だと気がついた。
そこから、音楽に繋がって作曲もされるという
発展をしていったと思います。
興味、反応の強いところに注目して
そこから自分自身の能力を少しずつ開花させていっているということですね。
これが、突出性ではないですか?
地域、時代様
フナの解剖ですか・・・やった記憶がない・・・です。
大学までやった記憶がないんですよ。
私より上の世代かしら(笑)
甘酸っぱい想いで・・・イイですね。(///∇//)
きっと、私がその場面にいたら・・・
「えぇ~なんでやめるの、やろーよ」って云って
時代様にドンビキされていたことでしょう。Σ(・ω・;|||
女子は、大人ですね・・あぁ、そのデキ杉くんも大人だわ。
■老眼さん(未来さんの答えにも)
答えになるのかわかりませんが。
>補足)大切に育てて環境も教育も整えたところからのほうが、
>子供は伸びていくでしょう。
>けれど、このローテーションだと粒がそろっているだけで
>なにか突出性のないものになる可能性もあります。
>これは、EDU的家庭で、誕生から大学まで親がケアできる家庭という意味です。
そういう家庭の「子」は粒はそろうが、突出性がない可能性もある。ということですよね。
私の感覚では、その、判断は、社会や集団での子供の「突出性」と『読んだ』わけです。
(粒が、複数あるから「そろう」ことができるのでね)
そうじゃなく、きっと「粒」とは、個人の「各」能力のことなんでしょうけど。
>興味のあるところに 突出性があるのですよ。
は、その子の中、パーソナルな話での「突出性」です。
その子「だけ」を見た時の話です。これは、他者との比較ではありません。
だから、「私には」つながらなかっただけです。
話としては、老眼さんのストーリーで、「つなげる」ことはできますし、それは、「大事」なことでしょうけど。
未来さんの、お話をつなげると。
>これは、EDU的家庭で、誕生から大学まで親がケアできる家庭・・
では、その子のパーソナルな「興味」「突出性」に、目が行ってないのではないか?
ということでしょう。
総合力を上げること「も」必要ですからね。
逆説的に、環境にめぐまれていない子が、世に出る場合、より「興味」「突出性」に特化してる場合が、目を引きますね。それはそうですね。
■老眼さん
①「興味」「突出性」の強化。
②「総合力」の強化
教育は、これを「平行」して、行うわけですが。
では・・
『普通の学校』が授業を通じてしているのは、何か?
あえて、単純化しますが・・・・・
これは②の「総合力」の強化ではないですか?。
様々なことを、同時に、総合的に、レベルアップさせるとこです。
同じ時間に、同じ科目を、同じ人が、一斉にさせるわけです。
同一のことをさせるとは、基本的に『同じ方向に、同調させる作用』がある。
(個性を重視することもあるでしょうけど)
老眼さんの、発想は好きなので、なんくせつけるようで、あまりいいたくないのですけど(苦笑)
(どんどん、発想するのはいいのですよ。楽しみにしてます(笑))
例えば、老眼さんの、命の授業であっても、命が大切だという方向に、生徒を持っていこうという圧力は発生するわけです。たとえ、生物になんの、興味もない子であっても。
学校に行きたくない子を、行かせることも、外部からの圧力です。
風力発電の授業も、これは、自分で考え、調べ、先生に教えてもらい・・興味ない子には、地獄です。
進みの早い子の作品を、とにかく、パクるでしょう。
学研の科学のキットがまあ、いいとこでしょう。(ごめんねー)
「興味」のない学びも、強制的にさせるわけです。それでも、効果は、きっと、あるのです。
一緒に、同じことすれば、効果はあるのです。
基本的には、「そういうところ」なんだと思います。
「興味」あるなしは、子供が持っているものであって、強制してもなかなかかわらないでしょう。
カリキュラムは、そんなことは関係ないのですから。
ゲームは興味あるから、生徒にDSやらせたら、机でじっとしてるでしょうね。
私は、カリキュラムが悪い、先生が悪い、もっと興味ある、面白いものを出さないから、子供がうろちょろするのだ、だめだという話にすると・・・違うのではないか?と思うね。
そういう授業に可能な限りすればいいけど。そうでなくても、受け入れるものでしょう。
だいたい、勉強が本当に楽しい。なんて、そうはいない。
①「興味」「突出性」の強化が、授業中にされることもあるかもしれませんけど。
そればかり、「ずっと」というわけにいかないですから。
どちらかと言えば、きっかけでしょう。一人の子が、もっとやりたくても、次の授業です。
他の学校と比較した場合、どこかに「突出性」があるかもしれませんが、それは、その学校の中では「総合力」の強化の一部です。皆同じ、授業ですし。
では
①「興味」「突出性」の強化はどこでするのでしょうか?。
基本的に、個人の判断ですので。
学校の中なら
授業以外の時間、部活、行事で、「興味」「突出性」の強化は、されるのでしょう。
学校の外で
師匠を見つけて(仲間を見つけて)する。スポーツ、芸術、音楽。
家で、本を読む、専門書を読む、音楽を聴く、テレビを見る。何かを作る。
旅行をする。
専門学校として、スポーツ、音楽、芸術学校、などは、違うかもしれませんが。
すでに、専門ですし。
一般的な学校という存在の中に
①と②を両方入れたいのは、よーくわかりますけど。
①の総合力の強化も、もっと素晴らしい授業ってのもあるでしょう。暗唱とか?
生徒と先生を一対一にしたいとかね。
①も②も両方大切なら、私は「切り分け」が大事だと思いますけど。
先生の負担も考えて。
信頼感さんの
>フランスの公立小学校の給食は、バイキングなのですよね。
>ドルチェも豊富で、好きなモノを選択出来る、そして食べ残す・・・
>それが個性の教育だと先生が仰っていました。
>給食を大量に廃棄する映像を視ながら納得できない感情が湧きました。
この話で。思ったのは。
日本食がお膳で出されて、あまり好きでない、ひじきや、煮物も、全部いただく。
必要だからね。(好きなら、ラッキー)
これが、授業の「基本」であって。
アイスとか、好きなもの選択は、別のとこで。(学校の中でもいいけど)
って思っている。
養老さん?が言っていたけど。
都会の中には、自然がないから、1年のうち1ヶ月ぐらい、学校ごと、田舎に行ったらいいんだよね。(地域振興にもなる)
そういうのは、賛成。
午後、田植えとか。
午後、虫取りとか(子供にとっては、恐怖かな)
適性様
>例えば、老眼さんの、命の授業であっても、命が大切だという方向に、生徒を持っていこうという圧力は発生するわけです。たとえ、生物になんの、興味もない子であっても。
学校に行きたくない子を、行かせることも、外部からの圧力です。
確かに、押しつけです。
興味のない子にとっては、多分テキトーにやるだろうなと思っていました。
テーマの押しつけは、方向性としてあってもよいと思っています。
大人数の授業として・・どうしても必要かなと。
問題は興味がない・・をどうするかの多少の工夫でテーマを深く考えさせるように導くことかなって思っていました。
例えば「命」の授業であれば、生態観察は、絶対通らねばならない道として
体験してもらった上で、ディベートをしてもらう・・・とか。
絶滅危惧種であるメダカについて、多種との交配した雑種メダカを川に放流するべきか(命の観点から)それとも生態系を守るために川に放流すべきでないのか・・・とか。
これを全体討議じゃなく三人一組でやり、賛成派、反対派、審判にわかれ討議するってのはどうでしょうか・・・。(審判は、主観でどっちが納得できるか感想を述べる)
そして、三社三様がそれぞれ入れ替わって賛成、反対、審判を体験し、それぞれの視点を一人の個の中で感じる。
みんなで討論すると隠れる子がいるけど、一対一だとツマンネーとか言ってられないし。
それでも協調性なくやらない子もいるだろうけど。
こういうことが、既に授業で導入されていたらスミマセン。
単なる思いつきです。
>日本食がお膳で出されて、あまり好きでない、ひじきや、煮物も、全部いただく。
必要だからね。(好きなら、ラッキー)
これが、授業の「基本」であって。
なる程・・・鋭いなぁ。
フランスのように選べることは魅力です。
子供の友人も納豆が出ると泣いてるって云ってました。
しかし、長年「コメの一粒まで残さず感謝していただけ」と刷り込まれた親世代にとって残すことが罪という価値観もあります。
刷り込みによってその部分の個性は、消され画一化されたのでしょうね。
資源もないし・・。
授業も興味に合わせて選択できない以上、個性を埋没させるということに繋がるということでしょうか?
適性様の話もその通りだし・・・難しいな・・全然消化しきれてません。
でも、とりあえず述べてみます。






























