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私立中学の価値 2校め

【2043250】
スレッド作成者: ようこそ!書き込み歓迎 (ID:4Xzxz71IPe2)
2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

【2312808】 投稿者: 地域、時代   (ID:9hn/sa0y1qc)
投稿日時:2011年 11月 01日 08:57

個性でなくて、「個体」としての他人との大きな差=身体的特徴、ってありますよね。。。
背の高い低い、顔の可愛さ綺麗さ、運動能力の高い低い。少し病気がちであるか、風邪ひとつひかない体であるか、、などなど。

私は子供達は集団生活をする中で、自分のその「個体としての特徴」も知っていくのだと思います。
私なんかは、、実は、学校生活って個性うんぬんの前に、この「個体としての特徴」の方を、子供達はまず自覚し始めるような気がするんですよね。
大人の会話での、アンタッチャブルゾーン。
しかし、子供達は小学校時代、中学校時代、この部分に非常に傷つき、傷つけられているのではないかな、、と私などは思っております。

そして、この「個体としての特徴」は「精神的な個性の部分」も大きく左右する。
そんな風に私は思っています。

【2312814】 投稿者: 地域、時代   (ID:9hn/sa0y1qc)
投稿日時:2011年 11月 01日 09:06

最後に、「社会的価値」は他人から認められるものだと私は思っていますが、社会的価値のない人など世の中に一人も存在しないと思っております。
親父さんのいう、社会的貢献。
これは、私は赤ちゃんでもやっている、と思っておりますので。

【2312864】 投稿者: 信頼感   (ID:LXTwhB0V4Ss)
投稿日時:2011年 11月 01日 10:11

>「人を殺すことが、喜びである」というのは、「個性」というより「異常」または「病気」ではないでしょうか。「個性」も「異常」も単なる「違い」ではなく、そこに人間の価値判断が加わっている。価値が高いもの、優れたものを「個性」と呼ぶのが普通でしょう。反社会的な「違い」が、「賞賛」されないというのは当然のことでしょうが。 (根本的様)

同感です。個性とは、社会的善の人格と必要悪を許容する人格からなっていると思われます。この必要悪を許容する人格が肥大化しすぎると社会的善の人格が自己否定(抑圧による)を引き起こします。その際、自己否定は、生命の危機(自殺)に向かう可能性があり、自己否定ではなく社会を否定することで解決を図ろうとします。これが反社会的考えの初期段階と思われます。

>言動や「非常識」や「ちょっとおかしな人」ではあるけれども、 ある程度社会がそれを「容認」したとしても、 それとは別に、その「非常識のライン」とは別に、 人間の価値判断で。価値が高いもの、優れたものを、社会に提供する「個性」があるから。 (適正様)

「非常識」ということも行為をしている本人にとって意識の「ある」、「なし」で意味合いが大きく異なります。「ある」場合、非常識行為を認識しつつ、他のアプローチを試みていることもあるでしょうし、「ない」場合は、社会的模範行動という認識(感覚)を参照することすらできない方だっておられます。

>※ロックは、反社会的音楽ってことになってますけど、たいして、反社会的でもないですよ。(適正様)

こういうことを「反社会的」とは、いいません。反社会的行動の原因は、抑圧による自己否定をさける為のやむ終えない心の安全装置だと思っています。

>この場合の「しら」をつき通す子が「守っているもの」は、親でも、友達でもない、自分。だって、目の前の友人を、平然と、嘘つきと主張したらしいからね。 (適正様)

この子は、親からも友達からも「守られた」経験を得ていないのでしょう。なぜ「損」と感じるか、なぜ「裏切り」を選択するのか、守られた、安心感、信頼感があったならこのような行動をとるでしょうか?子供の「しら」には、情状酌量する部分が多々あります。
この子の行動は、人生の一こま、そこに至判断には、養育者、友人関係の負の蓄積があったはずです。大人は別の話ですけど...。

>幼児の中には、お友達を咬む子って結構いますよね。
また、自分のおもちゃが欲しい時、相手を突き飛ばしても、ひっぱたいてもそれを我がものにしたい子もいる。 それも、個性なのですよ。(地域、時代様)

もし、これを反社会的行動の芽と感じられているとしたら、それは違うと思います。
この行動は、自分のものと認識したものを守る意味合いですから、そこに抑圧はありません。守るものべきものを自ら守ったわけですから、むしろ達成感があります。守れなかった場合、それを受け入れられたら大丈夫ですが、受け入れられなければ、抑圧から、先生や相手の子に責任転嫁します。これが反社会的行動の芽だと感じています。このようなロジックが確立され大人になってしまうと危険思想となりかねないと思っています。

【2312897】 投稿者: 具体的にどういうこと?   (ID:WtXmjmSPdOw)
投稿日時:2011年 11月 01日 10:47

個性を伸ばすとかないがしろにするって具体的にどういうこと?

とっても難しい言葉を使って抽象的に文章で長々と書かれている方がいますが、抽象化できるということは自分自身、子供等で具体的に経験した事実ががあるわけでしょう(具体的事実がないのに抽象的な文章を書いていたらただの言葉遊びです)。

国語、算数、理科、社会、体育、図工、音楽、ホームルームの時間やその他生活指導等のなかで経験した具体的事実を例にとって説明できますか?


30年以上前の話ですが、私が小学校5年生のとき、夏休みの自由研究で「心霊写真」の研究発表した友達がいました。神社やお墓で撮った写真を模造紙に張り付けて、"ここに霊が見えます"なんてインチキな発表をしてました。クラスは大うけでした。このインチキ自由研究対して担任の先生も笑って見てるだけで、特にお咎めはありませんでした。
これは、個性を伸ばす教育ですか?
私は単純に先生が大らかだっただけだと思います。


抽象的な文章のやりとりだけでコミニュケーションができる方って、とてお天才的な頭脳の持ち主でかつ具体的な経験をたくさんお持ちの方なんですかね。私のまわりにはそんな天才的で具体的な経験を持っている人はいません。みんな抽象化⇔具体を何度も往復して理解の齟齬を減らしていってます。

【2313063】 投稿者: 根本的   (ID:feby7YDNQDI)
投稿日時:2011年 11月 01日 13:55

適性さん


>一般社会の、大多数の人は、本当の個性(社会的価値が凄い)なんてないわけですから、


 これも決めつけ過ぎではないの?このスレだって、個性的なひとは一杯いるじゃない?ただ単に「違う」っていうだけじゃなくてさ。だから、おもしろいわけでしょ。そりゃあ、「標準」の人からみると、ちょっとね?なんて思われるような、ストーカーやクレーマーみたいな人もいれば、「スルー名人」もいるけど。ストーカーやスルーは、それ自体が個性じゃないだろうけど、そういう変わった人には、別のところにおもしろい「本当の個性」があったりするわけで、だから、私なんかは大概「容認」しているんですけどね。でも、やっぱり「賞賛」はしませんよね。


>社会というのは、共通性で成り立っているということで、生きているのでしょ。だって、「標準」の人達ですから。普通の教育は、やはり「標準」をターゲットにするのです。


 「共通性」と「違い」と、両方で成り立っているということです。当然、「違い」は「反社会的行為」の原因となりうる。だから、「標準」からある一定の範囲に「枠」を設ける必要はありますよ。でも、日本の「枠」は狭すぎないかってこと。「許す」範囲が狭すぎる。「許さない」範囲が広すぎる。しかも、その「枠」=境界がはっきりしない。さらに、「許されない」行為に対するペナルティが甘い。だから、「変わり者」にとっては居心地が悪い。「個性」を重視するためには、「許される」範囲を拡げると同時に、「許されない」「反社会的行為」に対しては厳罰で臨む姿勢が必要なんです。「自由主義」って、そういうもんでしょう?


 抽象論ですが、私のクレーマー、ストーカー対応策とはそんなところです。

 

【2313067】 投稿者: シルバースプーン   (ID:e3U6Z37RQLU)
投稿日時:2011年 11月 01日 13:57

まず「枠」か、まず「個性」か、で言えば
まず「個性」ではないでしょうか。

枠を可能な限りとっぱらうことが個性を伸ばす教育であり、
枠は後からでも身につくものだと思うので。

好きなことを好きなだけやらせるモンテッソーリ幼児教育もそうだし、
「バカをつくる学校」の著者なんて、小学校におけるチャイムも批判している。

「個性」と「集団秩序」、
どちらも大事だから初めから並行して教えるのではなくて。
子どもの発達段階に合わせて、
全面的に「個性」を認めることから、徐々に「集団秩序」を教えたほうがいい
というのが私の考えです。

強い少年サッカーチームの指導者は、幼少期にチームプレーを教えません。
ゴール前でシュートできるのにパスしたら、ゴールが決まってもダメ出し。
たいてい、チームプレーを教えるチームにこてんぱんに負けるんだけど、平気な顔。
でもある段階で逆転するんです。小学校5年生くらいからかな。
好きなようにやらせてもらってきた子たちが
自分らでチームプレーを考え始めるんですね。こうなると強いです。
一方、幼少期にチームプレーを教えられた子たちは、
年齢とともに伸び悩んでいく…。

もちろん、すべてがそうだと言い切れませんが、
個性を伸ばすにはゴールデンエイジを逃してはいけない
という証のひとつかと思います。

【2313090】 投稿者: 根本的   (ID:feby7YDNQDI)
投稿日時:2011年 11月 01日 14:30

地域、時代さん


>「社会的価値」これは、自分が決めるものではない、と私は思っています。
>社会的価値は、「他人から認められるもの」だと私は思っております。


 これは私もそう思います。


>>養老さんも言っていたが、芸事の場合、真似しても、真似しても、どうしても、違ってしまう、その部分がほんとの「個性」である。

>そのものズバリ。その通りかと。

>私は「個性なんぞ、持ってる者は勝手に伸ばす。親がやらなければいけない事は、枠組にはめる事」 本気でそう考えてうちの子を育てました。


 これはある意味で真理です。でも、半面の真理だと私は思います。


>ギリギリのラインの見極めは、「正しい表現、正しい手法、正しいノウハウ」を知った上で。「あえて」(強調)「私はそこの部分を崩していますよ」と、そこに本人の自覚がナイとギリギリのラインは出せない。オリジナリティーは出てこない。芸事に関しては、私はそのように思っています。


 古典芸能、伝統芸能のようなものでは、ここはより強調されてしかるべきでしょう。学問の世界でも、まづは過去の正統的な考え方をしっかりとマスターすることが必要である、これは言うまでもないこと。でも、同時に、異端の考え方に対してもできるだけ寛容でなければならない。少なくとも、学問の世界では、そこも強調されなければならない。正統と異端、まづは正統から、いいですよ。でも、いつから、どれだけ、異端を?ここは分野による違いがあるところではないでしょうか?

【2313101】 投稿者: 根本的   (ID:feby7YDNQDI)
投稿日時:2011年 11月 01日 14:41

>まず「枠」か、まず「個性」か、で言えば  まず「個性」ではないでしょうか。
>個性を伸ばすにはゴールデンエイジを逃してはいけないという証のひとつかと思います。


 いやあ、おもしろいですね。よもや、シルバースプーンさんが、個性について、私に近いお考え?適性さんや地域、時代さんと対立して?なにが起こるかわかりませんね、このスレも。いやあ、おもしろい。おもしろい。やっぱり、みなさん個性的だ。

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