アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
>躾に関しても、最初の躾に問題があると小学生になってからもいろいろな躾をしなければならなくなります。
しかし、そもそも最初の躾の段階で父性を拒んだ子供たちは、小学生に成っても拒み続けます。父性を連続して行えば、それは強制禁止であり、我慢して受け入れることはあっても理解することはないと思います。(信頼感さん)
そうですね・・無理に強制しても意味がない。
ただ、そういった強制拒否の感覚もあまりにも強すぎると
アメリカのリバタリアニズムなんかでは、
パターナリズム(父親的温情主義、家父長主義)→シートベルト着用法
のような法案を拒否するらしい。
さすがにそこまでいくと やり過ぎ という感じもします。
適性さんももう無常感さんに呼びかけたり反論書いたりするのはやめたらいかがでしょうか?
相手が無視するのは「自分のせいなのか」と考えていませんか? 潔癖ですね適性さんも。相手には相手の事情があってやっていることでしょう。
松井秀樹が「自分のコントロールが効かないことには拘泥しない」と言っていましたがこれは真理だと思いますよ。
適性さんがいくら何かを言っても暖簾に腕押しなのですから……気持ちを切り替えて「所詮は縁なき人」ぐらいに考えていたら。
私は適性さんにエールを送る意味で無常感さんとの会話はやめました。適性さんも詮無きことはしないで今までの連中と楽しくわいわいやりましょう。
企業人さん、量的さん、老眼さん、根本的さん、地域、時代さん、シルバースプーンさん未来さん、弱点さん、そうそう視点さんもいますよ。あなたが会話する相手には事欠かないでしょう。
適性さん、
考えはまったく同意しています。
個性という言葉の使い方には、少なくとも2種類以上あって、小学校における個性をいかした教育、なんて言っているのは、「個性=多様な素質、様々なレベル」くらいの意味でしょう。ケアはするがそれ以上のことは入らないと思っています。幼稚園・小学校の教育で、自立学習を目指すことは必要なく、(できてしまうのはそれはそれとして)、集団の中で置いておいて、自分のわがままが際限なく通らないという「分」を知る、うまく折り合いをつけてやってくるという経験。
一方、中高の教育で、個性の確立、などという方は、文字通り教育でレベルを上げていっても、どうしても残ってくる性質です。こちらは、
未分化の人間の教育では、よけいなことをせず、中高以降で、それこそ守・破・離なのだと思いますが、いかがでしょうか。
私立教育の良いところは、授業の休みが多いことです。知られているかどうか、わかりませんが、
レベルが低い生徒を教育しなければならない学校ほど、調整や道徳の時間に時間を割かねばならないし、勉強だけでは、緊張の糸が切れてしまうので、必然として、主要教科の時間数を制限せことになっているような気がします。できる子は、時間数を増やして行っても大丈夫ですが。
それから、わたしは、個別の教育は必要な生徒にだけすることで良いと思います。
仮に、働き蜂と女王蜂の違いが遺伝子の違いでないように、人間についても後から与えた栄養や教育でなんとかなるとしても、全員が学者になったり、小説家になったりスポーツ選手になることはないので、親が選択肢をや可能性を明確に示して上げれば良いと思います。
あとは、親が考えるよりも、自力で育つと思います。ピアニストにもならないのに長時間苦痛なレッスンを受けさせるのも親の趣味が過ぎますし、学習面の適性のない子に、受験を強いたり、水泳の苦手な子にスイミングスクールを強制したりすれば、効果が無いどころか、マイナスの教育ではないでしょうか。
<適性さんwrote>
私は「個性教育」はいいけど、「個性」を身につけさせたいから、子どもを、とにかく「自由」にさせるというのはどうにも短絡的な感じがしてしまう。
たぶん「現状」では、とんでもなく(言葉をそのまま受け取って)我侭になるか・・・何もできずに固まるか・・・・
(一人ですることが好きな子は、本よんだり、絵を描いたりするのだろうけど。)
(集団でなにかするなら、ルールは発生するしね)
結局は、放課後の遊びの時間に、数人があつまって、だらだらした状態に似たものになるのではないかな。
それを、「学校の教育」とするのか?ということです。
家に帰って、好きなことすれば・・・と、どう違うのか?遊びとどう違うのか?
遊びは、だれでもしますからね。
好きなことをする「幼児」教育は、たぶん、そのフォロー(その子の興味の引きそうなもの、継続的に、必要な時に、上手に用意)しているのだろうと思います。たくさんの知育玩具も用意されたり。
そこで、没頭することが可能になっているわけです。没頭するとは、集中力ですよね。
それは、大切なことです。当然、意欲につながりますからね。
そうであるなら・・
さて、小学校、中学校で、どのようなフォローが可能なんでしょうか。
発想としては、その延長なんでしょうが。
以前書いた『守・破・離』のことを書いたのは、基本、芸事だけど。
幼稚園って何を学んだ記憶がありますか?
・・わたしの最古の考えた記憶は、幼稚園の年中さんのころ、ときおりS君はお父さんが外車で迎えにきていました。如何に友達のお父さんが運転してきている外車、たぶんキャデラックかビュイックにのせてもらって、自分の最寄りの駅まで送ってもらうか考えた記憶です。友人といってもそれほど特別に親しくは無かった、普通の園児同士の間柄ですが、迎えに来て貰うときにどうすれば良いかを、園児なりに考えていた記憶です。結局、その子、と話で盛り上がって、「君はどこに住んでいるの?」とお父さんが聞いてくれて、一緒に乗っていかないか、と誘っていただいたので、乗れたのですが、助手席に載せてもらって、とても嬉しかった記憶があります。
・・話変わって、小学校5-6年生頃の記憶ですが、家族で奥日光の会社の保養所に旅行に行って、風水害かなにかで帰りの公営バスが運行しない、というアナウンスが流れて辺り騒然としていました。父は、予約した特急電車には、とうてい間に合わない、だろうと顔で言っていました。父はとても仕事が忙しいころで、家族旅行も滅多に出来ない頃のことです。
わたしは、ちょうど今しがた、下から登ってきていたジープに注目していました。ジープは結構20-30mと離れた所に止まっていました。50-60位の男の人が一人で坂を車で登ってきていましたが、止めて、Uターンをして、他の大人の人と降りて話をしていました。
わたしは、家族から離れて、その人の所にまっすぐ行き、すこし彼らの話の様子をうかがってから、おじさんは、麓に戻るのか、またもっと上に行くのかを聞きました。というのは、Uターンをして止めたので、麓に降りるだろうなと思っていたからです。
そこで、予想通りに、「下に戻るけど」、との答えを聞くと、実は家族、父は仕事もあり早く帰らなければならないのだけれどバスが止まって本当に困っています。途中まで乗せてもらえないでしょうか、と頼んでみました。すると、思ったより早く、しかも予想外の答えの「うん、いいよ、何人?」とやさしく言ってくれたので、「早く、早く」と家族を手招きして、4名で載せてもらって坂を降りて結局、駅までかなり短い時間で送って貰いました。途中の道では、バルを末人々の混乱などが多く見られていました。ジープに乗せて貰うことも初めてですし、くねくねした坂を結構なスピードで飛ばされたので、少々ふらふらになりながら駅に着きました。
駅に着いたところ、電車のダイヤも大きく乱れていて、予定した特急は多分、乗れなかったのだと思います。どうしようかと父母が二人で話していたので、一番早い特急に乗るべきだ、と言って、真っ先に切符も買わずに乗り込んで後で精算しようと言ったのを覚えています。帰ってきて、父からそれらの話しを聞いた祖父に、とても褒められたので記憶に残っている、ほのぼのとしたエピソードです。でも、今、仕事をしている中で、そういう気づきがなかった人(大人)を見るときに、「おやっ」ということで、ちょっと思い出した記憶です。
以上は、何というのこともないエピソードですが、じつは自分の中では、これらの2つの記憶は、幼稚園・小学校の忘れがたい記憶で、しかもとても記憶としては近いものです。幼稚園のころのよりハードルの低い経験(教育)が活かされたのではなかろうか、と秘かに思っているところです。(続きます)






























