充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
大人全体が悪いのだ
・・これはずいぶん前に,福の神さんやこんな意見もさんも言ってましたよ。
信頼感さんもご存知でしょ。
て言うか,ここのひとたちはたぶんそれが全員に共通した認識なんじゃないでしょうか・・と,都合よく思い込んでますが。
ROM専含めて違う方はご教示ください!
無ければ・・思い込みではないということで。
老眼さん
>いじめをする子供が悪いのではなく,その子にいじめをさせてしまった,社会の姿やわれわれ大人全体が悪いのだ,とわたしは思います。
そうです。社会が悪いのです。
これは他人のせいにするとかいう
ことではないですね。
社会は我々ひとりひとりが作っているのですよね。
要するに他人のお子さんだけれども社会の輪の中の一員という
認識をいかにできるか。
老眼さんがペテン師な訳ないでしょう。
それは絶対にないです。
私はいい人ではないですけども。
>社会は我々ひとりひとりが作っているのですよね。
要するに他人のお子さんだけれども社会の輪の中の一員という
認識をいかにできるか。
そう。まさにこれを徹底的に教育しなけらばならない,と思う。
理屈じゃなく,あ~そうなんだ!と肌で感じることができるように。
それは,知識でもなければ,知恵でもない。
ん~,なんだかわからないけど,呼称はどうでもいい,とにかく,これが大事。
そして大人社会はこれを潰してはならない。
いじめとは異質なモノの排除ですから、頭で考えて、善悪など決められないことがあります。また、生物の集団のありようとしていじめになることもあると思います。
例えば、狭い金魚鉢で沢山の魚を飼うと縄張り争いで弱い魚は犠牲になりやすい。
ここで、ころした金魚が「悪」で、殺された金魚が「善」であることがないように、いじめた人間が「悪」で、いじめられた人間は「善」というようなレッテル張りはできないものです。小学生のわたしをいじめた子が、「悪」でいじめられたわたしが「善」ではない。いじめられたわたしにも、それ相応の理由があるし、
いじめた子供にもそれ相応の理由がある。(*)
それを人間あるいはもっと根源的には、一部分、
生き物としてのありようとして、まずは受け入れなければならない。
それは知恵だと思います。
社会のせいで「悪」になったわけではないのです。
むしろ、今、目の前にいる人間は、強弱含めて、いじめられることもいじめることもあり、
それはさまざま知られざるバックグランドも含めて、環境次第だと知ることでしょう。
気づきがあれば、はじめて相手をしっかり同じ目線でみることを学ぶことができて、
付き合い方を学ぶ。タフな交渉相手とも心を通わせることができる。
これが外国人などと愉しく同じ目線で仕事する第一歩で、
そのための教育で必要なものが幼児・小学生の時にもすでに確実にある。
しかし、教育環境を「緩くする」だけで、いじめの環境を排除することだけでは
真の学びでもなく、真の教育でもなく、人を育てることでもありません。
だから、簡単ではないのですね。
今、わたしは当時いじめた子供とも普通に付き合っています。
もともと善も悪もないからです。
通用しない大人をつくるだけだと思います。
意見の違う人がいるのは当然と思いますが、
わたしはそのように考えます。
(*)目を背けて、善悪でカタを付けるのには、人間への尊敬の念が掛けていると思うので反対です。
量的さん
コメントをありがとうございました。
>例えば、狭い金魚鉢で沢山の魚を飼うと縄張り争いで弱い魚は犠牲になりやすい。 ここで、ころした金魚が「悪」で、殺された金魚が「善」であることがないように、いじめた人間が「悪」で、いじめられた人間は「善」というようなレッテル張りはできないものです。
ちょっと待ってください。魚の縄張り争いと人間同士のいじめは,質が違うでしょう。そこで魚がこうだから人間がこう,というのはズレてませんか。
いじめる子供もいじめられる子供も,もともとが「悪」なんて思っていませんよ。こどもはもともとまっさらな状態と思ってます。
行われた行為を「いじめ」と認識した時点で,その行為が「悪」なんでしょ。そういう理由で,いじめた人間が「悪」で、いじめられた人間は「善」というようなレッテル張りはできない,というのなら尤もな話です。
なぜ「もともと悪でない子」が「いじめ」という「悪いこと」をしてしまったのかに着目すべきだと申したのですが・・。
>それを人間あるいはもっと根源的には、一部分、 生き物としてのありようとして、まずは受け入れなければならない。 それは知恵だと思います。
「いじめ」が生き物としてのありようですか?
魚の縄張り争いと人間同士のいじめを同質なものとして捉えると,そういうお考えもできるのですね・・。
いじめを受けたことがある人は,たいてい,理不尽さを感じると思うんですが,生き物としてのありようである,なんてことを加えると,理不尽さを考えると余計に苦痛を感じるのではありませんか。
>社会のせいで「悪」になったわけではないのです。
どちら側のこどもたちも,「悪でも善でもない」,というのが量的さんのお考えですよね。
社会のせいで「悪」に・・・・この文は,そのことに矛盾してますよ。
ところで先ほどわたしが書いたことですね。
どこがおかしいですか?
>むしろ、今、目の前にいる人間は、強弱含めて、いじめられることもいじめることもあり、 それはさまざま知られざるバックグランドも含めて、環境次第だと知ることでしょう。
ですから,その知られざるバックグラウンドが,突き詰めていくと,社会のありようであり,教育の欠如なのではないですか? そこを量的さんが同意されないていないと理解すると,「バックグラウンド」とはまったく違う意味でしょうが,それは何ですか?
>気づきがあれば、はじめて相手をしっかり同じ目線でみることを学ぶことができて、 付き合い方を学ぶ。タフな交渉相手とも心を通わせることができる。これが外国人などと愉しく同じ目線で仕事する第一歩で、
そのための教育で必要なものが幼児・小学生の時にもすでに確実にある。
話題の転換はありますが,それはそうですね。
>しかし、教育環境を「緩くする」だけで、いじめの環境を排除することだけでは 真の学びでもなく、真の教育でもなく、人を育てることでもありません。 だから、簡単ではないのですね。
教育環境を緩くするとは言ってませんが。
いじめの環境を排除することが, 真の学び、真の教育、人を育てること,になるなどと単線的な考えはしておりませんし,そうも言っていませんよ。
>今、わたしは当時いじめた子供とも普通に付き合っています。 もともと善も悪もないからです。
わたしも経験があります。
聞けば誰でも1つや2つあるんでしょうね。
もしかして,「いじめ」を一括して捉えておられませんか?
同じ「いじめ」でも,量的さんのケースように後で和気藹々となれる関係もあれば,命にかかわるケースや幸い命の問題までいたらなくともPTSD併発というかなり深刻なケースも多発しています。
同じ「いじめ」でも,それ故に,分けて考え,
後者の根絶は目指すべきだと思います。
見過ごせないケースが増えているから,きちんと背景をつめていく必要があると信頼感さんも仰ってますよ。
>通用しない大人をつくるだけだと思います。
幼児教育に対するわたしの考え,あるいは同意をいただいた信頼感さんや未来さん考えであることも添えましたが,それに対して「通用しない大人をつくるだけだと思います。」はかなりきつい一言ですね。まあ,そういう率直なご意見はありがたいことですが。
意見の1部に過ぎないものでも,その1部は主要な意見でもあるので,全面否定に近い感じを受けますね。時々あるので慣れてますから,いいんですが。いい勉強になっています。
>(*)目を背けて、善悪でカタを付けるのには、人間への尊敬の念が掛けていると思うので反対です。
善悪でカタをつけようとしているのは,書いてらっしゃる量的さん,貴方ですよ。だからといって,わたしは量的さんが,人間への尊敬の念が欠けているとは思っておりませんが。
原発事故のあと,福島の子供たちは疎開先で原発がらみのいじめを受けていたようです。学校や保護者の方々のご理解,そして友達同士の理解と助け合いで,ずいぶんと改善されていると聞いています。
さて,ここでひとつかつてのテーマの質問をさせていただきます。
原発廃止か存続か?です。
知識と経験がない人間同士が原発反対という結論ありきのあ~だこ~だの意見交換をしても場を乱すだけとの趣旨のご意見を自称理系の皆様から頂戴したので,それならば自称理系の皆様に専門的なお立場で本格的なご議論をお願いしましょうとご依頼したところ,たった一人企業人さんだけがお答え下ったのみで,一人ぼっちですから結局議論にならなかった。
そこで,改めて,量的さんにお伺いします。
量的さんは経済正常化を理由に原発推進のお立場でした。
ここで質問ですが,地方の原発が廃炉になった場合,上記理由で原発が必要とあらば,都心部に新たな原発の建設案には賛成されますか?都心部には量的さんのご家族も住まわれると仮定します。よろしくお願いいたします。
未来さん
>私も無常感さんタイプなんですけど
>苦労しますよ~女性でこの性格だと。
>肉食系の女子が増えてきてよかった。
そうですか?・・
私的には、未来さんのコメントはキレがあって
とても素敵だと感じています。
仕事をするなら、未来さんみたいな方と一緒にやりたいですけどね。
あまり、肉食系とも思いませんが・・
地域、時代さんへ
「青春記」面白かったようで何よりです。
私は逆に斉藤由香が北杜夫の娘だと知りませんでした。つまらぬことを書いているOLがいるなと彼女のコラムはいつも飛ばしていました。
虫取り大好き少年が旧制高校の寮生活で文学に目覚め作家になってしまうのですから人の一生とは分からないものです。斉藤茂吉の息子として宗吉にも文学的素質が濃厚に流れていてそれが顕れたのが思春期だったのかもしれません。
「茂吉も老いたな」・・・・・・と慨嘆するくだり。厳父が老齢になって優しくなり「宗吉も詩を書いているらしいが私にも見せてください」というようになった・・・・この手紙を見たときの息子の複雑な気持ち。
偉大な父をまじかに見て育った息子が最後には父親の評伝を書いたのですから北杜夫は十分親孝行したと思います。
もし時間が取れそうなら「楡家の人々」おすすめです。三島由紀夫が絶賛した斉藤家三代の記録です。ともかく母方の祖父が型破りで気宇壮大、大言壮語、めげず落ち込まず常に前向きな明治気質をたっぷりもった愉快な人物です。
北さんには「最近純文学作品を書かれていないので是非こちらを書いてください」と畏れ多いことを書きましたがその後ブラジル移民のことを題材にした作品をものされました。
でも私にとってはなんと言っても「どくとるマンボウ青春期」が青春の一冊です。






























