アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
PDCAなんて(ID:Cahz0Rsu.7g)さん
>間違いではないですが教育ではないですね。
こども本人が勉強のやり方の一つとして採り得る方策のひとつです。
というご意見についてはいかが思われますか?
私もこども本人が探り得る方策だということに同意しているのですけど。
個性・・追加。
ただ、子供を育てるときに使う、さっき書いた「個性」とは、ちょっと違うニュアンスになります。
うまい表現がないのですが、つまり「反応パターン?」です。
同じ兄弟でも、同じものに、対する、反応も、考えも、好き嫌いも、違うので。
小さい範囲ですが、それを「個性」だなーっていいます。
そのパターンは、継続性がありますから。
それは、たいしたことなければ、いいも、悪いもないのですが。
反社会的範囲の反応や考えは、「しつけ」として対応することになります。
(例えば、人に、石を投げるとかね)
許容範囲の反応の中には、親が好まないものも「確かに」ありますよね。
泣き虫、がんこ、ぼーっとしてる、人の話をきかない、人のものを勝手に食べる、などなど
その対応は、親の「個性」(反応パターン)でしょうね。
老眼さん
中国の事件本当に悲しいことでした。
中国では、事故で救急車を呼ぶとその料金は呼んだ人が
払わなければならないそうで、いろいろと問題もあったと
いうような内容も読みました
いずれにしろ、命を考えたとき女の子は2度ひかれたそうで
どんなに痛かっただろうかと考えるとやりきれないです。
>根本的さんが主張される一芸入試も、
ひとりひとりの個性を活かすという点で、まさにその通りなのでしょう。
そういうことだと私も受け止めていました。
凡才さん
>たとえうまく行ったとしても、大変な事には変わりないと思います。別に、自分の子供だけが大変では無い事を、いつも頭の隅においておけば、大丈夫だと思います。
そうなんですね。たとえうまくいったとしても大変だと。
確かに、そのころW塾なんかもある子もいるのですから
私は、そのような波には乗らなかったのですが、
たとえば、希学園に4年から入るとしてそれまでの家庭学習で
のある程度のレベルってあるのでしょうか?
未来様、
P:学習計画をたてる。
-どういうやり方で勉強しようか?
-どういうスケジュールでやろうか?
-風邪ひいたり、計画通りに進まなかったときに
遅れを取り戻す時間は確保できてるかな?
D:ゲームやりたくても我慢して計画通りさぼらず勉強する。
どうしてもわからない算数の問題があっても、それに
かかりっきりならずに、15分考えてわからなかったら、
次へ進む。
C:計画通り勉強が進んでいるかチェックする。
テストを受けて理科不足の分野がどれかチェックする。
A:理解不足の分野を克服するにはどうすればいいかな?
勉強量増やしたほうがいいかな?
やり方を工夫したほういいかな?
さぼらず勉強してても計画通りうまくいかないけど、
そもそも計画が間違ってるのかな?
P、D、C、Aの全部を本人がやるか塾と親がやるかは別として。
凡人が真面目に受験勉強するってことは、こういうイメージでしょ。
年齢別の受験勉強のやり方って他にありますか?
年齢が高くなれば、子供には難しいP、Aが1人でもできるように
なるだけでしょう?
わかりやすキャッチーな方法論、システムをアピールしてるような学校や塾は
怪しい感じがしますね(そんな学校や塾はあまりないと思うけど)。
老眼さん
>こちらに関連する難問は、
>『子供が自らやりたいという気持ちと活力を育むこと』
>これが、意識の高い各家庭で、ばかりではなく、
>視点さんが仰るところの「子供全体が・・・」
>を念頭に置いたときに、
>どこまで可能なのか・・
>どうすれば子供たちのためにベストを尽くせるのか・・
学校教育は、基本「教師」ですよね。
その教育ってのは、形式的に、先生の指示にしたがって、されるものす。
国語の授業中。
この子は、好きなことをさせる、権利を奪っているのかもしれない。
と先生が考えても・・・しょうがない、ことになります。(考えてもいいですけど)
先生の使命は、国語の授業を通じて、その子のパフォーマンスを上げることに集中するべきです。
もし、その子が、こんなことするよりも、学校を辞めて、好きな、ゴルフをすることで、世界に羽ばたけるのならそれもありなので。
その子の好きなことをする環境に行く手助けをすることになるでしょうけど。
では、
『子供が自らやりたいという気持ちと活力を育むこと』
これはどうするのか。「教師」なのか?
それは、あえて言うなら、「コーチ」という言葉でしょうか。
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「コーチ」という語は、ハンガリーのコチ(Kocs)という町で農閑期の収入源として作られた四輪馬車・コーチ(kocsi)に由来する。世界初のサスペンション付きの馬車でもあり、以後「コーチ」は馬車の代名詞となった。
19世紀ごろ、オクスフォード大学で、家庭教師(チューター tutor)を、目的地に運ぶ馬車になぞらえコーチと呼ぶようになり、指導者のことを指す言葉となった。また、四輪馬車・コーチは運転が難しく訓練が必要であることから、コーチ自体に「訓練」という意味が生まれた。
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おらおらと、しごく人ではありません(笑)
つまり、目的地(目標)に、運ぶ手助けをする人です。子供のモチベーションも含めです。
目的地を決めるのは、子供でしょう。その、アドバイス、技術、心構えをサポートするのが、コーチです。
優秀な教師が「兼ねる」場合もあるでしょうが。そこでは、対応は難しい。(物理的に)
では、コーチは誰がするのか?基本は「親」でしょうし、次は「それ」を知っている人でしょうね。
コーチは複数で「連携」されることになります。
基本、個別的対応であるということになります。
この理想の困難さは、そういうとこに、あります。
スポーツで、アスリートの個人サポート集団を、チーム●●とか言うイメージ。
老眼さん
>「個性」を考えよ。
>とのご指摘は、わたしにとりましては、間違いなく、これぞ具体案です。
そう言っていただけると、ありがたいですね。
そのうちまた、ややこしいお話でもしようと思います。
>根本的さんが主張される一芸入試も、ひとりひとりの個性を活かすという点で、まさにその通りなのでしょう。
>個性に関係する教育は、幼児期から少なくとも大学入試まで、全課程で重要な要素となり、それが現状打開の1つの方向性なのかもしれません。
まあ、そういうことなんですけどね。
ご理解いただきましてありがとうございます。






























