充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
信頼感様
考えていることが遠くないのに、どこかずれていくのはなぜだろうかと感じています。
>他人がどう感じるかの問題です....ですから責任転嫁と感じる人もいるでしょう。
>でも、我慢するよりマシですよ。責任転嫁は、安全装置です。
まずここで他人が出てくるのがよくわからないのですが…。
いじめられている人は、余裕もないでしょうし、
他人の心なんてわからないし、正直どうでもいい状態じゃないかと思います。
いじめる側の人を動かすことなんてできないんだから、
何もかもいじめられる人の思い通りにはならないから、
見た目上、いじめられる自分が我慢したり諦めたり耐えたりした状態だったとしても、
自分の心の中では自由に責任転嫁をしていますよね?
何か人との関係で問題が起きたとき、誰もが心の中で
しょうがないじゃんと開き直ったり、○○のせいと怒ったり、
○○は最低という烙印を押したり、いろいろと自由に。
そうやって自分の心を守る。自分は間違っていないと。
私も責任転嫁は最大の安全装置だと思っています。
そこを奪ったら、行き着く先…ですね。
全く同感なのですが、何かずれていますでしょうか…。
弱点さん
>高校の「温室のイチゴ」、子どもだけでなく大人も温室なのではないかと思っています。10年以上も3万人の自殺者。去年のトップは主婦だったとか。
(弱点さん)この分析に反応したわけです。
弱点さんの提示してして下さった表をみても
主婦の自殺は横ばい
トップは無職です。
注目すべきところは、1997年から1999年に無職の自殺者が
急増している。
無職という定義は、職を探しているが、見つからないという状態ですね。
東京新聞でも書いていますが、リーマンショックの打撃が2.4倍という
状況をこの時作り上昇したまま保っていることです。
ということは、今回のギリシャ、ユーロ圏がディフォルトした場合
は、さらに深刻な事態になりうる可能性があるのではないかと
懸念します。
上記のようなことから、
世界でおきた不況は、日本にたどりつき
世界の国々と比べたときかなりがんばっているという感想です。
とはいえ、これからの子どもたちの教育をさらに
考えていくことが必要だと思うのですね。
老眼さんは、小学校の英語教育はいかが考えておられるのかしら
まず、国語を固めていくということには異論ないのですけど。
弱点様
多分...弱点様、量的様は、いじめる側といじめられる側に分けて思考されており、しかもイジメが起った事後の話をしています。私は、イジメに至経路を一応ロジックに従って述べているつもりです。(イジメ発生のメカニズムなんて私の知る限りそんな大それたことを云っているヤツはいませんし....素人の戯言ですけどね)イジメに対する対処方法など述べていませんから。述べろとリクエストされれば、これまた、結構長〜〜いお話をさせていたくことになります。それほど、以前この件について自分なりに思考したことがありますもので。
量的様の説明でもイジメに至る原因が示されていません。遠因をいくつか示してどうもそれと因果関係があるようだとされ(メディアで展開される一般論)、弱肉強食的本能によって無意識の力に突き動かされているかのごとく説明されており(理解が違っていたらごめんなさい)私的には、サッパリ理解できないわけです。
>まずここで他人が出てくるのがよくわからないのですが…。
いじめられている人は、余裕もないでしょうし、 他人の心なんてわからないし、正直どうでもいい状態じゃないかと思います。
「責任転嫁している」ってイジメを受けた方が自己認識しますか???しないでしょ。(自己認識したら、自分でついた嘘に自分で気づいちゃうことになるでしょ、もし気づいても気づかないようにさらに心を固くするだろうし。)
「責任転嫁している」かどうかの判断は、第三者ですよ。
そして弱点様が質問されたから回答したまでですが.....。
第三者の視点と自己の視点を混同して思考していませんか?
もう一度述べますが、ここでの我慢、諦めは、自我が傷つくほどのことについてですよ。傷つくほどのことに対して、責任転嫁で心を守る以上、本人が責任転嫁していると認識できるわけがないのですが....。
>いじめる側の人を動かすことなんてできないんだから、
何もかもいじめられる人の思い通りにはならないから、
見た目上、いじめられる自分が我慢したり諦めたり耐えたりした状態だったとしても、
自分の心の中では自由に責任転嫁をしていますよね?
ちょっと、よくわからないな.....感情的な話なのかしら.....
量的様も弱点様も善悪の価値観を念頭に議論されているように思います。(量的様は違うって述べられていますが、老眼様の指摘されている通りだと思います。)
イジメられた側の対処は、
自律的に判断する場合
・戦う、受け入れる、無視する...etc
自律的に判断しない場合
・我慢、忍耐→代替欲求が必要(場合によっては、さらに弱いものへのイジメに加担するとか、ギャンブル、買い物、薬)
・諦める→自己否定に陥らないように責任転嫁する。
これぐらいの対応しかないんじゃないですか?
個別具体的な想定をして、そこに感情を含めて思考すると結局善悪の話になっちゃいますよ。
弱いものいじめって、結局弱い人がやることなんだよね。
弱い人が、もっと弱い人をみつけて、うさ晴らしをするってことでしょ。
しかも、ひどい場合は集団でやる。みんなでやればこわくないって。
同調圧力に屈しないためには、孤立できる強さが必要なんだ。
弱い人には、それがない。だから、結局みんなでやる。
私の言った「共通性」とは、そんなところですよ、適性さん。
強い人は、弱いものをいじめたって、つまらないからやらないだけなんだ。
弱い人に勝っても、自分の強さの証明にならないから、そんな闘い無意味なんだ。
ただ、地域、時代さん、私自身は強い人ではないんですよ。リアルの私を知ったら呆れますよ。あまりの弱さに。でも、私には、強い人に対するあこがれがある。アインシュタインとかスティーブジョブズとかね。すると、いじめなんか馬鹿らしくなる。今の日本は弱者の国。だから、いじめがはびこるんじゃないのかな?
信頼感様
まず私は、最初からいじめられた側の心の話をしています。
>私は、イジメに至経路を一応ロジックに従って述べているつもりです。
いじめの元を解析して、いじめ自体をなくそう、
事前になくそうとされているのかなと最初から思っていました。。
>傷つくほどのことに対して、責任転嫁で心を守る以上、
>本人が責任転嫁していると認識できるわけがないのですが....。
いじめられた子は「いじめた側が悪い。私は悪くない。自分のせいじゃない」と思う。
そこは自分で認識していることだと思いますけど。
責任転嫁という言葉は信頼感さんが使われたと思っているのですが。
仲裁する?第三者のことをおっしゃっているので、その言葉を使われたのでしょうか。
いじめにいつも解決してくれる第三者がいるわけでもなく、
誰もいないほうが多いように思います。
運良く解決してくれる第三者が現れたとしても、
第三者は表面上の解決しかしてくれませんよね。
本当の思いは本人にしかわからないので、そこを考えてしまうのです。
>イジメられた側の対処は、
>自律的に判断する場合
>・戦う、受け入れる、無視する...etc
>自律的に判断しない場合
>・我慢、忍耐→代替欲求が必要(場合によっては、さらに弱いものへのイジメに加担するとか、ギャンブル、買い物、薬)
>・諦める→自己否定に陥らないように責任転嫁する。
この「受け入れる」という意味が私にはわからないのです。
「無視する」心理の中に「我慢」「忍耐」「諦める」がないこともわかりません。
きっと私には理解できないように思います。
>個別具体的な想定をして、そこに感情を含めて思考すると結局善悪の話になっちゃいますよ。
どうしてそうなるのでしょうね。そう思われてしまったことは、わかりました。
無常感さん
>「自律」に関しては、「自由」との関連で、欲望のまま生きていくことを「自由」と称することがあるけれども、それは本当の「自由」ではない。自ら選択した命題にしたがって、自律的に生きていく・・それが本当の「自由」であると。
>カントの「自律的自由」ですが・・以前、このくだりを読んで、おもしろいなと思いました。
また、新しい「自由」の類型ですか。典型的な「概念語」でしょうけど、「個性」はダメでも「自由」はいくらやってもいいんですか?でも、おもしろいから、おつきあいしますよ。カントの「自律的自由」。「自ら選択した命題にしたがって」というやつ。「定言命題」?「格律」?でしたっけ?
「なぜ、人を殺してはいけないの?」 回答、「死刑になるから」、「可哀想だから」。これはダメ。それでは、死の恐怖や憐憫の情という人間の「欲望(情動)のままに生きていくこと」になってしまうから。それは「自律的自由」ではない。単に「人をころしてはいけない」という「命題(それ自体)にしたがって」「自ら選択」したときにのみ、「本当に自由」である、とカントは言うわけですね。簡単に言えば、「悪いものは悪い」、「理由はない」、ということでしょう。
欲望から自由であるためには、人間の欲望に影響されない「命法」を、「掟」として仮定する必要があるということですね。極めて論理的で、筋が通っています。キリスト教の予定説と非常に相性がよさそうな「自由」の概念です。そして、道徳における宗教の重要性はまさにこの点にあるのでしょう。その「命法」の根拠は?と問われれば、「神」だと答えれば言いわけですから。もっとも、その「命法」「神」を必要とし、それをつくったのは人間の一種の欲望、情動(ただし、ヒトという種に特異的な)だというのが、私の考えですがね。
ヨコです。
いじめの体験談です。
小学5年秋のこと。クラスのガキ大将(以下大将)がわたしに目をつけました(理由は後述)。いじめの方法は、クラス全員にわたしとの会話・遊びを含めた関わりを一切しないように命じ、背いた友人には暴力をふるうというものでした。数人が暴力の餌食になったあと、全員が見事に大将に従いました。次第に大将の勢力範囲は増し、卒業日の頃には同級生200人近くにまで広がっていました。担任も見て見ぬふり、他の先生も同様、親には話しませんでした(理由は後述)。同級生からの集団無視を受けていたこと以外、小学5年6年の日常生活のことや学校生活のことはほとんど覚えていません。理科実験の記憶がないことを書きましたが関連してるかもしれません。小学3年のときにお世話になった恩師も4年時に転勤され、話せる相手がいませんでした。話し相手を失ったわたしにとって愛犬だけが友人に思える相手で、その犬との出来事は鮮明に記憶しています。
転機は公立中学に入ってからのこと。体育授業中に大怪我をして、これも前に書きましたが、長期入院通院を繰り返し、中学はほとんど出席できない状態になりました。当時のわたしにとっては、手術を繰り返し受けたり親元を離れた遠方の病院での入院生活など、それなりの辛さはあったものの、わたしのためにボコボコにされる友人の姿も見ずに済み集団無視生活からも解放される事態は、実にラッキーな出来事でした。
学校での怪我という理由で、出席日数がほとんどないにもかかわらず中学は卒業させてくれました。
次の転機は公立高校に進んでから訪れました。大将も同じ高校に進んだのです。またかよ、と思いましたが、わたしが不在中、大将には大将の事情があったのでしょう。大将は高校を入学式から無断欠席。ようやく登校しても、シンナーのにおいをプンプン漂わせながらヨウラン(説明は後述)かチャイナ服での登校。当然のごとく出席停止処分となりました。
出席停止になったのを聞いて、わたしは、大将の自宅を訪ねました。憎くて憎くてどうしようもない相手なんだけれども、でも大将を放っておけない。その時の、自分の心理は未だにわかりません。なぜなのか分からないのですが、大将に会って、普通に高校に通おうよと言いたくて、それをしました。何をされるかわからない恐怖感はありました。それでも、どうしても伝えなければならない一心が強かった。玄関口でのわたしの一方的な話に、しばらくはイライラを募らせ暴言を吐いてましたが、最後に、大将は泣きました。何かをわめき散らしながら号泣。チャイナ服の大将の姿はそれ以来なくなり、全国大会の部活でも活躍し大学へは推薦入学。今、大将は社長さんしてます。とばっちりでボコボコにされる率の高かった友人の一人はお寿司屋さんになりました。社会人になってから、何度か社長(大将)のおごりでそのお寿司屋さんでクラス会を開きました。一方、わたしは、怪我の後遺症で、検査入院通院を繰り返し、運動も禁止されていたので、高校生活もエンジョイって感じではなかったんですが、お金を払ってもできない貴重な経験をさせていただいたと、大将にも怪我にも感謝しています。これは強がりではなく、自分の子育てにも役に立ってますし、就いている仕事にも役に立っていることを実感しての気持ちです。
大将がわたしに目をつけた理由:
「忘れた」
これは、高校時に電撃自宅訪問したあと、わたしとも普通に会話をしてくれるようになってしばらくしてから、わたしが「小学生の時は、なんで?」と率直に質問したことに対する大将の返事です。おいおい!、それでおしまいかよ、って感じですが、過去のこと、仕方ありません。言いたくなかったのでしょう。わたしは大将の家庭環境にも一因があったように思ってます。本人の言ではありませんので想像にすぎませんが。
親(両親と複数の祖父母)に話さなかった理由:
申し訳なく感じたのです。自分が悪いことをしたわけでもないし、親に迷惑をかける話でもないのですが、学校で楽しく過ごしているはずだと思っているであろう親に、わたしがそういう状況であることを知らしめることは、どうしてもできませんでした。国語的には変かもしれませんが、申し訳ない気持ち、としか言いようがないものです。
ヨウラン:
長ランという、応援団が着るような丈の長~い学生服がありますが、それよりさらに丈の長いものです。虎や龍そして漢字を色とりどりあしらって、裏地もカラフルな、実に鮮やかなドレスのようなものです。
ps 同級生の皆さん。そして大将。これを目にした方がいてもレスしないでください。勝手なお願いで申し訳ありません。匿名を貫きたいので。






























