女子美の中高大連携授業
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
老眼さま、
とても良い話ですね。老眼さんのボランティアも、若者との出会いも貴重だと思っています。
>被災地でボランティアをしてますとその感性を維持できている多くの若者に出会います。とても貴重な存在です。子供たちの良い手本であるに違いありません。
それからコメント頂いた点は、
・・・そもそも原発が安全か?の議論は簡単ではないと思っています。でも、作ろうよ、
ということや、電力が足りなくなりそうな中での「正しい」決断だったのでしょう。
これは推進する人にとっては、素朴かつ自然なものでしたのでしょう。
(わたしは推進派ではないですが)
様々な議論があったと思います。例えば、福島原発は東電が作ろうと
言ったというよりも福島県が、中央官庁や政治家に働きかけをしていたのではないかな、
と記憶しています。原発の恩恵も相当なモノとのことでした。
安全性の検証が不十分か、というのは、どう不十分なのか、
現段階では不明ですし、賠償の範囲がからみ
そう簡単に結論がでないと想像しています。
個人的には、レポートが出たら全文を読みたいと思っています。
じゃい子さん
>学ぶだけでなく、師のすべてを尊敬できるような塾
ユダヤの人々にとって学校とは、尊敬できる人の前で大事な話を聞ける場所、という定義があるので、子供たちに遅刻という概念は無く授業も静かにきちんと受けるのが当たり前だそうです。共通する宗教を持たない日本では、まず私たち大人から範を示さなければ子供はついて来てくれません。言うは安し行うは難しですが、国を挙げての復興であるなら、今こそがこれを毅然と実行しなければならないときなのだと思います。
校舎屋上に児童を誘導非難し零下のなか児童と共に1晩ヘリコプター救助を待った公立小の先生がニュースで報じられました。すばらしい先生です。その児童と先生の間には「学ぶだけでなく、師のすべてを尊敬できるような塾」が出来上がっていることは想像に難くない。生徒児童を心底大切に思う気持ちがすべてなのだと感じました。
動機さん、
・・・日経の4月19日の一面左の記事にある、シュワルナゼさんの感覚は、わたしが見聞きする外人の感覚に近いと思います。彼はフランス人、アメリカ人ではないですが。
記者との質疑は主に下記のようでした。
Q: 福島第一原発の事故で、日本政府の対応をどう評価しますか。
A: 各種の報道を見聞きする限り、福島第一原発の事故で日本政府は適切な情報公開をしている。謝りがあったとすれば、原発建設時の安全設計などだろう。専門家の検証を待つべきだが、稼働後の安全管理に関してもチェルノブイリを教訓に、改善すべき点があったのではないか」
C:「大規模な自然災害から原発を守れるという完全な保証はあり得ない。チェルノブイリも日本の原発も安全だと言われていたが、惨事は起きた。・・・福島第一原発の事故を受け、世界各国がより慎重に原発の安全を確保する対策に取り組む必要がある」
先のご意見について言えば、わたしの感覚は、確かに動機さんのいう、リーダー論/意志決定があると思います。組織論、という面もあると考えます。野党も、責任がなく言いたい放題言っていても、与党になれば言えないことがある。これは非難して言っているのではなく、人間の行動とはまさにそういうものです。原発も、自分がその場にいたらできるか、というとそうでもないでしょう。その上で何ができるかが建設的な意見でしょう。・・その他に、蛇足で書けば、技術議論を本当のところ尽くさずに、結論ありきで誠治的に決める。あるいは結論ありきで、技術議論のつじつまを合わせにいく、という問題点がある可能性があると思っています。これも技術議論をしさえすればよいという単純なモノではないと思います。
わたしは、日本の冷静な対応こそ、今後とも世界から評価される対応になるのだと思います。
シュワルナゼさんがしたコメントはさすがだな、と思いますが、「謝りがあったとすれば、」という部分、(1)直すべきもので当然当時でもできたと考えていたか、(2)当初には難しいと思っていた かについては、軽々にコメントなどせずに「謝りがあったとすれば、安全設計など」と書いていますね。そういうセンスには共感ができます。
多くの理系あるいは工学系技術屋が、その信じるところを最終的に反映した設計プランにどうしてもできない現実がある理由として、現実的な日程に上りえる問題の提示ができないことがひとつ絡んでいるように思えます。実際、今、企業では、理系の高い専門性+プレゼンセンス+政治センス+交渉センス、を身につけた若い世代の人も、老眼さんのいうボランティアの心をもった若者と同じくらいには必要だろうなと思っています。
<動機さんWrote>
量的さんのコメントは・・・・・確かにそうだねと思う反面、やはりアメリカ人やフランス人だと違う対応をしたのではないかと思う。リーダーシップのとり方や責任の取り方、もっとせこいことをいうなら「転職できる環境があるか否か?」などという日本社会の組織論になるんだと思う。
量的さん
ありがとうございます。
当時福島県知事であった佐藤エイサク氏が震災後にインタービューに応じプレス報道されました。それによりますと、「県は会社に対し安全性について再三確認したところ、いかなる天災でも放射能漏れは有り得ないとの説明を受け、県民の反対はあったものの、当時の国のエネルギー政策の観点から受諾した」という要旨でした。
事の成り行きを知らない多くの福島の方たちがとても大変な状況にさらされ出口も見えていないこと、これからどうなる?、が問題です。
企業人さん
こんばんは。
コメントありがとうございました。
少し間があいて失礼をしました。
企業人さんとのお話は、特に慎重にしたい、と思っています。たぶん、境遇も発想も近いし、音楽も古典も好きで、立場も近いようです。ある意味でわたしにとっては「鏡」のようなところもある方なので、いつも話を参考にさせて貰っています。企業人さんがおっしゃる、今回違う感覚を相互に持っていることがあるならば、わたしがより苦労していて楽観的ではないためか、歳をすこしとっているかあるいは何か違う価値観があるのかもしれないと思います。
さて、企業人さんのような優秀なひとには、モノが見えているというのは、最初に書いているときから知っていますので、そこを注意して最初の投稿でも書いたつもりです。
・・・最初に書いた投稿と企業人さんのコメント、2つを見比べていただきますと、わたしが注意して企業で自由度のあるひとを除外して書いていることはご理解いただけると思います。
かえって企業の立場で一流のエンジニアならば、できることが沢山あることは百も承知していますし、(わたしはそういう企業にいますので) ・・・だからそこが好きで、企業に勤めている面がありますが、そこは敢えて書くつもりがなかったので菅さんの話で書きました。
後で、お書きになった、様々な”学会”の人達は、確かに理解できないところがありますね。情報に戸を立てるのは、マイナスだと思います。ただ、学会組織というのはざまざまな人がいて特殊な集まりと思います。それぞれの学者村や個人の価値観につき動かれているのではないかとわたしは思います。大学人あるいはチンパンジーの社会に近い距離感が近く、濃密な人間関係を持つ集団のセンスのようにも感じられます。
連投すみません。
量的さん
単に書き方だけの話なのかもしれませんが、文をそのまま解釈するとしますと、ここで、量的さんとの考えの違いを明確にしなければなりません。
>理系の高い専門性+プレゼンセンス+政治センス+交渉センス、を身につけた若い世代の人も、ボランティアの心をもった若者と同じくらいには必要だろう(量的さん)
量的さんは「並列」の関係と捉えておられますが、
私は「流れ」の関係と捉えております。
つまり、
先ず「心」で物事を判断し ⇒ その上で、『理系の高い専門性+プレゼンセンス+政治センス+交渉センス』 というような判断をする
というプロセスが必要なのではないかということです。
今、国民が問題視している本質は、この違いにあるのではないでしょうか。
老眼さん、
ありがとうございます。
ご参考ですが、福島第一原子力発電所 Wikipediaで検索してみて、記事をみていただくと良く纏まっています。その中で、年表を見て頂くと佐藤栄佐久さんは1994年の”当時”のプロサーマルができる3号機の導入時の知事さんで、比較的”最近”です。
福島県が産業近代化の波に乗り遅れ、多少なりとも安全性に疑問がありつつも、
1960年(昭和35年)11月29日 :福島県から東京電力に対し、双葉郡への原子力発電所誘致の敷地提供をする旨を表明する。
という段階を皮切りに原子力を誘致に動いて、昭和46年2月に1号機の営業運転した経緯が記されています。
他で受け手がないので、狭い敷地に次から次に1号機から6号機まで立てたのも、
初めの一歩からの長い長い歴史です。県民・知事の判断も、実質的には
何度もされているように思われます。
なお、災害が天災か、人災かについては、元知事佐藤さんが言われるような
人災だと思う側面は、わたしも感じます。(何かできたかは別として)




































