アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
旧制高校でのどたばた。
面白かったです。
「下界からもたらされる危機は、逆に個人を安全にもするものだ。~生ぬるい平和の中にあって、我々は自己を攻撃しだすものなのだ」
よく言われる話ですが、私は人間とはそういったものなのではないかな、、と思う事が多いです。
私自身、爆走していた時代は、何か得体のわからぬ恐怖心に襲われ、その場にじっとしていると、その恐怖に飲み込まれそうになる。
だから、逃れるように仕事に没頭し、スケジュールで自分自身をがんじがらめにする事で心の安定を保っていた時期がありましたし。。
また、
「独断というものはいかにあやまちに満ち満ちているようでも、その時々の個人の体臭だけはする。」
「強引な分類方法を用いれば、人間には2つの進み方があるようだ。
一つは社会的な広い視野から自己を形成していくタイプで、一つは自分一己の個人的立場から出発するタイプである。
もし幸いに両者がある程度の賢明さをもち、相当の寿命を生きられるなら、この両者はいずれは合一するであろう。」
と。
なるほどな~、、と、北さんは自分は後者だとおっしゃっている。
私もおそらく後者だと思います。
精神科という人の心を扱い、また自らも己の心に翻弄される氏から発せられる言葉は重い。
そう感じました。
話は変わって。
私の大学にも、高校時代から寮や高校生専用のアパート暮らしをしていた友人がおりました。
女の子でも、田舎の進学校となると、通学が不便だったりして、16歳から親元を離れて生活とか、って私の時代もあったようです。
彼女は面白かったですね。
早く親元を離れているせいか、独特の考え方を持っていて、心の中はおっさん?(笑)、いえ、男性で♪
一人暮らし初心者の私に、炊事の手抜きの方法や一人暮らしのテクニックなどなど、彼女から色々教えて貰いました。
彼女もまた、早くから親元を離れ、仲間との共通体験を通して自己を確立していった人なんだろうな、と、どくとる~を読んで強くたくましい大学時代の友人を思い出しました。
動機様、素敵な本を教えて下さり、本当にありがとうございました<(_ _)>
>仰る通り教育以前のこと....文科省も見て見ぬ振り、養育者も自由という免罪符で放置、教育で扱わないとするならば、どうしましょう........
・・・とするならば,
やがて,
お勉強ができ法学部を出て一部上場企業の幹部職に就いてもその社会的責任を全うできないどころか,国民を裏切ることを何とも思わないような人間が増えるでしょう(たとえば,原発事故に関して国民に説明する立場でありながらも,その言動には最後まで信頼性を感じることができなかったばかりではなく,信じがたいことに,この国家的危機状況にもかかわらず,あの時期に不埒極まりないことを陰でしていたという人物)
彼の場合,注意のみでチャンチャンなんて信じがたい・・
国も会社も誰も断固としたけじめを示さない。
というか,国政を担う人たちもけじめはないし,
あの会社自体も自らのけじめをつける能はなさそうだし,
そもそも,きちんとけじめをつけられる大人っていうのはそうたくさんはいないのでしょうね。
大人社会のあまりのけじめの無さ・・
声に出すか出さないかの違い(わたしは超短気で自分に優しく他人に厳しいという極めて悪い性格なので,平気で書きますけど)だけで,
誰だって,うんざりしてるんじゃないでしょうか?
だから,子供たちをきちんと育てなければいけない。
で,
>教育で扱わないとするならば、どうしましょう
教育で扱うしかないでしょう。
ここを外したら,おしまいです。
未来さん
>一応科学は進歩している
>先陣の知識の上に受け継ぐからでしょうか。
科学などは知識をそのまま受け取ることができるので、
どんどん進むことができるのでしょうね。
今や無人爆撃機ですよ。
もう心が追いつけない状態になってしまっているように思います。
生の声によってなら多少思いを伝えられると思うのですが、
文字ではちょっと弱まる。
それを見聞きした人が、誰かに伝えても、もっと弱まる。
何でしょう。やはり説得力が違うんでしょうね。伝達の限界を感じます。
先日ある作家の方が「心は言葉で表せない」と言われていました。
実際に心を説明していない作品が、名作として長年読み継がれているそうです。
さすがいい表現をされるな~と感心しました。
本人すら言葉で表せないもの。そのとおりだなと思いました。
弱点さん
科学はどんどん進んでいますよね。
たしか、どこかで日本のナビシステム応用で
遠隔ミサイルを確実にしたと読んだ記憶があります。
科学を使って戦争の道具にもしているわけです
愚かしい。。
いまどきは、ウイルスだっていろいろありそうですよね。
たとえばその心の教育をどのように子どもにしていくかですよね。
自分の利益だけ自分を守るために
国民を裏切る大人にならないために。
>根っこは、幼児期の躾の遅れに始まり、「枠」でしか子供たちを評価しない自律性を蔑ろにした養育環境だと思うのです。
可能性ありますね。
では,その躾の遅れる理由は何でしょう。
親が躾を知らない,できない,余裕が無い,でしょうか。
では,その理由は何でしょう。
核家族化,親がいない,経済的な余裕が無い,親が遊びまくっている,でしょうか。
では,それが続いている理由は何でしょう。
給与が安い,仕事が無い,やる気が無い/どうしていいかわからない,誰からも注意されない/教えてもらえない,無償でリスクを負って赤の他人を何とかしようと考える人はほとんどいない,でしょうか。
では,その理由は何でしょう。
個々人の問題としては自立・自律などの教育の欠如,集団(共同体)の問題としては互いに徹底的に共通認識しなければならないはずの部分(適性さんや未来さんが似たニュアンスの話をされてますが)の教育の欠如,経済雇用環境の悪い状態が続いている,でしょうか。
では,その理由は何でしょう。
国が断固とした態度をとらない(根本的さんが似たニュアンスの話をされてますが)から,でしょうか。
というように,躾も養育環境も各家庭の問題のみではないと思います。
いじめをする子供が悪いのではなく,その子にいじめをさせてしまった,社会の姿やわれわれ大人全体が悪いのだ,とわたしは思います。
>既に、幼児期からボタンの掛け違いが始まっているのに、そのボタンを一旦外し、掛け直そうとしない。
掛け違ったボタンの位置を眺めながら、服を引っ張って、掛け違っていないように見せようとしているだけ....私にはそう見えます。
的を得てますね。
>極論すると、自律性が育まれていれば、イジメは極端に減るでしょう。
イジメの根っこは、幼児期、学童期の母性不足、理不尽な父性などによる信頼感の欠如→自律性の希薄が基盤となり、学童期、青年期での心の傷が投影という責任転嫁に発展することで引き起こされると思っています。
自律性で,ある程度減るでしょうが,上に書いたおおもとの背景が残存する限り,目に見える変化は期待できないように思います。信頼感さんも,文にしてないだけで,同じような考えでしょ?と,勝手に思い込んでますけど。
個人で教育できること,範囲は当然限られますから,
その範囲で,やれることはやって,
あとは,ん~,と唸るしかないんですけどね。






























