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私立中学の価値 2校め

【2043250】
スレッド作成者: ようこそ!書き込み歓迎 (ID:4Xzxz71IPe2)
2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

【2101855】 投稿者: こんな意見も   (ID:nfF0QzT1gs6)
投稿日時:2011年 04月 20日 13:49

補足

<<つきつめて言えば、現代で若者が命懸けでやりたいことなんてあるのかな?

逆説的に言えば、若者が自分の命を賭けてみたいと思えるような社会(物質的なもの、精神的なものを含めて)を我々が創れてきていないということ。

【2101989】 投稿者: 弱点   (ID:VsgNnAJp/Bs)
投稿日時:2011年 04月 20日 15:36

この震災で起こったことは現在進行形の過去ではなく、未来でもある。
人間ってよくも悪くもすぐ忘れるし易きに流れるものだから、今が大事だと思う。
原発に関しては、以前も書いたけれども、私は無関心でした。でも、エリートは有能だと思っていた。
エリートと言われるような人が、まさかこんな杜撰なことをして平気でいるなんて思わなかった。
関心があり、危険を知っていた人はちゃんと指摘してきた。それでも、無視された。
天災が起ればどうなるかを知っている。その上でも実行できる。その心が信じられない。
造った当時の過去だけじゃない、現在いつでも決断が可能だった人たち。
本当は想定できなかったんじゃない。恐ろしいことに○○の都合で抹消したのだ。
それは人の命を命とも考えない行為と同じなのに、罪悪感も薄そうな、その心が怖い。


やはり勉強できることが偉いんじゃない。要職に就くことが偉いんじゃない。
何が尊いことなのか、学校では心に染みるまで教えてこなかった。少なくとも私の記憶にはない。
エリートの親もエリートの親なのに教えられなかったのか。
エリートならば、人生も半分過ぎたら保身も欲も捨て、後の世代のことを考えて良心で行動してほしい。
たとえ組織が悪くても、染まらない心を持ってほしい。そうじゃないと何も変わらない。
今からでも遅くはない。世間が厳しく批判することで、何が恥なのかを気付いてほしい。
そして、変わってほしい。


動機さん、諸々の隠蔽を戦時下と同じととらえることには胸が痛みます。
敗戦国が当時を肯定することは、今でも危険分子扱いされることでしょう。
当事者は反論を望みもしなかったし余地もなかった、認めてくれる国の力は悲しいことに弱い。
それまでの教育を否定し、後ろめたさを引きずる新しい教育。
結局いつもそこに行き着き、いつまでも脱却できない。脱却しようと動けばつぶされる。
この機会に見直すことができたらいいけれども、今のエリートじゃ難しいのかな。

【2102353】 投稿者: こんな意見も   (ID:1Ev4ifA7SGI)
投稿日時:2011年 04月 20日 21:35

本来、企業とかサラリーマンっていうのは商人なのだから、商人にエリートを求める事自体がナンセンスですね。
じゃあお前は?勿論エリートでもなんでもありません。ただの一商人です。
商人は商売をして、儲けて、国に税金をたくさん納めればよろしい。
間違っても、自分たちをエリートだと勘違いすることがないようにわきまえればよい。
経団連のボスのような勘違いはやめてほしい。

エリートである必要があるのは、やはり、政治家と官僚でしょう。

私の考える真のエリートの条件とは、

1.文学、哲学、歴史、芸術、科学といった教養をベースとした、圧倒的な大局観と総合的な判断力を持っていること。
2.いざとなれば「国民」「国家」のために命を捨てられること。

こんな人、今の日本にはいませんね。1.の条件ならある程度、教育で対応可能でしょうが、2.は物凄い艱難辛苦を乗り越えるような経験をしないと身につかないのではないか。一回精神的に死んだ人間とか。その意味で、今回の大災害を経験した、若い人達には、真のエリートになる可能性を秘めているのではないかと期待しています。

【2102451】 投稿者: 凡才   (ID:ObMem3UZQcY)
投稿日時:2011年 04月 20日 22:58

江戸時代までは、士農工商だった訳ですからね。

確かに、エリートの考え方としては、その通りだと思います。


勿論、商人も入っていますが、世界のエリートと呼ばれる人たちは、結構日本の武士の世界を

模倣している人も多く、文武両道の方が多いですね。


日本は、大学卒業までは保たれていると思うけれど、就職後は、正直、保たれていないと思う。


お金のあるなし、地位のあるなしに関わらず、精神的にも肉体的にも切磋琢磨しなければいけないと思う。

こんな事を話していたら、三島由紀夫さんの事を思い出してしまった。


さらに、必要なのは、帝王学において、一番大事な事は、思想が傾かない事である。


どんなに完璧に仕上がっていたとしても、思想が傾いてしまっては、本末転倒になってしまう。


実際には、学問や武道は、ある意味、理論であって、実践ではない。

実践とは、今の世の中の流動的な波に、如何にリカバリーしていけるかである。

その事は、思想や理論が出来上がってしまった人には、修正不可能な物だと思う。


前に話題になった「正義とは」、結論出ていないですね。もう、400年ですか。


新しいものには、いつでも困難がついて回っています。

うまく行く事は、1%しかなく、99%は失敗に終わります。

その1%を成功に導くためには、リカバリーが必要です。


そのリカバリーができるようになるには、答えの出ないものに対し、如何に最良の答えに近く

なるように、リカバリーする智恵を使えるかです。


例えば、今回の原発の事故が起きた。

MOXの施設では、世界最大のものだ。未使用の核燃料、使用済みの核燃料がたくさん眠っている。

では、単純だか、核を封じ込め、水温が保たれれば、これ以上の被害が出ない訳である。

廃炉にする事に関しては、もんじゅの事もあるように、非常に長い年月がかかる。

しかし、これからも長きに渡って、続けていかなければならないことである。

他には、起こった事によっての外部への影響である。

1.食べ物への影響

2.放射能の人体への影響

3.土壌への影響

単純に3つ分けましたが、食べ物に関しては、チェックをすることは可能であり、それに応じて

敏速に対応すれば良いと思います。その際には、作られている、また関わっている当事者との

話し合いが、一番先にしなければならないと思います。

人体の影響については、私は、とある機関より渡されたフィルムバッチをつけていて、データの確認が

取れますが、例えば、つくばで行ったスクリーニングなどは、私は賛成です。

疑うのではなく、風評被害が出ないからです。

子供ならいじめられたり、大人でも白い目で見たりと、ありもしない情報のために嫌な思いをしないために、

また、将来的に補償をしてもらうためにも自己防衛しておいたほうが良いと思います。

何も無ければ、それに越した事は無いですが、あった場合は大変だと思います。

土壌の影響ですが、私から見るとかなり精神的に深刻だと思います。

当事者であったら、心配になるのは当然です。

やはり、この事は専門家が、地元の人のために早急に調査したほうが良いと思います。

放射能については、このような見解に分けて、真摯な対応が必要だと思います。


私は、凡才であり、普通のサラリーマンであり、素人であり、能もありません。

こんなに世の中には、ささいな協力しかできないものでも、この程度考えられるのです。

普段より言語統制されていない恵まれている環境にいるお陰で、発想に関しては

障害がないお陰かも知れません。


と言う事は、日本の中核を担うエリートの人達は、枠を取っ払った、これからの日本を、国民を

ぐいぐい引っ張って行ける人が、存在するはずです。

ただし、一人で行う事は、不可能です。

みんなで手を取りあって、昔論争があった天才と凡才では無いですが、決して世の中役に立たないものは

無いんです。もう一度、反論している時間があったら、良い案を聞いて見ましょう。

そうすれば、絶対に立ち直れる機会は、訪れると思います。


本当に、がんばれ日本です。

【2102711】 投稿者: 公立は自分で考えるところ(動機)   (ID:Xboo.FbCgc2)
投稿日時:2011年 04月 21日 08:24

歴史がどのように造られるのかは分かりません。ある個人の決断で大きく変わったのか時代の流れで誰がやっても同じ結果だったのか。



西郷・勝の江戸城無血開城なんて彼らでなければできなかったと思うし、日本の終戦も昭和天皇の聖断がなければあのままずるずる本土決戦まで続いたでしょう。


先の大戦は大局で観ればいずれ日米の衝突は避けられなかったのでしょうが個々の作戦で見れば日本側の誤りの連続です。そもそも明治の帝国国防方針以来の海軍作戦を放擲して真珠湾作戦をやったのが(それも宣戦布告を遅らせた?)どうだったのか?


キスカ、アッツなどまで前線を伸びきらせた補給無視の大風呂敷。シンガポールで捕獲した英軍レーダーが実は日本で開発された八木アンテナを改良したものだという喜劇。無謀なAF作戦でフィジーをめざし米豪遮断などという航空機の能力を超えたいけいけどんどん作戦。死者はほとんど餓死というガタルカナル戦。


前線の将兵がいかに敢闘しようと大本の作戦立案者が無能ではどうしようもない。それも平時のペーパーテストで昇進した参謀などが持ち回りで「あいつに今度は手柄を立てさせよう」なんてやっている。


組織として上に立つ人物がどう決まるかが日本の場合欧米とは違うのでしょう。
維新当時はまだ実力主義で力のある下級武士が要路についたが明治半ばを過ぎ元老がどんどん死んでいくとペーパーテスト秀才が陸海軍や政府官僚となった。その功罪を論ずるなら平時の学校秀才は「一朝ことあるときは役に立たない」ということでしょう。


昔の倫理観や卑怯、廉恥などの徳目が生きていたと思える戦前、戦中でも東条英機など自殺に失敗している。軍人のくせにまともに銃弾を撃ち込めない。彼が戦陣訓などで多くの兵士を玉砕に追い込んでいるのに自らこのざまは何だ。


文武両道、知性も体力も兼ね備えて精神力もあるなんていう人物を養成するのはオックスブリッジぐらいなんだろうか? 国家目標のあった戦前でもなかなかこういう人物を作れなかったところをみると我欲にまみれた現在の日本では・・・・・・・・・・とても無理な注文かもしれない。

【2102881】 投稿者: 老眼   (ID:V2.oTPlpjXU)
投稿日時:2011年 04月 21日 10:31

こんにちは
私のイメージは「まともな感覚を持った職人が町を創りやがて国を作る」というものです。
善悪の判断がしっかりできるお百姓が米をつくればそれを皆は安心して食することができる
自らにうそをつくことができない設計士さんが家をつくれば皆派安心して済むことができる
もちろん、お百姓さんは米を作るプロでもあり、設計士さんは建築のプロでなければなりません。
多種多様な数多の職業とその団体、どの場面においても、正しい判断が要求されます。しかし、こんにちの状況から私たちが学んだことは、知識としての正しさや、時期としての正しさの前に、人間としての正しさがないと判断を誤りかねないということです。
小さな集団であれば、まともな感覚を持った人たちだらけという環境はたくさんあると思います。それなのに、集団の枠を少しずつ広げて眺めていくと次第にその割合が減少してしまう感覚がうまれます。もし、そのような減衰さえが生じなければ、「人と自然を第一に判断する価値観を共有できる」状況が生まれ、たとえそれぞれの組織の内部や組織間のなかでの意見の相違が生じようとも、その相違は取るに足らないことに限定されるでしょうし、それぞれのプロとしての知識や智慧による対応でどうにでもなる、と思います。
1人の傑出したリーダーが存在したしても如何ともしがたいのが現実です。意識的にそういう人物を育てることができるとすればその方法論はそれこそ人類の宝となるでしょうが、現実の場面で考えますと、今は、まともな小集団の枠を少しずつ広げ、かつ育てる努力が大切だろうと思います。そこで生まれるプロの政治家に政治を託す、プロの行政官に行政を託す、プロの養育者に教育を託す、プロのお百姓に安全で美味しい米を作っていただく。
プロフェッショナル以前に重要であるものが存在するということはは誰も異論はないところだと思いますが、それが「何」であって「どのように」が大事なのではないかという意見です。

【2103355】 投稿者: 適性   (ID:8Je7v/eqH.M)
投稿日時:2011年 04月 21日 17:54

■①■

皆さんの意見、読ませていただきました。
「システム」関して、思うとこを、ちょっと書かせてもらいます。長いので・・興味ある方だけ・・抽象的な話ですし・・

>「適者」は、しばしば「悪貨」である。
>適者生存の意味、人として抗うべき時もしっかり教えないといけません。

これは、その通りです。が・・私は、知的=量的さんと一緒で、

>わたしの感覚は、確かに動機さんのいう、リーダー論/意志決定があると思います。
>組織論、という面もあると考えます。野党も、責任がなく言いたい放題言っていて
>も、与党になれば言えないことがある。これは非難して言っているのではなく、
>人間の行動とはまさにそういうものです

という「感覚」があります。

「システム」より「自分の良心や思想」を優先させ、システム「内」で「現実化」させる難しさです。
人間の「行動」とは、そういう「システム」の前では「影響」を受けるものなのです。
人間は「動物」ですから、「恐怖」「不安」「生存本能」を分離できない。

尖閣のビデオ流出では、「自分の良心や思想」を優先した人は、その後、その「システム」から排除されていますよね。救いは、世間の評価ですが。(普通は、世間の評価を受けることもありません)

これは、「できるわけないから」「無理だ」という話をしたいのではない。
(覚悟があれば、「システム」に、対抗できる可能性を示してくれています。)
こういう(生活を失うような)ことが、できる勇気は、当たり前ではないということです。

なぜ、こんなことを書くのかというと。

「エリート」が判断を誤っている。と外から見て感じる場合。
本当に、誤った判断の場合と、(自分の判断や思いはあるが)システム内の自分の役割としての「発言」「行動」をしている場合があるということです。

■「システム」とは『やっかいなもの』なんです。そういう意味では。

>社会に対して命懸けでサラリーマンしてるやつなんて見たことないよ。(笑)
>ただ、命懸けで家族守るために、自分殺してサラリーマンしてる人がほとんど
>じゃないかな。家族を守る、それは、それで立派です

これが、まあ、普通でしょうね。どこの組織でも。

>このステップの中に「自分の利益」と「他者の利益」をどこまでイーブンに
>近づけて考えることができたかが問われていると思いますよ。
>ただし、価値創出の根源体である「命」は全てに優先するということが前提です。

>組織論のリスクとして「上位者」が「下位者」を評価する人事システムでは、
>「上位者」の価値観によって、「下位者」が評価、淘汰されていくという「必然」
>が起こります。その繰り返しが「社風」です。どのような上位者が「再生産」され
>ているか。

そうでしょう。

>優秀な若手は、起業しろ。お前らには失うものなどなにもない。でも結婚できないぞ。
>結婚しても嫁さん泣かすぞ。大企業入っても失うものはすごいぞ。といってやりたい(笑)

システムから逃れるには、自分で「システム」を作る側 起業するということは、一つの方法だと思います。結婚もある意味「システム」だから・・かな?

■「エリートが悪い!!」ということは簡単だけど・・ エリートが、エリートとして行動できる「システム」なのかという面を見落としては、同じことが、繰り替えされる可能性が高いということです。
「責任者は責任を取らなくいい」とか「悪くない」ということを言いたいのではないですよ。
「システム」の情報が公開され、解析され、問題点を論理的に指摘されることは必要でしょう。一部の人だけが、得をするシステムは、解析されるのを、拒むものです。

【2103356】 投稿者: 適性   (ID:8Je7v/eqH.M)
投稿日時:2011年 04月 21日 17:55

■②■

「システム」について書いてますが・・広い意味での「システム」ですが・・。

皆さんも、「システムが悪い」とか、よくいいますね。でも、システムの「性質」や「自分との関係」については、結構、曖昧じゃないですか。
私も、「個人」と「システム」の関係について、あまり考えたことがなかったのです。

しかし、考える、きっかけがありました・・

「エルサレム賞」のスピーチで村上春樹が語った『 壁 と 卵 』の比喩です。

「高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。そうです。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です。」

というものです。権威や公式の場が嫌いな、村上春樹は、外国で、危険を冒して、何をいいたいのでしょうか。

比喩としは、高く堅牢な壁とは、「システム」であり、卵とは「ひとりひとりの人間」のことです。これは、現代社会の現状なのだろうと、私は思いました。
個人が、卵ではなく、爆弾の玉になって、壁を壊すということは、普通はないのです。

しかし・・システムを作ったのは、ひとりひとりの人間なのですが・・。(自分も含まれるかもしらませんし、含まれないかもしれません)

システムは、時に「正義」として機能します。国家であったり、法律であったり、慣例であったり。「正しいであろう」という「総意」があるのではないか?という感覚もありますが、現実には、ある意図のある人々、政治的なパワーバランスで作成されたことも十分あるでしょう。そして、組織内部の卵の「ほとんど」が、システムの間違いを認識していても、変更がなかなかできないことさえ、まま、あるのです。(東電や官僚に多そうですが・・)

基本的には、卵とは、「無力」の象徴です。村上春樹は、卵として、人としての「個人的に考える正しいふるまい」を続けることが、「大切」ということを訴えているのです。私も、そう考えます。

村上春樹は、よく”decency”という言葉を使います。
”decency”の意味としては「見苦しくないこと」「礼儀正しさと道徳性の基準を満たしている特性」が近いでしょう。

これは、(排除されない程度の)小さな「抗い」かもしれませんが、この積み重ねが、実は、「システム」の「変容」にも、つながることなのだと思うのです。
小さい既成事実の積み重ねが「システム」を作っているからです。

そして、これこそが「人間性」であって、村上春樹は、文学の面から、その人間性を担保することに貢献したいのだろうと感じています。
システム(時代の制約)に「精神的に囲い込まれない」ように。

「物語というのは、そういう『精神的な囲い込み』に対抗するものでなくてはいけない。目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです」という発言もしている。

強い権力を持った、卵(個人)もいますが、それは、システムに乗った卵であり、システムを利用します。独裁国家はそうですね。ただ、権力者も、システムの前の卵でもあります。
戦時中は、天皇陛下も、ある意味、自分の意志ではなく、システムの前の卵だとも言えます。

■『一般の個人』をできることは、微力でも(自分が思う)正しいふるまいを続けることでしょう。ときには、自分の得にならなくても。その為にも、『精神的な囲い込み』に対抗できる「心」が必要なんじゃないでしょうか。
人は、それぞれ、自分の「物語」の中で生きています。その物語として、ある意味、不遇であっても「納得」できるのであれば、その物語「ストーリー」を受け入れうことができるのではないでしょうか。
「感覚的」に何に「納得」できるか?でしょうけど。

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