充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
未来さん、
「梅身」は失礼しました。「受け身」です。どうもすみません。
ところで、・・・歴史、・・・確かにそういう意識もあり書きました。
ラテンアメリカで世界歴史でも類を見ない、傍若無人な侵略を当時のスペイン、ポルトガルに許したのは、
ラテンアメリカ側のレスポンスもあいまってのことでしょう。
同じ時代の日本の統治者のリアクションは違っていました。
歴史に学ぶことは重要で、歴史的に見れる人が必要ですね。
地域・時代山河紹介してくれました、Inside Jobは
こどもとも見ています。
<未来さん>
そうやって相手の態度をみながらこちらも態度を決めていくような
ある意味タフじゃないと海外の方を相手に仕事など
できないのでしょうね。
そこで量的さんの 歴史が発揮されるのですね。
量的さん
素直に梅身ともいうんだ~と受け取りました。
量的さんの普段のコメントから
勉強させて頂いている身として
>ラテンアメリカ側のレスポンスもあいまってのことでしょう。
同じ時代の日本の統治者のリアクションは違っていました。
日本の統治者のリアクションというのは
わかっても
ラテンアメリカまでおよびませんでした 。
ちょっと考えてみます。
インサイドジョブ
ユーチューブで予告編を見ました。
金融危機がからんだものでしょうか。
アメリカは、金をころがして金を得た富豪が沢山いますね。
私は、職人大好きな人間でして、
いいものを売ってお金を儲けるという生き方が好きです。
けれど、日本の昔の武士みたいに
赤貧を恥ずかしとせずみたいに生きると
どんどん飲み込まれるので
是非若い人たちに金のからくり金融工学などを学びながらも
したたかに日本の製造業などを守って欲しいと思うのですけど。
>インサイドジョブ
作品は見てませんが、あらすじだけ読みました。
リーマンショックの真実ということですね。
私も金融なので、ひとごとではありませんでした。
まあ、一義的にはアメリカの暴走であり、バブル経済の後始末をしていた日本の金融機関は、
直接、債券をもっていなかった(損切りしなくで済んだ)という意味では、比較的にキズは浅かったのですが、
あまりにも世界的な問題だったので、決算にすぐ影響が出ました。
この映画が言いたいのは、レーガン政権以降の、ネオリベラリストが規制緩和を進めた結果、
複雑な金融工学が生んだ、政府、金融、学者、格付会社のもたれあい、無責任体制ということかと。
ババ抜きで、最後のカードを住宅ローン利用者が抜き破綻した。
そして得したのは、上記の大勢の関係者だったというあらすじなのかな・・と。
ネオリベラリスト・・規制緩和も、ここまでいくと問題ですね。
根本的さんに、どう思われますか。
無常感さん
>政府、金融、学者、格付会社のもたれあい、無責任体制ということかと。
そうですよね。
最終的に、損をする人は予測されていて
得巨大な利益を得ている層は、それに関係なく
今も力を持っている
ただ、今のドル暴落(これは円高ではなく世界の貨幣が落ちているだけ
スイス以外と考えています)
見ているとこの方々もちょっと焦っているかもと思っているのですが
(アメリカで巨額の富を得ている1%の人々)
どうなんでしょう。富豪はアメリカから手を引いている状況かな。
つけを一般の日本国民がみるという構図はやめてほしいです。
ババ抜くのは、真面目に大金とは関係ない
普通の国民というのはいただけない。
未来さん、
1520-1600年までの日本の戦国時代のありようは、大航海時代の世界史とのコントラストで極めて重要な点があるということです。
・・・朝、少し時間あったので、以下まったりと補足で書きます。
歴史にご興味ない方も多いと思いますので、どうぞスルーしてください。
例えば、世界史B教科書を見ると、ラテンアメリカの部分は平板に書いてあります(*) また、大人の視点では、カトリックの信者ならば、この詳細な歴史の部分は、理解がデリケートな部分でしょうか。
この例を敢えて書いたのは、大航海時代にからほどない、1543年に鉄砲が伝来して本能寺で斃れるまでの間で、例えば信長がスペイン人やポルトガル人から学んで、つかんでいたはずの世界の動向からでてくる論点です。
信長は、単に欧州や西域の文物をみたりブリーフィングを受けただけではなく、経済、政治、武力、宗教といったものの全体を、とことん納得いくまで全体で理解しようとしたことを含むモノで有る点。自分の頭で理解しようとした点です。当時、学者や僧侶で理解出来ていた人はいないでしょうから、自分自身でした、と思います。(→非常に重要で、現代の立ち位置でもも学ぶことが大いにあると思います。)
宗教、経済(金融・社会インフラ)、政治(中央集権と分権)、政治権力の継承、技術、文化、科学・・それぞれにとことん問いかけをしたはずです。だから理解出来た。そして、それらの理解をしつつ、彼が自分の施策としてできることできないことを、判断していた可能性が極めて高く、それが、その後、そして今日の日本の、対外関係や国家目標を、世界で類のないものとし、独特のあり方を形作ってきたこと、これはひとつの理解に過ぎないかもしれませんが、こどもには伝えたい歴史の見方の例です。
乱文失礼しました。
(*)
コルテスのインカ帝国征服(1521年)、ピサロのアステカ帝国征服(1533年)、エンコミエンダ制の導入、奴隷化の禁止→アフリカの奴隷の大量流入 ポトシ銀山の銀を中心とする貿易といったことが、極めて散文的・断片的に書いてあります。これだけ学んでもちっとも面白くないものです。高校生にとっては、ビザンツ帝国に対する西ヨーロッパ中世の社会のありよう、<教皇、各地の地方権力、より大きな世俗権力(やがては国になるが、当時は神聖ローマ帝国中心のせめぎ合い>とレコンキスタでイベリア半島をイスラムから奪還する歴史とスペイン・ポルトガルでの強力な王権と経済力が下敷き、から理解していくべきところなのは言うまでもありません。
>日本の統治者のリアクションというのは
わかっても ラテンアメリカまでおよびませんでした 。
ちょっと考えてみます。
適性さん
>私は「共通性」は『なんでも』同じ行動しろとか、同じ考えにしろ、ってわけじゃないよ。
>「共通性」はロボットのように、個体差を無くすことではない。(それは無理。)
そりゃわかってます。 当然です。
>人間は、もともと、個体差があるし、学習することで、社会を認知するから、教育として、「その社会が成立するために必要な」最低限必要な「共通性」が必要なんでしょ。
必要でしょう。
>「個性的」な人かもしれないから・・「その社会が成立するために必要な」最低限必要な「共通性」を無視してもお咎め「なし」でどう? ってことだろうが・・・・・お咎め「あり」でいいんじゃない?そんなことで、個性がダメになるとも思えない。
違う違う。「最低限必要な共通性を無視」なら、お咎め「あり」でいいですよ。
>それに、現実的に、自分が直接ストカーや、クレーマーに対応しても、面白いから「容認」するほど、根本的さんも心がひろいわけでもないでしょ。(広かったら、ごめんね。)
自分がされたら「容認」する範囲は狭くなるでしょう。でも、無常感さんがストーカーだとは思わないし、あのくらいのスルーは「容認」しますよ、きっと。私なら。
>個性教育「一本やり」はどうかなー。
「一本やり」じゃないって。「共通性」も必要だって書いてますよー。
>じゃあ、最低限必要な「共通性」ってなんだよ。ってことになるけど。
>ほんとは、法律の問題でもない。規則でもない。
いや、そこはやっぱり「規則」です。
>『各自』が、自分の発言や行動が、どこに、誰に、どう影響するのかしないのか、迷惑がかかるのか、責任はとれるのか・・・ということを「考えろ」それが、『各自』の見えない最低限必要な「共通性」ということでしょ。
>でも、それは「社会や他人を理解しようとしない」「他人の痛みに興味のない」個性には、無理な話でしょ。
「規則」で縛れば、考えますよ。
>たぶん『自律性』の問題だからね。
「自律性」は大事ですが「規則」も必要です。
>校則のない学校も、もし、学校が、どんどん荒れて、制御がきかなくなったら、やっぱり『校則』作るだろうね。『校則』破ったら停学、退学ってね。
そうでしょう?クレーマーやストーカー対応は、断固とした対応をする用意があるということを示さなければダメだと思いますよ。日本はそこも欠けているんです。反社会的行為をする人間は断固として排除していいんです。社会で言えば、警察力。国家で言えば、軍事力。欠けているでしょう?断固とした措置、これが嫌だから、最初から「共通性」「一本やり」で行こうとするんじゃないかな?日本的パターナリズム、ですね。
無常感さん
>ざっと思い浮かぶ論点が2つあるのですね。
>・・このあたりの根本的さんのご意見は、いかがでしょうか。
>① 個性として「優れたもの」とジャッジメント(評価)するのは誰か
それは、自分がする場合も、他人がする場合もあるのではないでしょうか?
>②「優れたもの」の解釈に幅があることも、「個性」ではないのか
それはまあ、解釈の違いが、解釈する人の「個性」によるという場合もあるでしょう。
これらの論点の重要性があまりよくわかりませんが。
>根本的さんのおっしゃっている「リバタリアニズム」は、「ネオリベラリズム」ですね。
>経済学的には、
>古典派【功利主義】 → ケインズ経済学【リベラリズム】 → 新古典派総合【ネオリベラリズム】→ ?
また新しい分類ですか?私は「リバタリアニズム」=「ネオリベラリズム」と考えておりました。名前は違うけど、内容は同じと。違いましたか?「ネオリアリズム」というのは、それまでの「リベラリズム」が、弱者優先の左翼臭がこびりついた言葉になってしまったために、「強い自由」を求める人たちが、もう一度、「古典派」=オールドリベラリズム=アダムスミスの「神の見えざる手」 という「強い自由」の原点に戻ろうと考えてつけた名前でしょう?だからこそ「新古典派」なんですよね?私はその派です。
>おっしゃるとおり、単なる「リベラリズム」では克服できません。
>しかし、同様に「ネオリベラリズム」に戻るのもどうか・・
いやいや、アメリカは「ネオリベラリズム」に戻れなどと主張するつもりはありませんよ。行き過ぎたんでしょうからね。でも、日本には、その要素が必要だろうと主張しております。足りないんでしょうから。ですからね、TPPもね、賛成ですよ、私は。
>>「標準」のひとたちが「共通性」をもってやっていることが、 「反社会的」になることだってあるでしょう。
>端的に 「いじめ」 の問題がそうですね。
これはおっしゃる通りです。まさにその問題です。






























